三ツ葉グループ。持ち株会社である三ツ葉ホールディングスを頂点に、三ツ葉銀行、三ツ葉建設、三ツ葉重工、三ツ葉造船、三ツ葉エレクトロニクス、三ツ葉証券、三ツ葉フーズ、三ツ葉エージェンシー、三ツ葉不動産などを擁する、日本国内でも屈指の巨大企業グループである。
創業から僅か十年。
それにもかかわらず、三ツ葉グループは既に日本経済へ大きな影響を与えるまでに成長していた。銀行、建設、重工、食品、メディア、不動産――ありとあらゆる分野にその名を轟かせ、政財界においても三ツ葉の名を知らぬ者はいない。
そして、その巨大グループの頂点に立つ男がいた。
徳川光圀。
まだ三十代前半という若さでありながら、三ツ葉ホールディングス代表取締役社長にして、グループ全体の絶対権力者として君臨する男である。
もっとも、グループ内で彼を“社長”と呼ぶ者は少ない。
誰もが畏敬を込めて、こう呼ぶ。
――ご老公。
三ツ葉ホールディングス本社最上階。
重厚な会議室には、三ツ葉ホールディングスの重役たちと、各グループ会社の社長たちが一堂に会していた。
月例会議。
三ツ葉グループ全体の方針を決める重要会議である。
長大な楕円形のテーブル。その最奥の席に座る光圀は、資料へ静かに目を落としていた。
室内にいる者たちは皆、緊張している。
それも当然だった。
この男の一言で、数千億規模の事業が動く。
ある者は昇進し、ある者は左遷され、ある者はグループから消える。
それほどの権力を持つ存在が、今、この場に座っているのだから。
「……報告は以上です。ご老公の方から何かございますでしょうか?」
三ツ葉ホールディングス専務取締役、本多忠信が恭しく言った。
本多は四十代半ば。三ツ葉創業時代から光圀を支えてきた腹心であり、グループ内では“ご老公の右腕”と呼ばれている人物である。
光圀は資料を閉じると、静かな声で言った。
「各社は既に渡してある命令書通りに滞りなく業務を行うように」
短い言葉。
しかし、その場にいた全員が背筋を伸ばした。
「それから、三ツ葉エレクトロニクスの榊原社長」
「はい」
三ツ葉エレクトロニクス社長、榊原が姿勢を正す。
「来年発売予定のゲーム機、“ゲーム・ステーション”の進捗状況についてだが、問題点は何だと思う?」
榊原は一瞬だけ資料へ目を落とした後、慎重に答えた。
「はい。三点ございます。一つは半導体が自社製の物だけでは供給不足になる可能性が高い事。二つ目は広告予算の不足。三つ目はサードパーティーの参入不足です」
「なるほど」
光圀は淡々と頷く。
その横で、他社の社長たちは静かに様子を窺っていた。
ゲーム事業。
それは三ツ葉グループにとって未知数の分野だった。
成功すれば莫大な利益を生む。だが失敗すれば、巨額の損失を抱える事になる。
当然、グループ内でも賛否は分かれていた。
しかし、光圀は迷わない。
「三ツ葉銀行、酒井頭取」
「はい」
「広告予算として五億円を三ツ葉エレクトロニクスへ融資するように」
「承知いたしました」
酒井頭取は即座に頷いた。
五億という額を即断即決。
普通の企業なら役員会だの審査だのと時間が掛かる話だが、ここでは違う。
ご老公の決定は絶対だった。
「榊原社長」
「はい」
「広告費の増額については、水戸が言ってくるまで承諾するな」
その言葉に、数人の社長が僅かに視線を動かした。
水戸。
聞き慣れない名前だった。
榊原は事情を知っているのか、特に驚く様子も無い。
「中途採用でまだ一年とはいえ、三十過ぎて平社員のままでは悪目立ちしそうだからな。そろそろ手柄を立てさせて昇進させないと、底辺からでは見えないものもあるだろうし」
「確かに。広告費の件は了解いたしました」
榊原が頷く。
会議室にいる者たちは表情を変えない。
だが内心では思っていた。
平社員ごときに、何を期待しているのか、と。
光圀は続ける。
「半導体については天野電子に頼もう。以前、資金繰りに困って倒産しかけた時に助けている。俺からの頼みだと言えば快諾してくれるはずだ」
そう言うと、本多へ視線を向けた。
「本多。天野電子の天野社長に連絡しておいてくれ。担当は三ツ葉エレクトロニクスの水戸邦光という者が行くから、便宜を図ってほしいと」
「かしこまりました」
「サードパーティーについてだが、石川渉外部長」
「はい」
「各ゲームメーカーの担当者にアポを取れ。日時を俺に送れ。担当者は三ツ葉エレクトロニクスの水戸邦光だと伝えておくように」
「承知いたしました」
会議室の空気が僅かに変わる。
また水戸。
誰だ、その男は。
そんな空気が漂っていた。
光圀は気にした様子も無く言葉を続けた。
「それから榊原社長。ゲーム・ステーション開発プロジェクトチームを立ち上げろ。チームリーダーは企画部の水野愛子課長。メンバーに水戸邦光を入れろ。後のメンバー選定は任せる」
「はい、かしこまりました。本日中に選定し、明日辞令を出します」
「よし。本日の会議は以上」
すると進行役の本多が立ち上がる。
「本日の会議はこれにて終了。各自、ご老公の指示通り滞りなく業務を行うように。解散!」
一斉に椅子が引かれる。
社長たちは深々と頭を下げながら退室していった。
その中で、光圀は一人の男へ声を掛ける。
「三ツ葉建設の井伊新社長」
「は、はい!」
呼ばれた井伊は慌てて振り返った。
先月就任したばかりの新社長である。
「初めての会議はどうだった?」
「はい……緊張しました。しかも、国内トップクラスの企業グループ創業者が、こんなにお若い方だとは思っておりませんでした」
井伊は正直に答えた。
無理もない。
“ご老公”という異名から想像するのは、白髪混じりの老獪な経営者だ。
しかし実際に現れたのは、三十代前半の若い男だった。
光圀は薄く笑う。
「俺の事は“老公”と呼べと言ったろ」
「も、申し訳ございません、ご老公。しかし、まだ三十そこそこの方をご老公と呼ぶのは違和感がありまして……」
「理由は二つある」
光圀は歩きながら静かに言った。
「一つは、“老公”という呼び名によって、老獪な年寄りをイメージさせる事。そうすればライバル企業も若いと侮って、迂闊に手を出して来なくなる」
「なるほど……」
「もう一つは、“社長”では他の社長と混同するからだ。“老公”という唯一無二の敬称を使わせることで、グループ内に絶対権力者は一人しかいないと印象付ける」
井伊は思わず息を呑んだ。
そこまで計算しているのか。
単なる異名ではない。
ブランドであり、権威そのものなのだ。
「なるほど……分かりました、ご老公」
井伊は深く頭を下げる。
その様子を見ながら、光圀は静かに窓の外へ視線を向けた。
巨大都市。
無数の企業。
無数の欲望。
その全てを掌の上で転がすように、若き支配者は静かに微笑んでいた。
創業から僅か十年。
それにもかかわらず、三ツ葉グループは既に日本経済へ大きな影響を与えるまでに成長していた。銀行、建設、重工、食品、メディア、不動産――ありとあらゆる分野にその名を轟かせ、政財界においても三ツ葉の名を知らぬ者はいない。
そして、その巨大グループの頂点に立つ男がいた。
徳川光圀。
まだ三十代前半という若さでありながら、三ツ葉ホールディングス代表取締役社長にして、グループ全体の絶対権力者として君臨する男である。
もっとも、グループ内で彼を“社長”と呼ぶ者は少ない。
誰もが畏敬を込めて、こう呼ぶ。
――ご老公。
三ツ葉ホールディングス本社最上階。
重厚な会議室には、三ツ葉ホールディングスの重役たちと、各グループ会社の社長たちが一堂に会していた。
月例会議。
三ツ葉グループ全体の方針を決める重要会議である。
長大な楕円形のテーブル。その最奥の席に座る光圀は、資料へ静かに目を落としていた。
室内にいる者たちは皆、緊張している。
それも当然だった。
この男の一言で、数千億規模の事業が動く。
ある者は昇進し、ある者は左遷され、ある者はグループから消える。
それほどの権力を持つ存在が、今、この場に座っているのだから。
「……報告は以上です。ご老公の方から何かございますでしょうか?」
三ツ葉ホールディングス専務取締役、本多忠信が恭しく言った。
本多は四十代半ば。三ツ葉創業時代から光圀を支えてきた腹心であり、グループ内では“ご老公の右腕”と呼ばれている人物である。
光圀は資料を閉じると、静かな声で言った。
「各社は既に渡してある命令書通りに滞りなく業務を行うように」
短い言葉。
しかし、その場にいた全員が背筋を伸ばした。
「それから、三ツ葉エレクトロニクスの榊原社長」
「はい」
三ツ葉エレクトロニクス社長、榊原が姿勢を正す。
「来年発売予定のゲーム機、“ゲーム・ステーション”の進捗状況についてだが、問題点は何だと思う?」
榊原は一瞬だけ資料へ目を落とした後、慎重に答えた。
「はい。三点ございます。一つは半導体が自社製の物だけでは供給不足になる可能性が高い事。二つ目は広告予算の不足。三つ目はサードパーティーの参入不足です」
「なるほど」
光圀は淡々と頷く。
その横で、他社の社長たちは静かに様子を窺っていた。
ゲーム事業。
それは三ツ葉グループにとって未知数の分野だった。
成功すれば莫大な利益を生む。だが失敗すれば、巨額の損失を抱える事になる。
当然、グループ内でも賛否は分かれていた。
しかし、光圀は迷わない。
「三ツ葉銀行、酒井頭取」
「はい」
「広告予算として五億円を三ツ葉エレクトロニクスへ融資するように」
「承知いたしました」
酒井頭取は即座に頷いた。
五億という額を即断即決。
普通の企業なら役員会だの審査だのと時間が掛かる話だが、ここでは違う。
ご老公の決定は絶対だった。
「榊原社長」
「はい」
「広告費の増額については、水戸が言ってくるまで承諾するな」
その言葉に、数人の社長が僅かに視線を動かした。
水戸。
聞き慣れない名前だった。
榊原は事情を知っているのか、特に驚く様子も無い。
「中途採用でまだ一年とはいえ、三十過ぎて平社員のままでは悪目立ちしそうだからな。そろそろ手柄を立てさせて昇進させないと、底辺からでは見えないものもあるだろうし」
「確かに。広告費の件は了解いたしました」
榊原が頷く。
会議室にいる者たちは表情を変えない。
だが内心では思っていた。
平社員ごときに、何を期待しているのか、と。
光圀は続ける。
「半導体については天野電子に頼もう。以前、資金繰りに困って倒産しかけた時に助けている。俺からの頼みだと言えば快諾してくれるはずだ」
そう言うと、本多へ視線を向けた。
「本多。天野電子の天野社長に連絡しておいてくれ。担当は三ツ葉エレクトロニクスの水戸邦光という者が行くから、便宜を図ってほしいと」
「かしこまりました」
「サードパーティーについてだが、石川渉外部長」
「はい」
「各ゲームメーカーの担当者にアポを取れ。日時を俺に送れ。担当者は三ツ葉エレクトロニクスの水戸邦光だと伝えておくように」
「承知いたしました」
会議室の空気が僅かに変わる。
また水戸。
誰だ、その男は。
そんな空気が漂っていた。
光圀は気にした様子も無く言葉を続けた。
「それから榊原社長。ゲーム・ステーション開発プロジェクトチームを立ち上げろ。チームリーダーは企画部の水野愛子課長。メンバーに水戸邦光を入れろ。後のメンバー選定は任せる」
「はい、かしこまりました。本日中に選定し、明日辞令を出します」
「よし。本日の会議は以上」
すると進行役の本多が立ち上がる。
「本日の会議はこれにて終了。各自、ご老公の指示通り滞りなく業務を行うように。解散!」
一斉に椅子が引かれる。
社長たちは深々と頭を下げながら退室していった。
その中で、光圀は一人の男へ声を掛ける。
「三ツ葉建設の井伊新社長」
「は、はい!」
呼ばれた井伊は慌てて振り返った。
先月就任したばかりの新社長である。
「初めての会議はどうだった?」
「はい……緊張しました。しかも、国内トップクラスの企業グループ創業者が、こんなにお若い方だとは思っておりませんでした」
井伊は正直に答えた。
無理もない。
“ご老公”という異名から想像するのは、白髪混じりの老獪な経営者だ。
しかし実際に現れたのは、三十代前半の若い男だった。
光圀は薄く笑う。
「俺の事は“老公”と呼べと言ったろ」
「も、申し訳ございません、ご老公。しかし、まだ三十そこそこの方をご老公と呼ぶのは違和感がありまして……」
「理由は二つある」
光圀は歩きながら静かに言った。
「一つは、“老公”という呼び名によって、老獪な年寄りをイメージさせる事。そうすればライバル企業も若いと侮って、迂闊に手を出して来なくなる」
「なるほど……」
「もう一つは、“社長”では他の社長と混同するからだ。“老公”という唯一無二の敬称を使わせることで、グループ内に絶対権力者は一人しかいないと印象付ける」
井伊は思わず息を呑んだ。
そこまで計算しているのか。
単なる異名ではない。
ブランドであり、権威そのものなのだ。
「なるほど……分かりました、ご老公」
井伊は深く頭を下げる。
その様子を見ながら、光圀は静かに窓の外へ視線を向けた。
巨大都市。
無数の企業。
無数の欲望。
その全てを掌の上で転がすように、若き支配者は静かに微笑んでいた。



