「ロマネ・コンティはいかが?」

「えっ、ロマネ・コンティって……」

「そう、世界最高と言われているブルゴーニュのワインよ。うちのライバルね。だから飲むのよ。『彼を知り己を知れば百戦危うからず』って諺があるでしょう。あたしは積極的にライバル社のワインを飲むようにしているの。だって、自社のワインだけを飲んでいたら客観的な評価ができなくなるからね」

 なるほど、言われてみればその通り!

 フランソワは納得顔でロマネ・コンティを味わいながら、日本に向けて快適に飛行を続ける大型ビジネスジェット機のソファで玉留の話に耳を傾けた。

「あたしって料理の天才なのよ。今度手料理をご馳走するわね」

 料理? 
 なんでいきなり料理の話になるの? 
 僕が知りたいのはお金儲けの秘訣なんだけど、

 フランソワは頬を膨らませたが、そんな様子を気にすることなく彼女の話が続いた。 台所を片づけるお手伝いをするようになって、色々な食材に興味を持つようになったし、その食材を調理加工して鮮やかに盛り付けていく専属シェフを魔法使いのように感じたという。

「それでね、4年生くらいから料理に興味が湧いてきて、その専属シェフに色々と教えてもらうようになったの。するとね、完全にはまっちゃって、一日の大半を台所で過ごすようになったの。そうしたらね」

 いきなり、くすっと笑って、目を輝かせた。

「食材や調味料があたしに話しかけてきたの」

 は? そんなことはあり得ないでしょう、

「本当よ、本当なの。肉も魚も野菜も、そして、塩もコショウもオリーブオイルもみんな、いろんなことをいっぱい教えてくれたの。おいしい料理を作るための調理法を熱心に教えてくれたのよ」

 また~、

 フランソワはグラスの中に肉球を入れてロマネ・コンティで濡らし、眉につけた。

「唾の替わりにロマネ・コンティをつけないで!」

 口調はきつかったが顔は笑っていた。

「とにかく、あたしは料理が大好きになって、『好きこそ物の上手なれ』って言うけど、その通りで、料理の腕がどんどん上がっていったの。そして、専属シェフよりおいしいって言われるようになったの」

 誰から?

「両親からよ」

 へえ~、

「信じてくれなくてもいいけど、本当なの。で、ね、家の夕食はすべて玉留が作りなさいって言われたの。中学校に入学した日に」

 と言うことは、

「そう、専属シェフは首になっちゃった。可哀相だけど」

 (ひさし)を貸して母屋を取られちゃったんだ……、

 フランソワはシェフの行く末が気になったが、そんなことを気にする様子もない玉留は〈栄枯盛衰は世の常〉と言わんばかりに得意げに話を続けた。

「次の年に両親から通帳を渡されたの。通帳を開けるとね、専属シェフの年収と同じ額が記帳されていたわ。1,000万円よ。凄くない?」

 凄すぎる!

「それから大学を卒業するまで毎年1,000万円が振り込まれたの。10年間で1億円よ。凄くない?」

 彼女はそのすべてを株式に投資したと言って、平然と言葉を継いだ。

「大学に入ったら自由な時間が増えたから株主総会に積極的に出席したの。面白いわよ、株主総会。だって、社長の人間性がよくわかるんだもの。魅力のある人ない人、説得力のある人ない人、大局観のある人ない人、倫理観のある人ない人、本当によくわかるの。それでね、ダメ経営者の会社の株はすぐに売ったの。逆に素晴らしい経営者の会社の株は買い増ししたの。するとね、株価がどんどん上がって、卒業するころには資産が20億円以上になっていたわ」

 はっ? 
 22歳で20億万長者?

 ぶっ倒れそうになったが、玉留は平然とロマネ・コンティを飲み干し、50年を超えても味わいが進化すると言われているボルドー地区グラーヴの『シャトー・オー・ブリオン』を開けた。1957年ものだった。香り高くまろやかで、極上のコクが舌に絡む素晴らしいワインと評判の逸品なのだという。

 フランソワは香りを楽しみ、一口含んで噛むようにして飲んだが、うっとりする間もなく目がしょぼしょぼしてきた。ちょっと飲み過ぎたようだ。
 するとそれを察したのか、「眠たくなる前にいいことを教えてあげるわね。ポートフォリオって知ってる?」と顔を覗き込むようにした。

 ん? 聞いたことないかも、

 フランソワは目に気合を入れて聞く態勢に戻った。

「色々な意味があるけど、投資家の間では『分散投資』という意味で使われているの」

 投資を分散する?

「偏った投資はリスクが高くなるの。当たればいいけど、外れた時は大きな痛手を被ることになるの。そうならないようにリスクを分散するのがポートフォリオなの」

 ん~、わかったような、わからないような……、

「一つの会社や一つの業界だけに投資していると、悪い流れになった時にそれを止める手段が無いでしょう。でもね、複数の会社、複数の業界に投資していると、業績の良い会社や業界がカバーしてくれるの。悪い流れが来ても被害が小さくなるのよ」

 なるほど。

「あたしはね、色々試行錯誤した結果、『玉留の法則』を編み出したの」

 なんだそれ?

「これは誰にも言っていないことだから秘密にしてね」

 わかった。

「投資資金の50パーセントを大幅な増収増益を続けている好業績企業に、残りの50パーセントをAIやロボット、バイオなどの将来有望なベンチャー企業に投資するのが『玉留の法則』よ。別名『貯まるの法則』とも呼んでいるけど」

 ダジャレかい!

「好業績企業株で着実に配当と売却益を得ながら、有望ベンチャー株の大幅値上がりを待つ。そして、リーマンショックやブレグジットショックなどの大幅下落時に割安になった優良株を大量に仕込む。これがあたしのやり方なの」

 そこで不敵な笑みを浮かべた玉留は、「普通の人は株が上がり出したら買って、下がり始めると慌てて売るパターンが多いけど、あたしはその逆。人が売っている時に買って、買っている時に売るの。逆張りね」と自慢げに言った。

 ふ~ん。でも、株が下がっている時に買ったら損が拡大するじゃん。

「一時的にはね。でもね、平均購買単価を下げるという効果があるの。例えば、1,000円で買った株が500円に下がった時に買い増したら、平均購買単価は750円になるでしょう。そうやって平均購買単価を下げていったら値上がりした時の利益が大きくなるのよ」

 ん~、理論的にはそうかもしれないけど……、

「もちろん、どれでもいいっていうわけじゃないわよ。それをする価値がある会社かどうかの見極めが必要なの」

 それだよそれ、僕が訊きたかったのは。

「独自の技術を持っている会社、その技術を使って革新的な製品やサービスを開発している会社、その製品やサービスによって人々の生活を豊かにしようとしている会社、その3点が見極める時の基準よ」

 なるほど。
 でも、どっかで同じようなことを聞いたような気がするな。
 どこだっけ? 
 ん~と……、

 そうだ、思い出した。
 呂嗚流から聞いたんだ、HONDAジェットの中で。
 彼は独自性を磨くことが重要だと言っていた。

「他社にはない技術を持った会社が成長を始めると、一気に注目が集まって投資家が買いに走り株価が暴騰するの。10倍以上になることも珍しくないのよ」

 えっ、10倍?

「それだけじゃないの。株価が暴騰すると株式分割をすることが多いの。1株を2株に分割することが一般的だけど、中には1株を5株や10株に分割する会社もあるのよ。持株が一気に5倍とか10倍になるの。もちろんその時には株価も五分の一や十分の一に下がるけど、しばらくするとほとんどの場合また株価がどんどん上がっていくわ。だって独自性を持つ有望企業だから投資家が放っておかないのよ」

 なるほど。

「株式分割した会社の株価が分割前の株価に戻った時に売って、あたしは大きな利益を手にし続けてきたの。その積み重ねで今の資産を築いてきたのよ」

 なるほど、なるほど。

「お金がお金を生むっていうことはこういうことなの。あたしは投資しただけ。素晴らしい経営者や研究者、技術者がいる会社に投資しただけ。その経営者や研究者、技術者が企業価値を高めて、それが株主価値の向上につながって、株主であるあたしの資産を増やしてくれたの。あたしは経営も執行も何もしていない。投資しただけなの」

 なんか、少しわかってきたぞ。忘れないようにしっかり覚えなくっちゃ。

 フランソワは機内で聞いたことを整理して己の海馬に叩き込んだ。

 ①彼を知り己を知れば百戦危うからず
 ②好きこそ物の上手なれ
 ③株主総会に積極的に出席して社長の経営力や人物像を評価
 ④ポートフォリオによる分散投資
 ⑤独自性重視企業の発掘
 
 ん? ちょっと待てよ、
 犬でも株が買えるのかな? 
 株主総会に行けるのかな?

 フランソワが首を傾げた時、飛行機が降下を始めた。もうすぐ成田空港に隣接する玉留のプライベート飛行場に到着するのだ。
 頭を切り替えたフランソワは窓に顔を寄せたが、どんよりとした灰色の雲しか見えなかった。それを見ているとなんだか嫌な予感がして振り払おうとしたが、纏わりついて離れなかった。いや、離れないどころか、どんどん膨らんでいった。

 なにがあるんだ?

 不安になって玉留に助けを求めようとした時、突然、飛行機がガタガタと揺れ始めた。

 やめてくれよ~、

 心細くなって声を出したが、揺れが止まることはなかった。それに耐えながら降下していく中で得体の知れない不安に襲われたフランソワは、怖くなって目を開けていられなくなった。
 すると何故か瞼の裏に軽子の顔が浮かんできた。しかもその顔にはむき出しの敵意が表れていた。

 ヤバイ、

 顔から血の気が引きそうになった時、ドン、という音と共に飛行機が着陸した。最後まで揺れ続けたせいでコントロールが難しかったようだ。それでも無事に駐機場に辿り着いたので、フランソワの心は少し軽くなった。