雪解けのブックマーク

3話



 初めて訪れた地元の図書館は、学校の図書委員の初めて見る顔をたくさん見せてくれた。
 温かな暖房の風に満たされた読書スペースでは、規則的に本のページを捲る音がする。
 少し離れた場所で、クリスマスの読み聞かせ会なんてものをやってるみたいで、本を読む声と、子どもたちも楽しそうな声が聞こえてきた。
 俺の視線の先には、文庫本に書かれている文字、時々、目の前に座る南波の顔。
 眼鏡がないからか、学校で見るよりも、表情が豊かに見える。
 何も喋らないけれど、目が柔らかくなったり、時々、口角が上がったりする。
 ――なんか、得した気分かも。
 きっとこの顔は、クラスの中で俺しか知らない。
 そんなことを考えると、何故か満たされた気になって、それに気付かない振りをして文庫本に視線を落とした。
 小説の中では、人が殺されて悲鳴が上がっている。



 「うわー、全員が犯人に見えてきた」
 死体を見つけた第一発見者、被害者と揉めていた人、被害者のことが好きだった人、お金に困っている人。登場人物全てが怪しく描かれており、文章を読んだ俺は頭を抱えて、気付いたら思ったことをそのまま口に出していた。
「ふは、浅木くんは推理したい人?」
「え、逆に推理しねーとかあるの?」
「俺は物語として楽しんでるから、そのまま読んじゃうかな」
「頭ん中で考えねえ?」
「考えるより先に文字を追っちゃう」
「流石、本の虫」
 本を読む手を止めて笑う南波の顔は、やさしい。
 自分の持っている文庫を指さして言う仕草は様になっているし、俺と同時に読み始めたはずのその一冊は、既に残りが半分以下になっていて目を疑った。
「早くね?」
「これぐらいじゃないと、全本制覇は目指せないかなって」
「た、確かに……」
 南波の目標を思い出して、妙に納得してしまう俺だった。
「図書室の本、毎日どれぐらい読んでんの?」
「んー、一冊から十冊?」
「範囲広ッ」
「週末は多めに借りて、家とか図書館で読むようにしてるから」
「週末も読書っすか」
「趣味ですから」
 不思議と、学校で話しているときよりも、会話が弾んでいる気がした。
 今日初めて見る私服といい、週末の過ごし方と言い、初めて知る南波の姿があるのは、悪くなかった。
「浅木くんは、何してるの」
「ん?」
「週末」
「部活したり、友達と遊んだり?」
「つくづく正反対だねえ、俺ら」
「それな!」
 南波がしみじみ言うのがおかしくて、俺も声を潜めて同意して笑った。
 自然と、距離が近付いた気がする。








 せっかくだから借りてみたら、と、南波に勧められて、初めて、図書館のカードを作った。店のポイントカードよりもシンプルで、白いカードに図書館の名前が刻まれているだけだ。裏にはバーコードがあり、それを読み込むことで貸出をしてくれるらしい。南波は慣れた様子で、読んでいる途中の本と、いつの間に選んだのか、数冊の本を追加して、借りていた。俺はまずはこの一冊を読み切るために、受付のお姉さんの話を聞きながら、無事に借りることができた。
「返すときも一緒に来る?」
「いいの!?」
「うん、そうしないと浅木くん忘れそうだし」
「それな! 助かる!」
 受付のお姉さんの会釈をして歩き出しながらのさりげない誘いに、ぱっと瞳が輝く。
 返すと言っても、期間内に受付で返却手続きをするだけなのだが、忘れる自信があった。
「最長で一ヶ月借りられるけど」
「さ、流石にもっと早く読み終わる……かなあ」
 自信のなさを滲ませると、南波が笑う。今日はいつもに増してよく笑っている気がする。
 そのまま、慰めるように、俺の肩を軽く叩いてきた。距離が縮まる。
「いつでもいいから、読み終わったら連絡して」
「うす」
「感想付きで」
「宿題みてえ」
「いいでしょ、二人の宿題」
「南波も感想くれんの?」
「そうしようか」
 こうして、俺と南波の、読書交換日記? の約束が生まれてしまった。
 耳元で聞く南波の声は意外に低くて、くすぐったいけど、悪くないと思った。
「ついでに、これ」
「何?」
「栞だって、無料配布中」
 南波が手渡してきたのは、シンプルな長方形の栞だった。
 手に取ると、ざらりとした肌触りだ。
 栞も縁がなかったから、「さんきゅ」と礼を言って受け取って、今日読んだところに挟んでみた。なんだか、読書家になったみたいだ。





 「カフェ、寄っていかない?」
 本も借りたらあとは帰るだけか、と思ったら、入口の前に併設してある簡易的なカフェを指さして南波が言った。断る理由はなくて、頷く。
 外が見える大きな窓があり、小さな丸い椅子と丸机が置かれたスペースがいくつか用意されている。今は、一組の男女しか座っていなかった。空いている席に、荷物を置いて、レジの前へと並ぶ。
 オープンスペースで、カウンターにはブラウニーやフィナンシェ等の焼き菓子が売られていた。黒板には、可愛らしい手書き文字で、メニューが書かれている。
「何飲む?」
「んー、ココアかな」
「すみません、ホットコーヒーとホットココアひとつずつ」
「ん!?」
 なんか、すごくスマートに、奢られてしまっている気がする。
 店員のお姉さんは頷いて注文と値段を復唱し、俺が財布を出すと同時に、南波はスマホで決済を済ませていた。
「あ、小銭なかった!?」
「違う違う、今日は俺に付き合ってもらったから」
「何それ男前すぎね?」
 俺にカノジョができたとき、初デートの参考にしよう……。
 店員が渡してきたココアの紙コップを、南波が手渡してくるから、思わず両手で受け取った。
「ありがと」
「どういたしまして」
 じんわりとした暖かさが手のひらに伝わってきて、無性に照れくさい。
「つ、次は俺が奢るから!」
 そのまんまというのも悔しくて、俺はそう宣言して、そそくさと椅子に座った。
 無性に嬉しそうにしていた南波の顔は、見ることが出来なかった。






 ココアの温かさが、喉を通して身体全体に染み渡ってくる。椅子に深く腰掛けて大きく息を吐き出すと、向かいに座る南波が瞳を細めた。
「美味そうに飲むね」
「もらったもんは余計に美味いっす」
「それはよかった」
 南波はブラックのコーヒーを何食わぬ顔して飲んでいる。
 いや、俺だって飲め……なくはないと思うが、自分から挑戦しようと思わなかった。
「南波さあ」
「うん?」
 コーヒーを置いて足を組む姿も、様になっているから、ココアを持ちながらじとりとした視線で見る。
「モテるっしょ」
「え?」
「学校では本しか興味ねーみてぇな顔してるくせに、このギャップはヤバいって!」
「ぶはっ、どうヤバいって?」
「女の子放っておかねーみたいな……!? モテ男の匂いがする!!」
 俺が必死に言い募ると、吹き出した南波が、更に肩を震わせて俯き出した。何、爆笑!?
「言っとくけど」
 まだ笑いを引きずっている南波が、緩んでいる口許を抑えて俺を見た。

「ここに連れてきたの、浅木が初めてだよ」

 ――それってどういう意味?

「さ、そろそろ行こうか」
 さりげなく、「くん」がなくなった呼び方とか、意味深なその言葉の真の意味とか、色々突っ込みたいところはあったのに、突っ込む前に、コップを持ったまま南波が立ち上がったから、ココア片手に慌てて追いかける。
「ちょ、待てって!」
 呼びかけても振り向いてくれないのは、南波なりの照れ隠し、だったりして。







 入口傍のゴミ箱に飲み終えたカップを捨て、ビニール傘を手に一歩外に出る。
「さっっっっむ!!!」
 はらはらと降っていた雪は、その勢いを増していて、斜めに横切っている。
 冷たい風が痛いぐらいに頬に当たってきて、思わず言葉にしてしまった。
「吹雪いてきたね」
「寒すぎ、ヤバすぎ」
「鼻、真っ赤」
 そう言って笑う南波が、手を伸ばしてきた。
 鼻に触れられると思いきや、傘からはみ出した肩に積もった雪を、払ってくれた。
 いやいやいや、触られるとか何!?
 一瞬期待が過ぎってしまった気がして、俺は慌てて首を振った。
「なっ、南波は、バス? 歩き?」
「歩いても帰れるけど、今日は流石にバスにしようかな」
「お、俺も、そーしよっかなー」
「じゃあ、バス停まで行こう」
「う、うん」
 駄目だ吃ったカッコ悪。
 南波は気付いているのかいないのか、俺より半歩先を歩き出した。
 透明な傘に、白い雪が積もっていく。
 道を彩る新雪に、ふたり分の足跡が、新たに続いて行った。







 バス停までついたけれど、行き先は反対だった。そういえば、南波がどこに住んでいるのか詳しく知らない。
「じゃあ俺、向こうだから」
「うん」
 反対側の車道に行こうとして、
「南波!」「浅木、」
呼びかけたのは、同時だった。
 振り向いた先、南波と目が合って、思わず笑う。
「くん付け、やめた?」
「あ。だめ、かな」
「いや、いいよ。ダチだし、むしろ凌介でもいいけど?」
「いやさすがにそれは」
 しんしんと降る雪の中、互いの声が、やけに大きく聞こえた。
 クラスの友達はほとんど俺のことを下の名前で呼ぶから、その意味でも伝えると、南波は目を逸らした。恥じらうポイントがわかんねー!
「で、なに?」
「あ。ええと、浅木からどうぞ」
「ふはっ」
 譲り合いに笑ってしまう。
「冬休み中さ、また遊ばねえ? 今度は図書館じゃないとこで」
 バスが徐々に近付いて来てきる。
 少し歩きながら言うと、南波が僅かに瞳を丸めたあと、大きく頷いた。
「それ、俺も言おうとしてたんだ」
「約束! また連絡するわ、今日はありがとな!」
「うん。……風邪引くなよ」
「そっちもなー!」
 心配性な南波に笑って手を振って、駆け足で横断歩道を渡る。
 すぐにバスが来て、無事に乗ることができた。
 きっと、南波のバスもすぐに来るだろう。




 窓を見ると、車内との温度差で雪が溶けている。
 俺の胸の中も、なんだか、ふわふわとしていた。