それから2週間後、中年の男女二人が店の中を覗いていた。
「ここじゃないかしら」
女が指を差した。
「いるか?」
声を潜めて男が言った。
「わからない」
女も声を潜めて返した。
弦の両親だった。出張を利用して、度重なる帰国命令を無視する弦の様子を見に来たのだ。
「あっ、いた」
「どこ?」
「あそこ」
白いコックコートの上にエプロンを身に着け、白いコック帽をかぶった弦が焼き上がったばかりのパンを店頭に並べていた。
「なり切ってるわね」
「ああ」
その声が不満そうだったので、「どうする? 入る?」と母親が尋ねると、急に命令口調になった。
「お前が行け」
「えっ、私?」
「ああ、自分が行けばすぐにばれる。でも、お前がニューヨークに来ているのは知らないはずだから見つかる可能性は低い。おまけに濃いサングラスをしているから大丈夫だ」
そして、早くしろ、というように父親が母親の背中を押すと、「もう~」と不満の声を出しながらも仕方なさそうに母親が店の中に足を踏み入れた。
弦は品出しを終えて厨房に向かっていた。客の対応は母親と同年配くらいの女性がしていたので、彼女に近づいて声をかけた。
「焼き上がったばかりのパンはどれですか」
彼女はこれとこれとこれだと指を差したので、それらを二個ずつ買って、店を出た。
「弦が焼いたパンよ」
母親は店から見えないように背を向けて、紙袋から一つ取り出した。あんパンだった。表面が艶々していて、半分に割ると、つぶあんがたっぷり入っていた。
おいしかった。息子が焼いたとは思えないほどおいしかった。そのせいか、すぐに頬が緩むと、顔をじっと見ていた父親が残りを奪うようにして口に入れ、噛んだ途端、同じように頬が緩んだ。
「うまいな」
思わず声が出たようだったので、頷きを返した母親が別のパンを取り出した。メロンパンだった。日本で見るのと変わりがなく、半分に割ると、中には緑色のあんが入っていた。
「うぐいす餡よ。でも、メロンのような香りもする」
今度も残りを奪うように取って食べると、父親はすぐに、おぉ、というような表情を浮かべた。
「これもうまい」
信じられないというように首を動かしたので、チャンスと見た母親は「帰りましょ」と父親の腕を取った。しかし、動こうとはしなかった。
「連れ戻す」
パンが美味しいからといってこのまま働かせておくわけにはいかないとムキになった。
「止めましょ」
母親は父親の腕を離さなかった。
「弦が決めたことだから尊重してやらなきゃ」
それでも、父親は頑として動かなかった。
「弦は跡継ぎだ。パン屋なんかにさせるわけにはいかない」
手を引き離そうとしたが、母親は両手で掴んで抵抗して、睨み合う格好になった。するとその時、ママに手を引かれた小さな女の子が前を通りかかった。
「アンパン、アンパン、たべたいな」
歌うような可愛い声が聞こえた。
「アンパン、アンパン、たべたいな」
歌いながらママと一緒に店の中に入ると、まるでそれを待っていたかのように弦が厨房から出てきた。女の子がなにやら話しかけると、弦の顔に笑みが浮かび、トングでパンを取って、トレイに乗せた。アンパンのようだった。それを紙袋に入れて女の子に渡すと、女の子は大事な宝物を抱えるような感じで胸の前で持った。
少しして、ママと手をつないで店から出てくると、そこで振り向いて、手を振った。その先に弦がいた。弦も手を振っていた。女の子が可愛い声で「バイバイ」と言うと、自動ドアが閉まって声は聞こえなかったが、弦の口が動いているのが見えた。バイバイと言っているようだった。
「おみやげ、おみやげ、うれしいな」
アンパンの入った袋とは別に小さなビニール袋を持っていた。中には栗のような形をした一口サイズのパンが入っていて、弦がオマケとしてあげたようだった。
「おみやげ、おみやげ、うれしいな」
スキップを踏むような感じで女の子が遠ざかっていった。
女の子の姿が見えなくなるまでその場で見送った両親だったが、顔を見合わせた途端、父親が母親の手を払いのけた。
「帰るぞ」
仏頂面で歩き出したが、その肩は怒っているようには見えなかった。



