『フォルノ・デ・メディチ』に送った手紙の返事はすぐに返ってきた。しかし、『サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局』に送った手紙の返事は返ってこなかった。期待が大きかっただけに落ち込みは激しく、仕事中にボーっとしてしまうことがあって、何度も自らを戒めた。ミスをしたら店の評判に傷がつくからだ。そんなことは絶対にしてはならない。消しても消してもフローラの面影が浮かんできたが、その都度、断ち切って、パン作りに集中した。
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その日はいつもより客が多く、昼食にありつけたのは14時を大幅に回っていた。一息付いて食後のカプチーノを飲んでいると、アンドレアから電話がかかってきた。フローラとのことを心配してかけてきたようだった。正直にありのままを話した。
「まだ来ないのか……」
スマホから聞こえる声が尻切れとんぼになった。
「嫌われているのかな?」
「そんなことはないと思うよ。彼女も忙しいんじゃないの」
「そうかもしれないけど……」
今度は弦の声が尻切れとんぼになった。
「もう一度、書いて送ったら」
「返事が来ていないのに?」
「そう。今度は自分の言葉でね」
代筆だったから気持ちが通じなかったのかもしれないと付け加えた。
「自分の言葉か~」
「そう。素直な気持ちを書けばいいんだよ」
「素直ね~」
「考えすぎない方がいいと思うよ。日記のような感じで書けばいいんだよ」
「日記か~」
日記は小学生の時以来、書いたことがなかった。
「便箋に一枚くらい書けるだろ」
「まあね」
「それを毎週送るんだよ」
「毎週?」
声がひっくり返りそうになった。
「それはちょっと」
そんなことをしたら却って嫌われると反論すると、「そんなことはないよ」と即座に否定された。「それに、手紙だけでなくパンの写真を入れたら喜ぶと思うよ」と新たな提案をされた。出来立てのパンを両手に持った写真を送れば喜んでくれるという。
「でも、写真はフローラだけに送るのはダメだよ」
ウェスタにも送れという。そうすれば、その写真を見ながらフローラとウェスタが弦のことを話題にするという。
「そうかな~」
弦は気乗りがしなかったが、アンドレアはそれを許さなかった。
「悩んでいる暇があったら行動を起こすべきだと思うけどね」
そして、「じゃあ」と言っていきなり通話が切れた。弦はなんの音も発しないスマホを見つめて、ため息をついた。
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一日考えた末に、アンドレアが提案した『毎週手紙作戦』を実行することにした。失うものは何も無いという結論に達したからだ。
その翌日、写真を撮ってもらうために奥さんとルチオに事の顛末を話して協力を依頼すると、二人とも喜んで手伝うと言ってくれた。
「青春だね~」
ルチオが昔を懐かしむような声を出した。若い頃に付き合っていた女性のことを思い出したのだろうか? 少しにやけたような表情を浮かべていた。対して奥さんは何やら考えている様子だったが、「同じ帽子やエプロンだと見栄えがしないわね」と呟くと、業者に電話をかけて、様々な色の帽子とエプロンを発注した。毎週違う帽子とエプロンでポーズを取るためだという。弦は素直にそれに従うことにした。
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翌週、フローラに手紙を送ると、今度はすぐに返事が来た。弦は飛び上がって喜んだが、自分がしでかしたミスに気づかされて、落ち込んだ。『すぐに返事を書いたのですが、どこにも住所が書かれていなかったので送ることができませんでした』と書かれていたのだ。まさかそんな初歩的なミスを犯していたとは知らなかったので、フローラに疑心を抱いた自分が恥ずかしくなった。それでも、嫌われていたわけではないことがわかったので、その後も手紙を送り続けた。そして、返事を受け取り続けた。弦の毎日はバラ色に染まった。



