「お待ちしておりました」

 蝶ネクタイをした正装姿の男性が玉留を出迎えた。玉留に続いてタラップを降りると、そこにはリムジン仕様のロールスロイスが待機していた。
 プライベート飛行場内を走るロールスロイスが向かったのはヘリコプターの発着場だった。車が止まると、そこに大きなヘリコプターが待機しており、既にローターが回っていた。

「プライベートヘリコプターよ」

 なんでもないように言ったが、蘊蓄(うんちく)は忘れなかった。『EC225スーパーピューマ』というVIP用ヘリコプターで、国内の要人だけでなく、外国の首脳などの移動手段としても使われているのだという。

「木更津の駐屯地に司令部を置く陸上自衛隊に3機あるんだけど、個人で持っているのはあたしくらいかもしれないわね」

 そして、フランス製で、全長が約20メートル、全幅が約16メートル、最高速度が320キロで、20人が乗れる広さがあると蘊蓄を続けた。

 乗り込んで驚いた。レッドカーペットが敷かれてあるのだ。もちろんシートは高そうな革張りだし、調度品はどれも最高級のものばかりだった。正に動く貴賓室といっても過言ではなかった。

「椙子さんの家までひとっ飛びよ。車や電車で移動するのは時間の無駄でしょ」

 余裕の表情で玉留がウインクを投げた。

 1秒のスピードアップか、
 いや、そんなレベルではない! 

 感心していると、「時間はお金で買うのが一番よ」と平然と言ってのけた。すると、さも当然のように爆音を発して、ヘリコプターが飛び立った。

        *

「着いたみたいね」

 あっという間に美家の上空に達し、ホバリングが始まった。
 そして玄関前の広いロータリーに爆音を轟かせて着陸した。
 すると、軽子が血相を変えて家から飛び出してきた。

「よっ」

 澄まし顔でヘリコプターから降りたフランソワが、額につけた肉球を映画俳優のようにキザに動かした。

「フランソワ……」

 軽子が口を大きく開けた。鷲に食べられたとばかり思っていたのだろう。しかし、すぐに「まさか幽霊じゃないわよね?」とフランソワの鼻を思い切り抓った。

 余りの痛さに飛び上がった。鼻は犬の急所なのだ。顔をしかめていると、軽子の目つきが変わった。その目には〈仕返しができる〉という文字が浮かんでいるように見えた。怨念が忘却の彼方から戻ってきたようだった。

「私を突き落とした憎き奴!」 

 叫ぶように発した軽子の犬歯がキラリと光った。
 それを見て、フランソワはニヤリと笑った。

「まだまだ未熟者よの~」

 敵意を隠そうともしない軽子を一瞥した。

「能ある犬は牙を隠す!」

「うるさい!」

 憎々しい目になった軽子がフランソワを睨みつけた。

「まあまあ」

 火花を散らすフランソワと軽子の間に玉留が割り込んだ。

「椙子さんにお目にかかりたいのですが」

「えっ、でも、椙子様は……」

 言い淀んだあと、軽子が衝撃的なことを口にした。

「露見呂嗚留様とのハネムーンに出かけられました」

 えっ! 
 ハネムーン? 
 椙子様と呂嗚流が? 
 そんなこと……、

 動揺して視線を玉留に向けると、目が点になっていた。そして白目になったと思ったら、崩れるように地面に落ちた。

「しっかりして!」

 助けようとして一歩踏み出したフランソワだったが、足元がおぼつかなかった。動揺が足にきていた。それが頭に及ぶのに時間はかからなかった。目の前が真っ白になって耳から音が消えた。

        *

「しめしめ」

 2人を見つめる軽子がほくそ笑んだ。しかし、すぐに恐ろしい顔になって、「仕返ししてやる!」と吠えた。

 気絶したフランソワを家に運び込むと、ロープで体をぐるぐる巻きにして、両手で抱きかかえてプールサイドまで行き、ニヤリと笑った。

「お前とは二度と」

 フランソワを右手だけで抱えて、左手で排水溝のハッチを開けるボタンを押した。すると直径2メートルのハッチが全開になり、プールの水が音を立てて渦になって吸い込まれていった。

「さようなら」

 永遠の別れを告げた軽子がフランソワを放り投げると、水しぶきを上げてプールの中に落ち、体がくるくる回り出した。そして、排水溝に吸い込まれていった。

 渦と共に去りぬ!

 軽子が合掌した。