香月舎先輩に冷やかされつつ向かったのは、新館三階のベーカリーにあるイートインコーナー。
タブレットやノートパソコンでの作業には快適なスペースだが、教科書類を広げるには幅が狭いカウンターテーブルは改善の余地がある。
座り心地よりデザインを重視したっぽい木製のスツールは、長時間滞在を防ぐための工夫だろう。
そう思っていたのに、座っているだけでスタイリッシュな絵となった鈴ヶ峰を目にすると、店主のこだわりがわかる気もした。
でも、自分が腰を下ろしてみるとやっぱり座り心地が良くはない。
ショップや会場までのアクセスと営業時間だけでなく、購入時の注意点がびっしり記入された買い物リストには香月舎先輩の妹・由舞さんからのリクエストもふくまれている。
『できれば友達と同じのをつけたいけど、地域限定商品は1限だから……』
そう言って彼女が除外した水族館の入館チケット風キーホルダーは、そのジャンルをミリしらのオレから見ても普段遣いに良さそうだった。
修学旅行での班分けは仲の良いヤツだけで組まないように、出席番号による公正なシャッフルが行われた。
それでもグループが離れなかった氷野とは縁を感じるが、彼女がいるクラスメイトとは今後何の展開もないだろう。
オレと氷野がひとつずつ、そして鈴ケ峰が買ってくれたら、労せず3つが手に入る。
アニメ推しやラノベ推しは隠すつもりもないが、今回買いたいものは女子中学生が欲しがるグッズである。
推し活文化に馴染みがない鈴ヶ峰は、ちょっと異質に感じてもおかしくはない。
専門職のお仕事男子たちが、歌い手や配信者として脚光を浴びていく。
女性ユーザーが圧倒的に多いソシャゲ『空模様ソーダーレイン』のあらすじはそんな感じだ。
ゲーム内やリアルでキャラを応援することで、新曲の配信やステージへの登壇が決まるシステムになっている。
定期的に行われるイベントでのミニゲーム周回による素材集めなどはあるが、ライトユーザー勢も充分に楽しめるという話だった。
劇場版アニメも決定していて、国産ソシャゲとしては安定した人気を保っている。
由舞さんが友だちと推しているのは、水族館で飼育員として働いている新人・結塚右京とシステムエンジニア芦原セリノの2人で、いわゆる箱推しというやつだ。
彼らが働く水族館のモデルは関東の水族館と明言されている。
今回の地域限定コラボは、仕事熱心な2人が休日、私服で別の水族館を見学しに行くというコンセプトで企画されたものだ。
ファッション誌の表紙を2人で飾るほど知名度のない組み合わせだが、人気急上昇なのは間違いない。
この2人のカップリングオンリーイベントなんかも開かれていると由舞さんは熱く語っていた。
公式もブロマンス的な関係は認めていて、声優同士も元々仲が良いため、燃料には困らないようだった。
年齢制限がないものを常識の範囲で楽しむ分には自由でいいとオレは思う。
けれど、こういう趣味から縁遠い鈴ヶ峰が引いてしまってもそれは仕方ないことだ。
先輩の妹からのリクエストだと言えば、快く協力してくれるのは目に見えている。
でもどうせなら、相手の許容範囲がどのくらいか確かめておきたいなんて自分でも性格が悪いなと思った。
どういう反応を示すか、色々なパターンを想定する。
けれど、実際の鈴ヶ峰は多様性への理解を示す前に、シゴデキぶりをアピールしてきた。
「通販でも買えないとなると激戦になるんじゃないのか? 水族館の進路順で回っているとショップは出口付近だから最後になる。別ルートをとって先に確保しておいた方がいいと思う」
主語をぼかしたまま、隣に座っている鈴ヶ峰にスマホの画像を見せて説明する。
ソラモヨ自体が初見だった鈴ヶ峰は、オレがやりこんでいるゲームなら話題を共有したいと言ってくれた。
SNSやファンアートなんかの盛り上がりは知っているが、実際にプレイはしていない。
多忙な生徒会役員の時間をこれ以上使わせるのは申し訳なくて、これは頼まれたモノだと早々に打ち明けてしまった。
香月舎兄妹との仲の良さを強調しないよう配慮するオレに、鈴ヶ峰は私情を挟まなかった。
修学旅行に参加する生徒会役員には、教職員に共有されている情報にアクセスする権限も与えられているらしい。
クラスごとの動線や利用施設のバックヤードを含めた館内図、表立っては言えない個人間の事情なども開示するのは、昨年度の失敗や例の噂に対抗する手段だろう。
香月舎先輩から餞別代わりに聞いた話も鈴ヶ峰はオレに隠さなかった。
それが生徒のためであっても、同級生に個人情報を漏らされたり、監査をされるのは嫌だろう。
学校運営側に加担する生徒なんて、傍からみたら敵以外の何者でもない。
昨年度の不祥事と今年の公開告白。それだけで彼らに越権を許すだろうか。
他にも何かトラブルのタネがあるというなら、生徒会を頼らざるを得ない三役側の事情もわかる。
生徒を分断させるようなこと、やらせる大人が悪いとオレは思う。
せっかくの修学旅行で、潜入捜査みたいなことをさせるなんて、生徒会役員たちの責任感を利用しすぎだ。
「団体行動中に立ち寄りそうな高所は、こっちでリストアップしておいた。抜けや気になるところがあったら教えてほしい」
日程表の順番に並んでいるプリントの文面は、シンプルでわかりやすい。
1日目にクラス写真を撮る展望タワーには、空中散歩気分を楽しめるシースルーウォークと眺めが良すぎるカフェがある。
有料で体験できるヴァーチャル吊橋もあるらしいが、これは無視して大丈夫だろう。
2日目のテーマパークでは、高所が苦手なゲストのレビューを参考に注意点や恐怖度が書かれている。
スピードや高度、閉所や暗所にどのくらい耐性があるか。事前に聞かれた情報を元に下調べをしてくれた鈴ヶ峰に感謝しかない。
3日目は定番の名所巡りと食べ歩きなので、注意するべき箇所はない。
次のページには参考としたサイトが紹介されていたし、動画や画像が視界に入ってしまうことも注意点としてあげられている。
個人差を尊重することは、この世の中の常識となった。
でも、それが実行できない人は多い。
細かいところまで行き届いた鈴ヶ峰の優しさは、誰に対しても平等に与えてきたものなのだろう。
でも、じっと見つめられて照れくさそうになる相手はオレだけだ。
『空模様ソーダレイン』は公式アカウントがイベントスチールの美麗さを宣伝することが多い。
同僚や同期以上の絆を匂わせるツーショットは、万バズしてゲームを知らない人の目にも触れている。
だから、接触はそれほど過激なものではない。
ファンが熱狂するシーンを真似て、オレは隣に座っている鈴ヶ峰の肩に、ゆっくりもたれかかる。
動悸は平常。
好意や興奮をコントロール出来るなら、もうちょっと可愛い自分が演じられただろう。
「まとめるの大変だったろ? 鈴ヶ峰の睡眠時間、返してやるよ。オレの眠気を伝染させてやるから、そこに伏せて目を閉じていてくれ」
水族館組のセリフのかけあいまでオレは知らない。
だから、これは鈴ヶ峰のためのオレのいたわりなのだが、真面目なこいつはイチャイチャを回避してくる。
「あのさ、埴谷が好きだって言ってたアニメ、最終話まで配信されてたから、この前の休みに全部見たんだ」
趣味の押しつけは迷惑なだけとオレは知っている。
ゾンホラをSNSやレビューサイトで絶賛しても、周りに視聴を強要してはいない。
「最後までって、オープニングとかスキップしても何時間もあるのに……」
「続きが気になったから、小説も買ってきた。そっちはまだ読み終えてないけど」
寝かしつけてやるつもりだったのに、初見の感想が聞きたくてウズウズする。
落ち着け、観てくれただけでまだ沼落ちしたわけじゃない。
自分に言い聞かせていないと暑苦しく作品トークをしてしまいそうになる。
「……ど、どうだった?」
「続編制作すぐに決まって当然だと思った。アクションシーンとか劇場版みたいなクオリティだったし」
鈴ヶ峰はポケットから、交通系ICカードケースを取り出してオレに見せた。
平面に貼られたステッカーは、ラノベ初回限定バージョンに封入されていたものだ。
「埴谷とおそろいにしてみたかったんだけど、一方的すぎるよな」
ゾンホラの説明をする時に、カードケースのステッカーを一度だけ見せた。
作品を知らなかった鈴ヶ峰がそれを探してつけてくれたのはオレへの求愛行動だ。
押しつけがましいプレゼンはしなかったのに、こちらに踏み込んできてくれるのは素直にうれしい。
その行動をマイナスだととらえる人もいるだろうけど、オレはそうは思わなかった。
好きな人の好きなことを知りたくて情報を取り入れる。そのアクションはオレにとって花丸の評価だ。
「まぁ、日本全国におそろいのやつ、たくさんいるけどな。初版、かなり刷ってるらしいし」
茶化したあとでオレのカードケースも取り出して、神経衰弱でもするようにステッカーを隣り合わせる。
好感度がどこまで上がれば、特別に変わるのかオレにはまだわからない。
こちらを見つめる鈴ヶ峰の瞳はきらきらと光を取り込んでいて、目を細めてしまうほどまぶしかった。


