――放課後。ガヤガヤした教室内で私がカバンを持って席を立つと、佐知が横から現れた。
その瞳は、昼間と同じ。決心したような目。
避けるように反対側の通路に出た。
「ちょっと、待って」と声が届く。
もしかしたら、さっき青空くんに何かを言われたのかもしれない。
「今日こそは話をしよう。私は諦めない……、諦めたくないよ」
背中に泣きそうな声が張り付いた。
でも、振り返りたくない。
不安定な気持ちのまま、廊下から階段を下り、一階フロアへ足を進めた。
通りすがりの生徒たちの間をすり抜け、前へ突き進んでいく。
髪が風になびいた。
あの頃のつらい出来事を振り払うかのように。
いまはクゥちゃんがいなくなった日と同じくらい、息が詰まっている。
「待って、美心っ!」
佐知の手は、私の左腕に追いついた。
私はきつく睨んで、手をほどく。
景色は、先ゆくところしか見たくない。
次第に、ハァハァと息が切れ、足が重たくなってきた。
でも、青空くんのある言葉が脳裏をよぎった瞬間、足が止まる。
『美心に幸せになって欲しい。……それが、僕の願いだから』
いまの自分は幸せなのだろうか――ふと我に返る。
佐知は仲直りしたいけど、私はただ逃げているだけ。
葛藤と向き合えなくて、青空くんの気持ちを無視してる。
ポケットの中には、食べ終わったブドウ飴の個包装がくしゃくしゃに入っている。
間接的に青空くんの想いが、まだここに残っている気がした。
「美心……」
佇んでいると、佐知も追いかけてくるのをやめた。
ふぅとため息をつき、軽くまぶたを伏せる。
「どうして追いかけてくるの? 私がどんな思いをしたか、わかってるの?」
背中越しに、低い声で伝えた。
気持ち的に、佐知の顔を見れる段階ではない。
「あの時はごめんなさい! あたしが悪かったの。不注意、で済む話じゃないんだけど、誤解だけは解きたくて」
握る拳に圧が加わった。
「意味わかんない。私を笑い者にしようとしてたくせに」
私は気持ちがどれだけ追い込まれたか。
不注意で、美化しようとしている意味がわからない。
「そっ、それは違……」
「あの切れ端を拾わなかったら、クラスどころか、私は学年中の笑い者になってた。なのに、誤解で片付けようなんて酷すぎる」
「違うの!」
「なにが違うの? 佐知だから、好きな人を教えたのに、嫌われてたなんて」
泣きそうな顔で振り返り、佐知を睨みつけた。
揺れている拳は、今日までの我慢を握りしめている。
もう、限界だった。
壊れそうな心を、両手で支え続けていたことが。
指の隙間からポロポロとこぼれていく感触が止まらない――その時、彼女は私の腕を引くと、力いっぱい抱きしめてきた。
「ノートの切れ端は捨てたんじゃないっ……。あたしの不注意で、落としてしまったの」
私の瞳は揺れ、肩の力が抜けた。
自分の記憶と佐知の認識が、少しズレている……?
「えっ……、落としてしまった? 捨てたんじゃなくて?」
思考が一時停止したまま、呟いた。
「そんなこと、するわけがないっ! 絶対、絶対にっ……」
緊張で張り詰めていた手が、ストンと落ちた。
感情的になっているせいか、佐知の体が震えている。
久しぶりに身近に感じる彼女の香りに、力が抜け、鼻頭が赤く染まっていく。
同時に、廊下のざわめきが耳に戻ってきた。
――それから、私たちは話し合った。
もちろん、切れ端の件は許せなかった。
でもそれは、私の気持ちを守る為。
嫌な想いをしたのには変わりないけど、佐知ばかりを責め立てていた自分が小さく見えた。
「誤解を解く力がなくて、ごめん。高槻くんが諦めずに美心に話しかけてる姿を見て、あたしも頑張らなきゃって。だから、高槻くんに相談してたんだ」
「青空くんに相談? 一体、なんの話?」
何か思い違いをしているのではないか、ということに気づく。
戸惑うあまり、高槻くんのことをつい青空くんと呼んでしまった。
「美心と仲直りしたいって伝えたの」
「えっ?! ……佐知が、青空くんに告白してたんじゃなくて?」
首を傾けて聞くと、佐知はきょとんした。
「どうして、話がそっち方向に行っちゃうの?」
「だって、『好きだからこそ、一緒にいたいしね』って言ってたから……」
動揺したまま、手振りを加えて伝えると、佐知はプッとふきだした。
「それ、全部美心のことだったんだけど」
てっきり、青空くんは佐知の気持ちに答えていたかと。
頭の中の糸が絡みだした。
つまり、青空くんは佐知の相談に乗ってた……だけ?
「へっ? 私はてっきり、佐知が青空くんに想いを寄せてたかと」
「そんなわけないでしょ。あたしは美心と仲直りすることで、頭がいっぱいだったよ」
ドッと全身の力が抜けた。
ここでようやく、青空くんが言ってた『勘違い』の意味を理解する。
勝手な解釈をしていた自分を思い返したら、急に恥ずかしくなった。
「話し合わなければ伝わらないことって、たくさんあるんだね」
「迷惑かけてごめんね……。美心さえよければ、あたしと仲直りしてくれないかな」
佐知はふっと息をこぼし、小学五年生当時に見せてくれていたような笑顔で、私の手を握った。
話を聞かずに突き放し続けていた自分も悪かったので、素直に頭を下げた。
「私こそ、ごめん。今度からはもう絶対に逃げない。約束する」
視界を歪ませたまま小指を差し出すと、佐知も自分の小指を絡め返した。
「うん、約束だよ」
触れたぬくもりは、優しくてやわらかく、どこか頼りない。
佐知の指先がこんなに温かかったことを、忘れていた。
他の人から見たら小さなことかもしれないけど、私は涙を誘うくらい嬉しかった。
ポケットの中のブドウ飴の個包装を握ると、青空くんの優しさが、そっと背中を押してくれるような気がした。
これからはもう、あの日のようにすれ違ったりしない。
……そんな気がした。



