玉留と富裸豚の強力な支援を受けて椙子と呂嗚流は計画をスタートさせた。と同時にチャリティーコンサートの準備を始めるためにイギリスへ飛んだ。ポール・マッカートニーと相談するためだ。世界を驚かせる特別なコンサートにするためには彼の協力が欠かせないからだ。

        *

「わかった。今まで築き上げてきたすべての人脈を総動員して協力する」

 力強い声と共に握手のための手が伸びてきた。

 その手をがっしりと握った呂嗚流だったが、そのあとにポールが語ったミュージシャンの名前を聞いて気絶しそうになった。椙子は一瞬どころか1分近くも息が止まった。それほどのビッグネームだったし、通常ではあり得ない人選だった。

「信じられない……」

 口を右手で覆った呂嗚流の両肩にポールの手が伸びてきた。

「為せば成る!」

 ポールが笑みを浮かべて頷いた。

        *

『サハラ砂漠緑化推進チャリティーコンサート』が開演を迎えようとしていた。幕が上がる前のステージには、露見呂嗚流とポール・マッカートニーの呼びかけに応えて世界最高のミュージシャンが結集していた。
 ギターは、エリック・クラプトンとジミー・ペイジ。
 ドラムは、クイーンのロジャー・テイラー。
 キーボードは、ビリー・ジョエル。
 そして、ベースは、当然のことながら元ビートルズのポール・マッカートニー。
 しかし、そのことは関係者以外誰にも公表されていなかった。秘密のベールで包んでいたのだ。

 幕が上がった。ステージにスポットライトが当たると、楽器を持って構えるミュージシャンの顔が見えた。その瞬間、予想外のことが起きた。静寂に包まれたのだ。観客は誰もが口に手を当てていた。声が出ないようだった。信じられないというような顔をしていた。しかし、次の瞬間、悲鳴のような歓声が上がり、一気に爆発してステージに押し寄せてきた。すると、それに呼応したロジャー・テイラーがスティックでカウントを叩き出し、イントロが始まった。

 ウオ~! 

 つんざくような歓声が会場にこだました。その声に呼ばれるように空中から2人が舞い降りてきた。呂嗚流と椙子だった。世界一カッコいいロックスターと世界一の美女が目の前に現れたのだ。

 キャー! 

 歓声と嬌声が大爆発し、誰もが髪を振り乱した。

 2人がステージに降り立つと、スタンドマイクを気障に持った呂嗚流と、ハンドマイクを両手に持った椙子のデュエットが始まった。『愛・平和・未来』だ。

 愛が平和を創り、平和が未来を創る♪

 魂のメッセージが観客の心に沁みた。それだけではなかった。全世界に向けた放送を通じて、世界中の視聴者の心に染み渡っていった。

 愛が平和を創り、平和が未来を創る♪
 愛が平和を創り、平和が未来を創る♪

 間奏が始まり、ツイン・リードギターが炸裂した。そして、三度や五度の和音による流れるような華麗なギター・ハーモニーが始まった。その素晴らしさに観客が酔いしれていると、再び歌が始まり、エンディングに雪崩れ込んだ。

 ラヴ、ピース、フューチャー♪
 ラヴ、ピース、フューチャー♪

 ステージ全員の合唱が始まった。合わせるように観客全員が歌い出した。

 ラヴ、ピース、フューチャー♪
 ラヴ、ピース、フューチャー♪

 大合唱になった。観客全員が肩を組んで歌っていた。それをテレビで見ていた視聴者たちも歌い始めた。そして肩を組んだ。夫と妻、親と子供、恋人同士、友達同士、知らない者同士、世界中の人々の心が一つになった映像がステージに設置された大型ディスプレーに映し出された。

 興奮のるつぼの中、曲が終わった。すると、会場の灯りが消えて女性の姿が浮かび上がった。玉留だった。

 えっ? さっきまで僕の隣にいたのに……、

 フランソワは目を疑いながらもステージ上の彼女を見つめた。彼女の両脇には2人のミュージシャンが立っていた。一人はトランペットを、もう一人はサックスを持っていた。リック・ブラウンとボニー・ジェイムスだった。コンテンポラリー・ジャズ界を牽引する世界最高レベルのミュージシャン2人。フランソワが息を呑んで見つめる中、玉留の合図で演奏が始まった。

 あっ、この曲、

 フロリダの別荘で聞いた『シェイク・イット・アップ』だった。

 振って揺られて刺激を受けろ!

 気分が爽快になってきた。観客全員も体を揺すっている。

 シェイク、シェイク! もっと体を揺らそうぜ。
 シェイク、シェイク! 脳と細胞に刺激を与えようぜ。
 シェイク、シェイク! このノリ最高。
 シェイク、シェイク! 振って揺られて刺激を受けろ!

 フランソワはノリに乗って踊っていたが、2人のミュージシャンが目を合わせたのに気がついた。

 あっ、残念、エンディングだ。

 と思った時、2人が同時に飛び上がって着地した。

 ジャン♪

 決まったぜ!

 その瞬間、明かりが消えて玉留とリック・ブラウンにスポットライトが当たった。神秘的なピアノとベースの音に導かれて、誰かを呼び込むようなリック・ブラウンのトランペット演奏が始まった。
 すると、玉留が天井を指差した。

 誰かいる……、

 その誰かがトランペットを吹き始めた。

 この音は……、

 息を呑んだ。

 もしかして……、
 まさか……、
 でも……、

 誰もが信じられないというような目でその彼を見つめた。

 そんな中、その人がステージに降りてきた。まさか、だった。マイルス・デイヴィス。

 ウッ、ワ~~!

 会場は驚声に包まれた。それだけでなく、観客全員が自分の頬をつねった。しかし、痛みを感じたのか、それが現実だということを理解したようだった。

「あの世からやって来たぜ!」

 彼が大きな声を発した。

「お帰りなさい」

 ポールが笑顔で迎えると、観客の温かい拍手が続いた。偉大なミュージシャンを目の当たりにしたフランソワは身動き一つできなくなったが、頭の中にはかつて呂嗚流から聞いた話が蘇っていた。

 モダンジャズの帝王と呼ばれたマイルスは多くの演奏者やリスナーに多大な影響を与えた唯一無比の存在だったという。だが、残念ながら1991年に65歳という若さで亡くなってしまった。しかし、奇跡が起こり、今夜、突如、姿を現したのだ。ポールが仕組んだこととは知らないフランソワがじっと見つめる中、あのギョロっとした目で観客を見渡してから熱く語り始めた。

「愛が大事なんだ。愛こそがすべてなんだ。愛があれば人種差別なんて起こらないんだ。愛があれば戦争なんて起こらないんだ。愛があれば平和が続くんだ。平和が続けば明るい未来が開けるんだ!」

 会場は水を打ったようにシーンとなった。誰もが彼の言葉に引き込まれているようだった。それだけではなく、テレビを見ている10億人以上の人達も声を発していなかった。地球上から話し声が消えたも同然だった。

 再びマイルスが口を開いた。

「これ以上憂鬱なことが起こらないことを信じて」

 愁いを帯びた表情のマイルスがメンバーに視線を向けると、それを合図にしたように『カインド・オヴ・ブルー』のメドレーが始まった。すると、暗闇の中からメンバーの顔が浮かび上がり、同時に「えっ?」という声が会場のあちこちから漏れた。誰もが目を疑っていた。それは当然の反応だった。あのミュージシャンたちがステージに立っていたからだ。 
 ピアノが、ビル・エバンス。
 サックスが、ジョン・コルトレーン。
 ベースが、ポール・チェンバース。
 そして、ドラムが、ジミー・コブ。
 なんと、1959年のレコーディング・メンバー全員がステージの上にいた。観客は誰も身動きせず、ただ演奏に酔いしれていた。

 美しい演奏だった。静かに、しかし時として激しく、魂を揺さぶる演奏だった。余りの素晴らしさに観客は皆ポカンと口を開けていた。

 全5曲の演奏が終了した時、マイルス・デイヴィスが手を上げて微笑んだ。

「じゃあ、そろそろ帰るよ」

 そう言い残して、あの世に戻っていった。彼の消えゆく姿を見送っていたポール・マッカートニーがマイクを掴んだ。

「次にご紹介するゲストは、」

 指差した先の大きなスクリーンにデフォルメされた顔のイラストが映し出された。最初はマッシュルームカットだった。それが真ん中分けの長髪に変化した。そして、短い髪になると同時に独特な丸いメガネが強調された。その瞬間、悲鳴に似た歓声が上がった。誰もが知っている偉大なミュージシャンに違いなかった。

「ジョン!」

 ポールが呼びかけると、イラストが実写に変わった。ジョン・レノンだった。間違いなく本物だった。会場は興奮のるつぼになった。それを静めてポールが話し出した。

「彼はシャイだから会場には来てくれなかったんだけど、リモートならOKだよって言ってくれたんだ」

 すると、ジョンが口を開いた。

「ヤァ」

 その一言だけで会場が揺れた。
 あの口調だった。はにかんだようなあの声だった。

「歌ってくれるかい?」

 ポールの問いかけにジョンは頷き、ピアノを弾きながらあの名曲を歌い出した。

『イマジン』

 大合唱になった。それが全世界に広がった。地球全体が大合唱に包まれるのに時間はかからなかった。

 歌い終わったジョンが「想像してごらん」と語りかけた。

「この世に国ってあるのかな? 国という概念に縛られる必要はあるのかな?」

 そこで口をつぐんだ。すべての人に考えてもらおうとするかのように。しかし、沈黙が長く続くことはなかった。

「もうわかったよね。そんなものはこの世にないってことが。だから国のために殺し合う必要はないんだ。違う国を敵だと思う必要はないんだ。みんな同じ地球人なんだから」

 そして、それは宗教も同じだと説いた。宗教の違いで憎み合ったり殺し合ったりするのは間違っていると静かな声で諭した。

「想像してごらん。争いの中で生きるのと平和な中で生きるのとどっちが幸せか」

 すると、ポールが歌い出した。

 ♪ imagine all the people sharing all the world ♪

 それは、この地球が誰のものでもないことを表していた。みんなのものなのだ。みんなが分かち合うものなのだ。

「想像してごらん。そして心の声を聞いてごらん。そうすれば何が正しいか何が間違っているかわかるから。いいね、想像してごらん。心の声を聞いてごらん」

 そこで声が消えると、スクリーンから姿も消えた。しかし、会場にいるすべての人の心の中にジョンは残り続け、その言葉はとどまり続けた。それだけでなく、彼が望む平和な世界を実現させなければならないと強く自らに言い聞かせた。彼がみんなの心を一つにした。

「ありがとう、ジョン」

 残像に向けてポールが手を振った。
 しかし、いつまでも名残を惜しんではいなかった。「もう一つ特別なプレゼントがあります」と言ったのだ。その瞬間、会場がざわついた。マイルス・デイヴィスやジョン・レノンと肩を並べるミュージシャンなどいるのだろうかという懐疑的なざわつきだった。
 それでもポールは動じなかった。自信満々の様子で「もう一人の特別ゲストは、」と言って指を鳴らした。その瞬間、スクリーンにスポットライトが当たり、シルエットが浮かび上がった。

 えっ?
 もしかして……、
 まさか?
 ウソッ!

 誰もが驚く中、イントロが流れて2人が歌い始めた。

『ガール・イズ・マイン』

 スクリーンが上がると、そこにはマイケル・ジャクソンがいた。
 会場が絶叫で埋め尽くされた。それは歌が聞こえないほどの大音量だった。それでも、ポールの横に移動したマイケルがウインクをすると一気に静かになり、2人の歌声が会場を支配した。

 誰もが2人のデュエットに酔いしれた。しかし、それは序章でしかなかった。あの大ヒット曲がメドレーで歌われたのだ。

『ビリー・ジーン』と『今夜はビート・イット』

 でもそれだけでは終わらなかった。あのナレーションが流れてきたのだ。不気味な笑い声が響く中、あのイントロが始まった。すると、観客を背にしていたマイケルが振り向いた。
 狼男になっていた。ステージに並ぶミュージシャンの顔はゾンビだった。そして、全員によるゾンビダンスが始まった。

 マイケルが会場を指差した。その瞬間、観客全員がゾンビになった。更に、テレビカメラに向かって牙をむくと、視聴者も全員ゾンビになった。全世界でゾンビダンスが始まった。世界中のゾンビが『スリラー』を合唱した。

 歌が終わると、マイケルがマイクを握って叫んだ。

「愛なき世界、平和なき世界、未来なき世界、それはゾンビの世界だ。みんなはゾンビになりたいのか!」

 その瞬間、世界中の人がハッとした。自分達がゾンビへの道を歩んでいることに気づいたのだ。全員が強く頭を振った。

「本当だな。もしウソだったら」

 マイケルが牙をむくと、会場は静まり返った。息が詰まるような静まり方だった。それが永遠に続くかと思われた時、ポールがマイケルの肩に手を置いて微笑みかけた。

「俺たちはそんなに馬鹿じゃない。大丈夫だ」

 その途端、マイケルが人間の顔に戻った。同時に観客も視聴者も人間に戻った。それを見たポールがマイケルに微笑みかけた。

「一緒に歌ってくれるかな?」

 マイケルは返事の代わりにムーンウォークを始めた。
 それを合図に『愛・平和・未来』の演奏が始まり、マイケルが歌い始めた。

 ラヴ、ピース、フューチャー♪
 ラヴ、ピース、フューチャー♪

 会場が、全世界が、再度大合唱に包まれた。

 ラヴ、ピース、フューチャー♪
 ラヴ、ピース、フューチャー♪

 それを聞き届けたマイケルの体が宙に浮き始め、どんどん高くなっていった。そして天井に吸い込まれるように消えていった、手を振りながら。
 見送っていたポールが「ありがとう。安らかに眠ってくれ」と残像に声をかけた。そして、バンドメンバーに合図すると、ジャンプし、着地して、ジャン♪ と決めた。その瞬間、ステージ上からすべてのミュージシャンが消えた。