7話
結局、今日は一度も、南波と目が合わなかった。
始業式の後は下校のホームルームで明日からの予定の確認と、受験へ向けての改めての注意事項があり、教室の雰囲気がずーんと重くなったところで解散となった。
そういえば、南波とは進路の話もしたことがない。
あと数ヶ月で三年になり、クラス替えもある。
同じクラスになる保証はない。
そもそも、このまま、話もせずに終わってしまう可能性だって、ある。
――『その人に、会いたいと思いますか?』
鈴木弟の、真っ直ぐな瞳と、その問いかけを思い出して、唇を結ぶ。
今日は、部活がない。
図書室も、閉まっているかもしれない。
でも。
後悔したくなくて、俺は、久遠の「どっか寄ってかね?」という誘いに、「ごめん!」と断って、走り出していた。
「おー、頑張れよ、凌介!」
相談すらしていないのに、なんで頑張りに行くのがわかるんだ。
悪友に心の中で突っ込みつつ、でも少しだけ感謝する。
今日は、雪が降っていない。
廊下の窓からは、珍しく陽の光が差している。
地面に積もった雪が、きらきらと輝いていた。
何度も通ったはずの図書室なのに、無駄に緊張する。
もし開いていなかったらどうしよう。
ドアノブに手を掛けたとき、「浅木?」と後ろから声がした。
「! な、んば」
「今日は図書室、開かないよ」
笑っているのは、眼鏡を掛けて、制服をきっちりと着こなしている南波だ。
久しぶりに目が合った気がして、それだけで胸がじわりと熱くなる。
な、なんだこれ……。
「でも、俺は個人的に用があって。鍵借りてきたんだ、入る?」
「う、うん」
「どうぞ」
南波が自然に問いかけてくるから、俺もつい、頷いてしまう。
やっぱり、こういう手法が上手い。
ガチャリと鍵が開けられて、促され、中に入った。
未だにストーブがついていない室内は、冷える。
南波は慣れた手つきで石油ストーブに火を点けた。
カチリと音がして、慣れない匂いが、鼻を掠めていく。
「楽しかった?」
「ん?」
「合コン」
「ぅえ、」
なんで知ってるんだ!?
というのがまた顔に出ていたらしく、南波が吹き出して笑った。
「あれだけ大声で騒いでたら、嫌でも耳に入るって」
目を合わせなかったくせに、話は聞いていたらしい。
南波は手にしていた本をカウンターに置いて、俺を見た。
「いい子、いた?」
問いかけられて、首を振る。
いざ南波を前にしたら、何を言っていいのかわからなくなって、とりあえず、近くの椅子に座った。
カウンターにいる南波と、椅子に座る俺。
冬休み前の距離感に、戻ったみたいだ。
「南波こそ、」
顔を見ることができないまま、口を開く。
「サヤちゃんと、より、戻したのかよ」
小さく言うと、南波が、大きく目を見開いた。
答えがないのが不安になって、視線を上げると、表情を隠すように口許を抑えている南波が見える。
「いや、そうか、そうだよな。話の途中だったし、浅木、いなかったし」
自分を納得させるように呟く南波に首を傾げる。
南波は小さく息を吐いてから、手を下ろして、俺を見た。
「小川とは何もないよ」
「え」
「別れた理由言って、納得してもらっただけ」
「そ、そうだったんだ」
なんだか、急に、肩の力が抜けた。
それと同時に、サヤちゃんの、真っ赤な顔や、涙の残る顔が浮かぶ。
きっと、この、図書室にいる南波に、サヤちゃんも惹かれたんだろう。
――ん?
サヤちゃん、も?
「で? 浅木は、なんで急に連絡減ったの」
「う」
次はこっちの番、とばかりに、南波に言われて俺は再び目を逸らす。
それと同時に、心臓が、いやに速く鳴っていた。
ああ、逃げ出したい。
しかし、南波は、それを許してはくれないようだ。
カウンターにいたのに、今は、俺が座る椅子の隣にわざわざ腰掛けてきた。
「浅木」
答えを促され、俺は項垂れる。
「き、気まずかったからです……」
「なんで」
「サヤちゃんとの馴れ初め聞いて」
「へえ」
なんでそこで納得するんだ……。
そう思いつつも、南波の顔を見ることができず、俺は机に突っ伏してしまう。
「で、なんで合コン?」
「新たな出会いを求めて……」
「ふうん……」
南波は、俺の扱いが上手いのかもしれない……。
誤魔化すことができない問いかけを次々に投げかけられて、無駄に正直に答えてしまっていた。
「浅木ってさ、俺のこと好き?」
「は!?」
しかし次に投げられたストレートな剛速球には、思わず顔を上げてしまった。
隣に座る南波は、良い笑顔をしている。
「小川と俺が付き合うと思ったから、合コンに行ったわけでしょ? 諦めようと頑張ってるみたいじゃん」
まるで推理小説の謎を解くみたいに、すらすらと言い当ててくる南波は、ひどく上機嫌だ。
俺はわなわなと肩を震わせる。
もう、色々と、限界だった。
「しっ、し、知らね、」
「浅木、」
立ち上がって逃げだそうとしたら、隣の南波も立ち上がって、俺の腕を掴んでくる。
に、逃げられねえ……。
「これ、読んで」
「へ?」
引き寄せられると思ったら、胸元に、一冊の本を押し付けられた。
俺が受け取ると、南波の手が離れて自由になる。
「感想、待ってるから」
そう言う南波の顔は、珍しく、少し赤かった。
押し付けられた本は文庫本で、そのタイトルには、見覚えがある。
ふたりで観た、映画の原作だ。
二人きりの空間が耐えられなくて、俺は早々と図書室を後にした。
今日は冬にしては温かいからか、校庭の一部の雪が、じんわりと溶けている。
俺の心臓はドキドキと速く脈を打ちすぎて、顔が熱い。
南波から借りた本を早く読みたくて、その日は、寄り道せずに家に帰った。
上下ともに灰色のスウェットの部屋着に着替えて、ベッドに寝転んで本を読む。
映画と同じ設定で、主人公たちが雪山の館に閉じ込められて、連続殺人事件が起こっていく。南波が言っていた、映画と違う展開っていうのが気になって、いつもよりも速いペースで読み進めることが出来た。一人目の被害者が出て、みんなで話し合った後、主人公と幼馴染が違和感を抱いて、とある部屋に向かうと、首吊遺体が出てくる。ここは、俺が、映画で怯えたシーンだ。
思い返していると、はらり、と、一枚の紙がページとページの間から落ちてきた。
「!」
それは、シンプルな長方形の栞だった。
無地の中に、整った文字で『浅木が驚いたところ』と書かれている。
明らかに南波が書いたもので、じわじわと照れが込み上げてくる。
中身を読むのも忘れて、本を捲っていくと、また栞が落ちてきた。
『浅木が泣いたところ』『浅木が笑ったところ』と、映画中の俺の様子を事細かに観察していたのか、そんな栞ばかりが出てくる。ちょっと、恥ずかしいんですけど。
終盤の方は、確かに、映画と展開が違うみたいだ。
俺の観察の栞はない、代わりに、最後の一枚がはらりと落ちてくる。
『映画よりも浅木を観てて笑える。俺は、浅木が好きだ』
その文字を目にした瞬間、ぶわ、と、身体中から熱が込み上げてきた。
両手で栞を掬い上げ、何度も何度も、その文字を目で追いかける。
こんな、こんなの、ずるいだろ。
この本を手渡してきた南波の顔は、珍しく、頬が赤かった。
いつまで経っても誤魔化して、認めないでいる俺が、どうしようもなく格好悪い。
気付いたら俺は、スマホを持って、南波に通話を掛けていた。
『あ、浅木?』
「なっ、南波!」
『どうしたの、』
「感想、言っていい!?」
『え!? いや、ちょっと、待って、』
南波が、珍しく動揺している。
「駄目、待てない」
『いや、今俺外で、』
「じゃあ会いに行っていい!?」
『落ち着けって、』
「無理」
だってこの気持ち、今すぐ、伝えたいんだ。
ゴリ押しする俺に根負けした南波は、図書館の前の公園を指定した。
お互いの家の中間地点だし、ちょうどいい。
パーカーにジーンズ、ジャンパーを着て、俺は、家を出て走り出した。
すっかり夜になっているけれど、気にしていられない。
叫びだしたくて、仕方なかった。
結局、今日は一度も、南波と目が合わなかった。
始業式の後は下校のホームルームで明日からの予定の確認と、受験へ向けての改めての注意事項があり、教室の雰囲気がずーんと重くなったところで解散となった。
そういえば、南波とは進路の話もしたことがない。
あと数ヶ月で三年になり、クラス替えもある。
同じクラスになる保証はない。
そもそも、このまま、話もせずに終わってしまう可能性だって、ある。
――『その人に、会いたいと思いますか?』
鈴木弟の、真っ直ぐな瞳と、その問いかけを思い出して、唇を結ぶ。
今日は、部活がない。
図書室も、閉まっているかもしれない。
でも。
後悔したくなくて、俺は、久遠の「どっか寄ってかね?」という誘いに、「ごめん!」と断って、走り出していた。
「おー、頑張れよ、凌介!」
相談すらしていないのに、なんで頑張りに行くのがわかるんだ。
悪友に心の中で突っ込みつつ、でも少しだけ感謝する。
今日は、雪が降っていない。
廊下の窓からは、珍しく陽の光が差している。
地面に積もった雪が、きらきらと輝いていた。
何度も通ったはずの図書室なのに、無駄に緊張する。
もし開いていなかったらどうしよう。
ドアノブに手を掛けたとき、「浅木?」と後ろから声がした。
「! な、んば」
「今日は図書室、開かないよ」
笑っているのは、眼鏡を掛けて、制服をきっちりと着こなしている南波だ。
久しぶりに目が合った気がして、それだけで胸がじわりと熱くなる。
な、なんだこれ……。
「でも、俺は個人的に用があって。鍵借りてきたんだ、入る?」
「う、うん」
「どうぞ」
南波が自然に問いかけてくるから、俺もつい、頷いてしまう。
やっぱり、こういう手法が上手い。
ガチャリと鍵が開けられて、促され、中に入った。
未だにストーブがついていない室内は、冷える。
南波は慣れた手つきで石油ストーブに火を点けた。
カチリと音がして、慣れない匂いが、鼻を掠めていく。
「楽しかった?」
「ん?」
「合コン」
「ぅえ、」
なんで知ってるんだ!?
というのがまた顔に出ていたらしく、南波が吹き出して笑った。
「あれだけ大声で騒いでたら、嫌でも耳に入るって」
目を合わせなかったくせに、話は聞いていたらしい。
南波は手にしていた本をカウンターに置いて、俺を見た。
「いい子、いた?」
問いかけられて、首を振る。
いざ南波を前にしたら、何を言っていいのかわからなくなって、とりあえず、近くの椅子に座った。
カウンターにいる南波と、椅子に座る俺。
冬休み前の距離感に、戻ったみたいだ。
「南波こそ、」
顔を見ることができないまま、口を開く。
「サヤちゃんと、より、戻したのかよ」
小さく言うと、南波が、大きく目を見開いた。
答えがないのが不安になって、視線を上げると、表情を隠すように口許を抑えている南波が見える。
「いや、そうか、そうだよな。話の途中だったし、浅木、いなかったし」
自分を納得させるように呟く南波に首を傾げる。
南波は小さく息を吐いてから、手を下ろして、俺を見た。
「小川とは何もないよ」
「え」
「別れた理由言って、納得してもらっただけ」
「そ、そうだったんだ」
なんだか、急に、肩の力が抜けた。
それと同時に、サヤちゃんの、真っ赤な顔や、涙の残る顔が浮かぶ。
きっと、この、図書室にいる南波に、サヤちゃんも惹かれたんだろう。
――ん?
サヤちゃん、も?
「で? 浅木は、なんで急に連絡減ったの」
「う」
次はこっちの番、とばかりに、南波に言われて俺は再び目を逸らす。
それと同時に、心臓が、いやに速く鳴っていた。
ああ、逃げ出したい。
しかし、南波は、それを許してはくれないようだ。
カウンターにいたのに、今は、俺が座る椅子の隣にわざわざ腰掛けてきた。
「浅木」
答えを促され、俺は項垂れる。
「き、気まずかったからです……」
「なんで」
「サヤちゃんとの馴れ初め聞いて」
「へえ」
なんでそこで納得するんだ……。
そう思いつつも、南波の顔を見ることができず、俺は机に突っ伏してしまう。
「で、なんで合コン?」
「新たな出会いを求めて……」
「ふうん……」
南波は、俺の扱いが上手いのかもしれない……。
誤魔化すことができない問いかけを次々に投げかけられて、無駄に正直に答えてしまっていた。
「浅木ってさ、俺のこと好き?」
「は!?」
しかし次に投げられたストレートな剛速球には、思わず顔を上げてしまった。
隣に座る南波は、良い笑顔をしている。
「小川と俺が付き合うと思ったから、合コンに行ったわけでしょ? 諦めようと頑張ってるみたいじゃん」
まるで推理小説の謎を解くみたいに、すらすらと言い当ててくる南波は、ひどく上機嫌だ。
俺はわなわなと肩を震わせる。
もう、色々と、限界だった。
「しっ、し、知らね、」
「浅木、」
立ち上がって逃げだそうとしたら、隣の南波も立ち上がって、俺の腕を掴んでくる。
に、逃げられねえ……。
「これ、読んで」
「へ?」
引き寄せられると思ったら、胸元に、一冊の本を押し付けられた。
俺が受け取ると、南波の手が離れて自由になる。
「感想、待ってるから」
そう言う南波の顔は、珍しく、少し赤かった。
押し付けられた本は文庫本で、そのタイトルには、見覚えがある。
ふたりで観た、映画の原作だ。
二人きりの空間が耐えられなくて、俺は早々と図書室を後にした。
今日は冬にしては温かいからか、校庭の一部の雪が、じんわりと溶けている。
俺の心臓はドキドキと速く脈を打ちすぎて、顔が熱い。
南波から借りた本を早く読みたくて、その日は、寄り道せずに家に帰った。
上下ともに灰色のスウェットの部屋着に着替えて、ベッドに寝転んで本を読む。
映画と同じ設定で、主人公たちが雪山の館に閉じ込められて、連続殺人事件が起こっていく。南波が言っていた、映画と違う展開っていうのが気になって、いつもよりも速いペースで読み進めることが出来た。一人目の被害者が出て、みんなで話し合った後、主人公と幼馴染が違和感を抱いて、とある部屋に向かうと、首吊遺体が出てくる。ここは、俺が、映画で怯えたシーンだ。
思い返していると、はらり、と、一枚の紙がページとページの間から落ちてきた。
「!」
それは、シンプルな長方形の栞だった。
無地の中に、整った文字で『浅木が驚いたところ』と書かれている。
明らかに南波が書いたもので、じわじわと照れが込み上げてくる。
中身を読むのも忘れて、本を捲っていくと、また栞が落ちてきた。
『浅木が泣いたところ』『浅木が笑ったところ』と、映画中の俺の様子を事細かに観察していたのか、そんな栞ばかりが出てくる。ちょっと、恥ずかしいんですけど。
終盤の方は、確かに、映画と展開が違うみたいだ。
俺の観察の栞はない、代わりに、最後の一枚がはらりと落ちてくる。
『映画よりも浅木を観てて笑える。俺は、浅木が好きだ』
その文字を目にした瞬間、ぶわ、と、身体中から熱が込み上げてきた。
両手で栞を掬い上げ、何度も何度も、その文字を目で追いかける。
こんな、こんなの、ずるいだろ。
この本を手渡してきた南波の顔は、珍しく、頬が赤かった。
いつまで経っても誤魔化して、認めないでいる俺が、どうしようもなく格好悪い。
気付いたら俺は、スマホを持って、南波に通話を掛けていた。
『あ、浅木?』
「なっ、南波!」
『どうしたの、』
「感想、言っていい!?」
『え!? いや、ちょっと、待って、』
南波が、珍しく動揺している。
「駄目、待てない」
『いや、今俺外で、』
「じゃあ会いに行っていい!?」
『落ち着けって、』
「無理」
だってこの気持ち、今すぐ、伝えたいんだ。
ゴリ押しする俺に根負けした南波は、図書館の前の公園を指定した。
お互いの家の中間地点だし、ちょうどいい。
パーカーにジーンズ、ジャンパーを着て、俺は、家を出て走り出した。
すっかり夜になっているけれど、気にしていられない。
叫びだしたくて、仕方なかった。
