同じ頃、呂嗚流はツアー最終日を迎えていた。3か月に渡る演奏旅行が終わろうとしているのだ。
 
 長かった……、

 本番前のチェックをすべて終えた呂嗚流の脳裏には、そのすべての演奏会場と観客の歓声が蘇ってきていた。

        *

 最初は北米公演だった。いつもの屋内会場とは違って、大リーグの本拠地30か所を巡った。ナショナル・リーグ16球団とアメリカン・リーグ14球団の本拠地球場だ。

 イチローが在籍していた『シアトル・マリナーズ』の本拠地で幕を開けた。そしてそこから南下して、サンフランシスコを本拠地とする『サンフランシスコ・ジャイアンツ』や『オークランド・アスレチックス』へ、そして更に南下して大谷が所属する『ロサンゼルス・ドジャース』や『ロサンゼルス・エンゼルス』へと西海岸を巡ったあと、中部へ移動した。デンバー、ダラス、ヒューストン、セントルイス、カンザスシティ、ミネアポリス。
 それが終わると、5大湖の周辺へと場所を移した。ミルウォーキー、シカゴ、デトロイト、クリーブランド、トロント。
 そして最後に東海岸を回った。ボストン、フィラデルフィア、ボルチモア、ワシントン。もちろんフィナーレを飾るのは『ニューヨーク・ヤンキース』の本拠地『ヤンキー・スタジアム』だ。アンコールが終わった時の観客の興奮と夜空に打ち上げられた何百発もの花火を忘れることはないだろう。

 短期間の休養日を挟んで、すぐに南米公演が始まった。北米とは違い、各国を代表するサッカースタジアムを巡る旅だ。チリ、アルゼンチン、ペルー、エクアドエル、コロンビア、ベネズエラを経て、最後は本場ブラジルで締めた。収容人数11万5千人を誇る世界最大規模のサッカースタジアム『マラカナン・スタジアム』だ。
 そこはサッカーだけでなく、大規模なコンサートも行われており、1988年にアメリカの女性歌手『ティナ・ターナー』が18万8千人の観客を集めたことで、『有料での女性ソロ・アーティストによるコンサート最大入場者数』としてギネスの世界記録に認定されている。
 その記録は今回破られるだろうとマスコミは騒いだが、なんの悪戯か結果は同数だった。スタッフは誰もが悔しがった。しかし、呂嗚流はそうではなかった。尊敬するティナ・ターナーを抜こうなんてさらさら思っていなかった。並んだことだけで十分なのだ。
 そんな思いが交差したせいもあるのか、アンコールのあと打ち上げられた花火の中に彼女の笑顔が見えた気がして、柄にもなく感動したことを覚えている。

 しかし、いつまでもそれに浸っているわけにはいかなかった。すぐにヨーロッパツアーが始まったからだ。ここでもサッカースタジアムを巡った。

 スタートはスペインだった。マドリードにある『エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ』。あのレアル・マドリードの本拠地だ。マラカナンほどではないが、それでも収容人数8万5千人を誇るヨーロッパを代表するスタジアムだ。
 そこで大成功を収めると、フランスに渡って『パリ・サンジェルマン』へ、更にドイツに渡って『バイエルン』へ、更にイタリアに渡って『ユベントス』の本拠地スタジアムで公演を行った。
 そして最後はイングランドの『アンフィールド』。1892年に創設されたビッグクラブ『リバプールFC』の本拠地スタジアムだ。
 もちろん、欧州ビッグクラブの中の王座『バイエルン』に並ぶと言われている『マンチェスター・シティ』の本拠地で行うという選択肢もあった。しかし、ビートルズ生誕の地を外すわけにはいかなかった。呂嗚流にとって魂の故郷ともいえる場所なのだ。

 そこで、旧知の人物と再会した。イギリスが生んだロック界のレジェンドだ。80歳を超えた今でも現役で活動していて、ライヴ活動だけでなく、ニューアルバムの録音にも取り組んでいる。

「おめでとう」

 満面の笑みで迎えてくれた。その顔には長期公演に対する労いと最終公演をリバプールにしてくれた感謝が浮かんでいるようだった。

「ありがとう」

 握った手を引き寄せ、呂嗚流は彼を抱きしめた。

「精一杯楽しんでくれ」

 頷いた彼は、呂嗚流のお尻をポンと叩いて特等席へと向かった。
        
        *

 リバプールでの公演を成功裏に終えた呂嗚流はスタッフとの打ち上げを終えるや否やHONDAジェットに飛び乗った。日本で待つ椙子の下へ向かうのだ。愛しい愛しい椙子に会えなかった3か月を取り戻さなくてはならない。一刻も早く帰らなければならないのだ。飛行機の中で走りたくなる衝動が沸き起こって抑えるのに苦労したが、じっと耐えてその時を待った。