旅行前にタブレットで見ておいた外観や内装からの印象より、一泊目のホテルはにぎやかで祭りのように人が多かった。
他人が動く気配や話し声は、ある意味非日常感が強い。
眠れるだろうかと不安げだった同室の男子が一番先に寝落ちて、みんなが突っ込んだのもいい思い出になるのだろう。
起床に備えてそれぞれセットしたアラームが鳴り始めて、二日目の朝は始まる。
出発は八時半。
朝食会場は貸切というわけでもなく、収容人数の多いホールでのバイキング形式なので早めに行くように先生から言われている。
身支度と出発前の片づけを済ませて、バタバタとエレベーターに向かう生徒たちの動きは素早かった。
恋バナと言っていいか微妙なところだけど、氷野が彼女についてノロケるを聞いたり、鈴ヶ峰のことを話したりしていたせいか、夢の中でもオレたちは出会っていた。
細かいことは覚えていない。
ペンギンたちが勢いよく泳ぐ大きなプールを2人で眺めながら、もうすぐ始まる新作アニメの期待値についてオレが一方的にしゃべり倒していた。
アニメ化決定から2年。
制作会社は人気タイトルを担当しすぎていて、この話は流れてしまうのではないかと皆から思われていた。
だから放映開始時期とティザーがいきなりお出しされた時には嬉しかったし、SNSでのファンの反応にいちいち共感してしまった。
書店でも平積みにされていて、週刊連載も好調な漫画が皆の期待に応えてアニメ化されるのは素直に喜ばしい。
鈴ヶ峰がアニメを見てくれるなら、全編にちりばめられた小ネタや伏線回収についても話が通じる。
絶対、見てくれと熱弁するオレに向けられた眼差しは優しい。
本来は興味がない話題のはずなのに、理想的な聞き役になってくれる鈴ヶ峰は夢の中でも花丸だった。
消灯時間が早かったおかげで睡眠が足りないことはない。
それなのに、まぶたがゆっくり重くなるのは、混雑した道路状況とバスの揺れのせいだろう。
朝食会場やホテル内で鈴ヶ峰の姿は見つけたけれど、挨拶をする距離まで自分からは近づけなかった。
おはようのスタンプくらいは送信しても良かったのに、アプリの画面を表示しただけで簡単なアクションを取りやめる。
オレって意外と考え込むタイプだったんだなとあらためて知った。
「エクラタン神戸に行くのがはじめての人はいますか~?」
ベタベタな質問をするガイドに、ちゃんと手をあげて答えた十数名はえらいと思う。
神戸出身だと話す女性の聞き取りやすい声は、オレの眠気を誘ってくれる。
「怖いのが平気な人は、あの絶景をぜひ楽しんできてくださいね!」
オレ向けではないアドバイスは聞き流して、移動時間の残りを休息にあてることにした。
同調圧力に屈するほど、温和なキャラを貫きたいわけでもない。
Gに振り回されると頭が痛いからと絶叫系をあっさり回避する氷野や60分越えの待機時間は非合理的と主張し、人気アトラクションをパスしようと言ってくれた山田のおかけで、怖さランキング上位のものは運よく回避することが出来た。
映像体験コンテンツを2つ。
浮遊感はあるけれど、小学生でも楽しく乗れそうなアトラクションを3つ。
常設のアートを鑑賞し、新エリアもそれなりに満喫した。
合間に食事や休憩を挟んで、買い物の時間も確保しようとしたら、スケジュールはどうしてもタイトになる。
トイレにさえ長蛇の列が出来ていたし、待ち時間はどこも長かった。
エクラタン神戸を象徴する建物やパネルの前で写真を撮り、季節限定のフードの列に並んでいる間にも時間は過ぎていく。
ハロウィンカラーのドーナツやイラストピックが目を引くコラボバーガー。
価格に対してボリュームがないように見えたけれど、高校生の食欲で立ち向かっても2つか3つ食べたら充分だった。
秋だと言うのにまだ暑くて、とにかく冷たいものが欲しくなる。
フロートみたいに氷を使った飲み物は人気で、売り切れが出るほどだった。
旅行前の説明でペットボトル飲料をある程度持参するように言われていたので、ホテルの部屋に設置された冷蔵庫には記名された飲み物が詰まっていた。それでも買い足さないと水分補給が間に合いそうにない。
パーク内の装飾やパレードは完全に秋色なのに、九月の気温はまだ高い。
天気が崩れるよりはいいのだが、日陰が少ない敷地内を移動するだけで汗だくになる。
制汗グッズやタオルは常備していても、限りなく夏に近い暑さはどうしようもなく、オレたちはかなり疲れていた。
集合時間は6時半で、ちょっと早く設定されている。
団体行動では仕方ないことだが、これからの時間の方が過ごしやすそうである。
夜のテーマパークを存分に楽しむことは出来ないけれど、旅行2日目が無事終わりそうなことにオレは安堵していた。
「まだ時間あるし、最後はアレ乗ってみようぜ」
提案した班長の指の先に、大観覧車があった。
全面シースルーのゴンドラは4台しかない。当たる確率はかなり低いし、それが目的で並ぶ人もいるだろう。
高所に上がるタイプの乗り物の中では、一番緊張しなくていい観覧車をパスすることはない。
待ち時間の約二十分、スマホに触れたり氷野以外とも話をしていたオレは、この秋からリニューアルされた仕様にまったく気づいていなかった。
定員の関係で4人と3人に分かれることとなり、後から来たゴンドラに乗り込んだオレは、足元が透けていることにあやうく悲鳴を上げそうになる。
よく見れば座席までしっかり透明で、下から何もかものぞかれてしまう仕様だった。
ここでしか見られない景色が見られるのだろうが、オレにとっては全然ありがたくない。
「向こうのゴンドラは普通みたいだし、ラッキーだったな。真下を見られるのって面白いじゃん!」
高所恐怖症が混じっていると知らない山田の発言に悪気なんてない。
幸いにも全面シースルーというわけではなかった。足元や座面に目線さえやらなければ、上がって降りるまでの15分を耐えられそうではある。
「この前、テレビで特集やってるの見た時は、こういうのがあるって言ってなかったから驚いた」
他に意識を向けたくて、自分から話しかけると山田と氷野が食いついてくれた。
「完全にシースルーってわけでもないから、インパクトは弱いよな! まぁ、動画とか写真撮るには面白そうだケド」
「その特集ならおれも見た。こういうタイプのゴンドラが6台増えたって紹介されてたぜ。なんかシースルーゴンドラが人気すぎて、列が長くなったから対策としてこうしたんだってさ~」
オレがちょっとテレビの前から離れた間に、重要な情報が告知されていたらしい。
頂点で下を見てしまったら、とても平静ではいられないだろう。
考えなくて済むように、オレは視線を平行にする努力をする。
観覧車がトラブルで停止する事例はそれほど聞かない。
アニメ映画なら、観覧車のゴンドラを足場にしたアクションシーンもよく見かける気がする。
落下しそうなヒヤヒヤ感と強風のダブルパンチは大きな画面に映えるからだろう。
ただ座席にいるだけでいいのだから、じっとしていれば無事に降車できる。
当たり前の事を声に出さず唱えて、足元のことを忘れようとするオレとは違い、他の2人は特別仕様を喜び、色々な角度から写真を撮りまくっている。
「一部が透明なだけでも、なかなかいいもんだな。空中遊泳は言いすぎだけどさ!」
「シースルーゴンドラはかなり待ち時間あるって聞いてたけど、こういうの増やしてくれるとか対応いいよな!」
そう広くはないゴンドラが軽く揺れる。2人が位置を変えながら写真を撮っているので、完全に固定されていないゴンドラは吊橋くらい不安定になる。
風が吹いてなければ。
立ってさえいなければ。
おそらく自分は平気だと思い込んでいた。
埴谷もこっちで撮ろうぜと招いてくれたけれど、3人が片方に集まると傾きがひどくなる気しかしない。
「汗かいてるし、くっつくと暑そうだからパス」
塩対応でやり過ごそうとしたのに、2人がこちら側ににじり寄ってくる。
「写真撮る間なんて一瞬だろ。埴谷が汗臭いなら、こっちはもっと臭いって!」
男子3人が座ると狭いのに間に挟まれまた構図で、写真撮影が始まる。
一瞬どころか、数分経っても終わらない彼らの盛り上がりについていけず、オレは天井を仰いだ。
「狭いし、暑い。そんなにたくさん撮らなくていいだろ」
「じゃあ、撮影終了〜! てっぺんを過ぎたから、後は降りていくだけか……」
地上に降りていく安心感があるせいか、ゆっくり下がる観覧車から遠景を眺めるのは嫌いじゃない。
次に来るなら、夜の園内を回ってみたいな。ぼんやり想像するいつかの光景には、当然のように鈴ヶ峰が存在していた。
窓の外を1枚だけカメラで切り取り、鈴ヶ峰に短いメッセージをつけてから送信する。
既読までに時間がかかるだろうと思ったのに、いつでも備えてくれているのかすぐに返信が来た。
『平気かもしれないけど、念のため』
向こうから送られてきたのは、昨日の水族館で撮られたムービーだった。
BGMはついてなくて、鈴ヶ峰と生徒会長のゆるい雑談が聞こえてくる。
オレの救助要請にいつでも駆けつけられるほど、生徒会役員はヒマじゃない。
だから、こうやってヒーリングムービーを用意してくれたのだろう。
オレが気に入っていた肺魚のぬいぐるみも登場させて、リラックス効果を高めてくれる細やかな気遣い。安心させてやりたいという気持ちがじわじわと伝わってくる。
感謝を伝えるスタンプをぽんと返した時、ゴンドラからは降車位置がもう見えていた。
意外と早かったよなと話している2人に続いてゴンドラを出たオレは、待っていてくれたグループのメンバーと合流した。
修学旅行最終日は、いつ雨が降り始めてもおかしくないくらい空がくもっていた。
昨日がこれなら過ごしやすかったかもしれないが、傘を持っての行動は何かと不便そうである。
香月舎先輩から心配されていた清水寺は、滞在時間が短かったこともあって、何事もなく見学が終わった。
後は嵐山で、ポップアップストアに立ち寄るだけである。
もう終わった気持ちになっていたオレは、渋滞して進まないバスの中で、昨日のショートムービーをもう一度再生した。
鈴ヶ峰はどこにも映っていなくて声だけの出演なのに、あの目を通して見てるものを共有されたみたいな楽しさがある。
恋の自覚は、もっとドラマティックですべてを塗り替えるようなものだと思っていた。
ドキドキして、ゆらゆらして。
わけがわからなくなるような強烈な体験。
そういうドラマみたいな瞬間が訪れるものだろうかとオレはずっと懐疑的だった気がする。
好きだとはっきり言ってくれたのは、鈴ヶ峰がはじめてだ。
何が良かったのか、ほとんど知らない相手から交際を求められたことはあるけれど、好意さえ曖昧に思えたし、あれでイエスを期待する方がどうかしてる。
あのタイミングで告ってこなければ、鈴ヶ峰の気持ちだって理解せず、断っていたかもしれない。
恋なんて、してもいいし、関わらなくてもいい。
生活や人生に支障はないと決めつけていたのに、たったひとりのせいで感情がひっくり返されることを知った。
記録された音声をこんなに心地よく感じるのは、変化した心のせいだ。
『埴谷が迷惑じゃないなら……』
ささやかな願いに応えたら、オレたちはどう変わっていくのだろう。
いいよと先に答えておいて、今更ジタバタしている自分を笑ってしまう。
買い物が終わったことを連絡して、集合場所近くで氷野と待ち合わせていたオレは、香月舎先輩へのミッション完了報告に返信が来ていることを知った。
そういえば、公開告白ってどうなったんだ?
他人事だと思って、メッセージを確認するオレの動きを止めたのは拡声器並みによく響く声だった。
「2年1組、出席番号17番のひとに伝えたいことがあります!」
出席番号がひとつ後、18番の氷野がオレの顔をじっと見つめる。
何が起きるかわからずに、声を張り上げた男子生徒の周りにスペースが生まれていく。
公開告白は学校関係者が集まるところで、相手の名前を告げるものだと思っていたけれど、個人情報を重視する形が今風なのだろうか。
「そのままでいいので、聞いてください。1年のころから、君のことをずっと見ていたし、ずっと好きでした! ぼくはいつも勇気がなくて、君に近づくことも出来なかったから、返事はもうわかっています。今回の旅行でお似合いだと思ったので、純粋におふたりのこと応援していきます!」
他のクラスの生徒は出席番号で誰だかわからないはずだが、最後のあたりのヒントが余計だった。
え、じゃあこれって埴谷への告白?
生徒会のあいつに敵わないってコト?
ざわめきながら、うちの生徒たちが正解にたどり着いてしまった。ちなみに告白してきた男子に見覚えくらいはあるが、名前もオレには思い出せない。
玉砕覚悟の告白に、周りから勇気をたたえる拍手が贈られる。
とりあえずトラブルにはならなさそうだと気を抜いたのに、どこからかわいてきたガラの悪そうな二人組が、品の良くない笑みを浮かべながら、さっきまでの主役の腕をつかむ。
「公開告白とかおもしろそうなコトやるって聞いたから見にきてやったのに、地味キャラのひとりプレイかよ。つまんねーの!」
ぐいと乱暴に腕をひねられて、男子生徒はうめき声をあげる。
「なぁなぁ、告白された子もここに出て来いよ。こいつの前でオレにベロチューしてくれたら、ひどいことはしないでやるからさ」
教職員や生徒会がどこにいるのか、オレからは見えない。見世物になるのは避けたいが、ここで無視するのも告白に対して誠意がない気はした。
刃物は持ってなさそうだがチャラそうな仲間が一人いる。逆上して誰かを傷つけるのは困るなと思いながら、この場をうまく切り抜ける方法を考えていたオレの代わりに学生服の勇者が手を挙げた。
「はい! おれが告白されちゃった方のひとです」
恐れることなく、彼らのもとへ近づいて行ったのは名瀬会長だった。
格闘技経験があるとは聞いたことがないが、本番に強すぎるタイプであることはうちの生徒誰もが知っている。
「は? ふかしてんじゃねぇぞ?」
「うち、男子の方が多いし、偏見はよくないですよ」
飄々とした受け答えにいらだった馬鹿は、近くにあった看板を蹴り倒して破壊する。
威嚇のための行動だろうが、残念ながらそのアクションで制圧可能かどうか、オレにはわかってしまった。
「あぁん? いくら美形でも男はパスだ。お前にキスされてもうれしくねーよ」
本当に? と問いかけるような妖艶な表情を会長が作ってみせる。
一瞬、相手が揺らいだように見えたのは気のせいじゃない。
「……してみないとわからないですよ?」
自分に注意を引きつけることに長けた人の本気は恐ろしい。
男の視線が唇のあたりで止まり、注意力がおろそかになった瞬間、背後から近づいていた鈴ヶ峰が動く。
息の合った二人の機転に助けられた男子生徒は解放され、青年は取り押さえられた。
お仲間の出方をうかがっていたオレは、するりと腕を捕まえ、骨が折れない程度の関節技を決めてやった。
「ご協力ありがとう」
ひらひらと両手をこちらに振る名瀬会長は、この事態をあらかじめ予測していた。
公衆の面前での告白もそれに乗じたトラブルも情報は彼の手の内にあったし、すべては彼の想定内だ。
タイミングよく近づいてきた鈴ヶ峰は、会長のニコイチとも言われている。
すべてがつながってようやく、オレは自分が監視対象でしかなかったことに気づいてしまう。
先生たちと商店街の警備員も集まってきたところで対応は大人に委ねられる。
事情を聴くためにその場へ残ったのは、告白してきた男子と会長だけで、オレと鈴ヶ峰は呼ばれなかった。
こちらを気まずそうに見ている彼の代わりに、オレは吐き捨てるように言ってやった。
「なるほどね、あの告白も旅行中のフォローもオレを監視するためだったんだ。演技力すごくて、あやうく好きになるとこだった」
「埴谷、聞いてくれ……」
言い訳を受け入れたくなくて、オレは人混みの方へと全力で走った。
利害は一致してたのだから、責める権利はないのかもしれない。
鈴ヶ峰がオレを見る眼差しや態度から、確かな思いを感じたのに記憶が塗り替えられる。
吊橋効果を恋に転用して、窮地を乗り越えたいと言ったのはオレだ。
もうドキドキは必要ないし、実は向こうには恋愛感情がなかったとネタバレされたからって傷つくのはおかしい。
「演技力ありすぎだろ……」
どうして好きになったのか、どこが好きなのか。
それさえ聞かずに、唐突なアプローチを信じてしまったオレが悪い。
そう思うのにハニトラみたいなことを仕掛けた鈴ヶ峰のことを許せなかった。
あんなに真面目で堅物っぽいのに、好きでもない相手にガチ恋だと信じさせて優しくするなんて姑息すぎる。
生徒会長もグルだと思うとますます怒りがおさまらない。
渡月橋を目指して歩く観光客に紛れて姿を隠した後、オレは土産店の奥で見つけた休憩コーナーに向かった。
ソフトクリームとドリンクが提供されている場所は閑散としていて、映える写真を撮りたいと思わせるものもない。
アイスコーヒーをカウンターで受け取り、背もたれのない椅子に腰を下ろそうとしたオレはこの場所に逃げ道が無いことに今更気付く。
「スパイみたいに発信機でもつけてるのか?」
あきれるくらい早くオレを見つけてここへたどり着く鈴ヶ峰に、嫌味くらい言わせてほしい。
「下見に来た先生方と情報共有は常にしてるんだ。埴谷が消えた付近で一番かくれやすいのはここだと思った」
「追っかけてこなくて良かったんじゃないか? オレにはもう利用価値ないし」
「こちらにも事情があったことは認める。でも、埴谷に伝えた気持ちは嘘じゃないし、警護役を任されたのは適材適所だと会長に言われたからだ」
公開告白があるという噂をみんなに広めたのは、この修学旅行を滞りなく終わらせるための作戦だったのだろう。
オレと鈴ヶ峰の2人に生徒の注目を集めることで、あの男は途中乱入しにくくなった。
結果的に犯罪の抑止につながったのなら、問題はない。
不穏な事件が起きる情報を生徒会がどこから入手したか深掘りはしないが、香月舎先輩とはまた別のルートがあるのだろう。
「なら、聞いていいか? オレを好きになった理由を教えてくれ」
数秒でも言葉に詰まったらウソ判定されると思ってるのか、すぐに答えが帰ってび跳ね来る。
「駅前の商店街で大きな青い袋を持って、機嫌よく飛びはねてるのを見てひとめぼれした。まあ、その前から埴谷のことは目で追いかけてたような気もする」
駅前、青い袋というキーワードでその日の記憶がよみがえる。
アニメショップで予約していた複製原画を取りに行った時だろう。
飛びはねてはなかったと思うが、そうしてもいいくらい浮かれていた。
「情報開示をしなかったのはフェアじゃない。埴谷が俺に不信感を持つのは当然だ。どんなトラブルが起きるかわからない以上、ヘイトが俺だけに向かってくれるならそれでいいと思いこんでいた」
だましたり、からかったわけではないと口調から誠意が伝わる。
興味や好意があるフリをして、オレを振り回すほど、鈴ヶ峰は悪どいやつじゃない。そんなこと、オレが一番わかっている。
「……埴谷に対する気持ちにウソはないから」
まっすぐに心をささげられて突っぱねられるほど、オレはかたくなになれない。
旅行前と旅行中の短期間でほだされるなんて、自分でも単純だと思うけれど。
ドキドキのはじまりは、きっとこんな風にわけのわからない感じなんだ。
「じゃあ、もう一度やり直してもらってもいいか?」
告げられる思いは確約されている。
放送終了後のキャストトークに、本編で語られなかったアレコレを期待するファンみたいに耳を澄ます。
まさかの展開は起こらない。ハピエンで閉幕する一言が鈴ヶ峰から告げられる。
「埴谷が好きだ。俺のことをもっと知ってもらいたい」
あの時とは違って、こいつのことがトクベツに見える。
「いいよ。これからも、よろしくな」
シンプルすぎるリプライに、照れて顔を片手でおおってしまった彼氏の反応は花丸だった。
もっと知りたい。分かり合いたい。
だから、オレたちはきっとこれからも噛み合わなさに傷ついたりもするけど、それって意外と幸せなのかもしれない。
負けないくらい顔をほてらせながら、オレは表情をゆるませた。
旅行が終わって、駅で解散してからみんながどこかへ散らばるまで、オレは迎えを待っているフリをして連絡を待っていた。
付き合い始めたばかりの学生が最初に経験する普通の事。それが鈴ヶ峰のささやかな願いだった。
人目は避けたつもりでも、誰かに見られて噂になったりするかもしれない。まぁ、それならそれでもかまわなかった。
だって、オレたちはもう偽装でもお試しでもない関係なのだから。
スーツケースの中には大切な人への土産物が詰まっている。
双輪のキャスターと同じくらい軽快に歩きながら、オレはスマホに届くであろうメッセージ通知を待ちわびた。


