ⅠⅡ史料
一 峡湾戦闘日誌(抄)
「天文二十年某月某日、黎明未明、峡湾に於いて小戦有り。白布を纏ふ剣士一人、若武者一人と相対せし由。敵兵若干討たるるも、屍体確認叶はず。軍功帳へ載せずとの沙汰に及ぶ。」
二 沿岸守備衆申状
「入江番屋に於いて、兵ら幾名か気絶のまま横たはるを見ゆ。死者一人もなし。或兵曰く、『白き影と若武者とを見たり』とのこと。然れど太鼓は鳴らされず、軍令の伝わることなかりき。」
三 某家臣より主君へ奉書
「白き影、実に有り。然れど記録に留むべからず。若し功を認むれば、後日に於いて彼を制すること能はじ。ゆゑに、存在を抹消すべし。」
四 敗残兵口上
「刃は我らを斬らず、落とすのみにて命を奪はず。何故かは知れず。ただ背に若き武士を負ひ、二人、呼吸一にして動きたり。」
五 軍評定記録
「白装束の剣士を軍功に記すべきか否か議論す。結論――記さず。理由――名を与へれば、己らが縛らるること必定なるゆゑ。」
六 雑兵落書
「白影の剣士、斬らずとも人を戦場より外す。其の夜より夢に魘され、声を発せんとすれど名は出でず。」
七 敵国側風聞
「白き影と若武者、忽然として現れ、敵味方を問はず。誰も死なず、皆ただ退きたり。その不気味さ、剣よりも怖ろし。」


Ⅱ.年表(簡略)
天文二十年 沿岸守備厳とす。
同 中旬 峡湾にて交戦。沖田・矢野の姿、此を以て最後の目撃と伝ふ。
同 翌日 軍議にて「功に記さず」と裁断。
以後 白き影と若武者の風聞、諸国に点々として伝はる。
後年 「名を呼ばれぬ島」の伝承と交じり、記録なき剣客として語り継がる。



Ⅲ.奥書(筆者不詳)
「名を記すなと彼らは申せり。然れど忘るるなとも。記さずして忘れず――此こそ矛盾にて、人の世の真也。
彼ら、互ひに『ここでは死なせぬ』『ここじゃ似合はぬ』と語り合ひて、潮の外へと歩み去りぬ。
名は残らずとも、其の余韻のみ潮騒のごとく今に響く。」