「大丈夫ですか?」

 遠くの方から誰かの心配そうな声が聞こえた気がした。
 ん? と思う間もなく、顔に生暖かいものが触れた。

 何? 

 驚いて目を開けると、犬が舐めていた。目が合うと、「大丈夫ですか?」と犬が言った。

 犬語が……、

 呂嗚流は慌てて飛び起きて、その犬と正対した。

「お前は誰だ?」

 言った途端、驚いて顎に手をやった。
 治っていた。外れた顎が元に戻っていた。
 ほっとした。しかし、頭に痛みを覚えた。かなり痛い。手をやると、大きなコブができていた。そのコブを擦っていると、ハッキリと思い出した。空から降ってきた正体を思い出した。
 この犬だった。この犬が空から降ってきて頭に直撃したのだ。その衝撃で気を失ったのだ。でも、そのお陰で外れた顎が治ったのも確かだった。

「お前は誰だ? どこから来た?」

 もう一度問うと、犬が答えた。

「僕はフランソワ。日本から来ました」

 日本から……、
 空を飛んで……、

 よく飲み込めなかった。
 問いを変えた。

「飼い主はいるのか?」

「はい。世界一の美女が僕のご主人です」

「なに、世界一の美女だと」

「はい。美椙子様と申されます」

 うつくしすぎこ……、
 なんという自慢たらしい名前なのだ、

 自分の名前をさておいて、見たこともないその女の名前に異様に惹かれた。

「お前の飼い主は美しすぎる女性なのか?」

 フランソワは居住まいを正した。

「世界一美しいお方です」

 すると呂嗚流がいやらしい顔になり、フランソワの目を覗き込んだ。

「まことか? ウソではあるまいな」

「まことにございます。天地神妙に誓って嘘は申しません」

 すると呂嗚流がニヤリと笑って、悪代官のような声を発した。

「近こう寄れ」

 悪徳商人を呼ぶように手招きをした。

「その美椙子とやらに会うことは可能か?」

 フランソワもニヤリと笑った。

「お望みとあらば」

 呂嗚流は大きく頷いた。

褒美(ほうび)はたんまりと遣わす」

「ありがたき幸せ」

 フランソワは上目遣いに呂嗚流を見た。

「頼んだぞ」

「御意!」

 悪代官と悪徳商人の密約が相整った。