「コングラチュレーション!」

 笑みを満面に浮かべた呂嗚流がグラスを上げた。

「コングラチュレーション!」

 皆もグラスを上げた。美家の広大な庭園で催された披露宴は喜びに包まれていた。

「綺麗ね~」

 純白のウエディングドレス姿にため息が集まった。

「馬子にも衣裳ね」

 羽織袴姿の新郎に忍び笑いが集まった。

「フランソワ、いい加減食べるのを止めてみんなと飲もうぜ」

 呂嗚流が手を振った。その時フランソワは結婚祝いとして送られてきた〈月の餅〉を食べるのに夢中だった。それは富裸豚からの贈り物で、月に移送した自己中駄王と側近につかせた特別な餅だった。しかし、食べ続けることは許されなかった。

「新郎が飲まないと盛り上がらないだろう」

 なみなみと注がれたビールグラスを強制的に渡された。

「一気にいこうぜ」

 呂嗚流がグラスをカチンと合わせると、フランソワは一気に飲み干した。

 うまい!
 この喉越しが、
 このキレが、
 プハ~、
 たまらんぜ!

 喉を鳴らすと、眩しすぎるほどの美しい笑みを湛えた椙子様が泡が盛り上がったジョッキを持ってきてくれた。
 それを一気に飲み干すと、「その飲みっぷりが好きよ」と華やかなピンクのドレスに着替えた玉留がウインクと共に新しいジョッキを手渡してくれた。

「ワン♪」

 絶好調になってまた飲み干すと、いきなり見知らぬ男がやってきた。差し出された名刺を見ると、『偉犬伝出版社』と書かれてあった。

「世界一のお犬様になられたフランソワ様の伝記を出版させて頂きたいのです」

 世界一の美女の愛犬から世界一の大富豪の夫になったというだけでも凄いことなのに、世界一のロックスターや世界一の権力者からめったに聞けない秘訣を探り出した手腕を余すところなく世に伝えたいのだという。

「と言われても僕は字が書けないし、パソコンも打てないから」

 無理だと断ったが、諦める様子はなかった。

「インタビューに答えていただければ、こちらで字を起こします」

 外堀を埋めるつもりのようだった。

「そう言われても……」

 披露宴の最中だからこれ以上付き合えないと突き放したが、彼は電卓を取り出して何やら打ち込み始めた。

「単価2,000円で、初版印刷が1億部、印税率を20%とすると、400億円になります」

「はっ⁉」

 一瞬息が止まったが、彼はそんなことを気にする様子もなく、世界には飼い犬が5億頭ほどいて、飼い主の2割ほどが買えば1億部になるので、売り切る自信があると余裕の笑みを浮かべた。そして更に、「今まで犬のロールモデルはいませんでした。だからこそフランソワ様のご経験を世に出さなければならないのです。というか、これはトップに立った方の義務なのです」と迫ってきた。
 それで内堀も埋められてしまったような気になった。義務と言われて断るのは難しかった。それに、400億円が入ってくれば呂嗚流と椙子の財団に寄付ができる。世界の愛と平和と未来に貢献できるのだ。

「わかりました。よく考えてみます。だから1日だけ時間をください」

「承知いたしました。良いお返事をお待ちしております」

 男は頭を深く下げてから背を向け、招待客の中に紛れていった。

        *

 その夜、玉留にお休みのキスをして書斎にこもったフランソワは、今日までのことを思い返した。

 最初は露見呂嗚流だった。彼に直接教えてもらったのは、
『成功するまで諦めない』
『独自性を磨く』
『流行を追わない』
『内面と真摯に向き合う』だった。
 更に、椙子様を通して、
『強く思えば必ず伝わる』
『歌は武器よりも強し』
 ということを教わった。

 犬であるにもかかわらず夫に選んでくれた是仁久留玉留にも多くのことを教わった。
『1円の収入増、1円の支出減、1秒のスピードアップ!』
『お金がお金を生む』
『選択と集中』
『厚利少売』
『レピュテーション・マーケティング』
『評判は信用になり、信用は崇拝になる』
『新規客→固定客→ファン』
『彼を知り己を知れば百戦危うからず』
『好きこそ物の上手なれ』
『株主総会に積極的に出席して社長の経営力や人物像を評価』
『ポートフォリオによる分散投資』
『独自性重視企業の発掘』

 それから、富裸豚覇王に教えてもらったのは、
『独自技術』
『赤字は悪』
『リーダーの務めは国民や社員を幸せにすること』
『国民の将来不安を取り除く』
『三方よし!』
『積極的に正しいことをする』
 だった。そして、
『組織はリーダーで決まる』
 と気づかせてくれた。

 もちろん椙子様からも教わった。
『愛、平和、未来』
 という素晴らしいコンセプトを。それだけでなく、
『愛が平和を創り、平和が未来を創る♪』
 という歌詞と歌に感動した。

 更に、偉大なミュージシャンからも多くのことを学ばせてもらった。

『愛が大事なんだ。愛こそがすべてなんだ。愛があれば人種差別なんて起こらないんだ。愛があれば戦争なんて起こらないんだ。愛があれば平和が続くんだ。平和が続けば明るい未来が開けるんだ!』と語ったのは、マイルス・デイヴィスだった。

 ジョン・レノンからは、
『国のために殺し合う必要はないんだ。違う国を敵だと思う必要はないんだ。みんな同じ地球人なんだから』
『想像してごらん。そして心の声を聞いてごらん。そうすれば何が正しいか何が間違っているかわかるから。いいね、想像してごらん。心の声を聞いてごらん』
 と教わった。そして、
♪ imagine all the people sharing all the world ♪
 とポール・マッカートニーが歌ってくれた。

 更に、マイケル・ジャクソンには、
『愛なき世界、平和なき世界、未来なき世界、それはゾンビの世界だ。みんなはゾンビになりたいのか!』
 と警告された。

 どれも至言と言えるものばかりだった。確かにこれを胸の内だけにとどめておくのはもったいない。彼の言う通りだ。一人でも多くの人と分かち合わなければならない。そして一つでも多く学んでもらって、より良い世界の実現を目指してもらいたい。それが僕の義務なんだ。

 でも、

 そこで疑問が湧いてきた。このくらいで満足していいのだろうかと。すべてを知ったわけではないのだ。確かにすごい経験はしたが、それで全部ではないのだ。まだまだ知らないことがいっぱいあるはずなのだ。そう気づくと、居ても立ってもいられなくなった。まだ落ち着くわけにはいかなかった。未知の世界が待っているのだ。

 行かなくては!

 もう自分を止めることはできなかった。

「長い旅に出ることを妻に伝えてください」

 秘書に告げて、愛の巣から旅立った。
 帰ってくる時には真のナンバー『ワン♪』になっていることを誓って。


 了