散らかっていた机の上からものをどけ、ノートを広げる。
適当に教科書から引っ張ってきた英語の文章を書き込むと、淡色の蛍光ペンを並べて置いた。
ひっそりと1階へ下り、マグカップにココアを淹れて戻ってくると、ノートの傍らにあるコースターに置く。
画角を工夫し、机の上を斜めに撮影した。
手早くフィルターなんかの加工を施すと、SNSに戻ってくる。
“期末に向けて勉強。今日のお供はお母さんが淹れてくれたココア。いつもありがとう”
公開範囲を“すべて”に設定し、先ほどの写真と一緒に投稿する。
瞬く間にいいねとコメントがあふれた。
“素敵! お母さん優しくていいなぁ。うちの母親なんて怒ってばっかだよ”
大丈夫、わたしの母親も一緒だよ。
どこもそんなもんでしょ。
“Otoちゃんは今回も学年1位かな? わたしも一緒にがんばるー!”
今回も、っていうか1位なんて取ったことないけどね。
学年どころかクラスでも、教科ごとでさえも。
“どうしたらOtoちゃんみたいないい子に育ってくれるの”
いい子なんかじゃない、むしろ逆だよ。
反面教師にした方がいいんじゃない?
「……あー、最高」
ころっと騙されて望み通りの反応をくれる愛しいフォロワーたちのお陰で、すり減った自己肯定感が回復していく。
承認欲求や自己顕示欲が満たされていく。
なんて素晴らしい精神安定剤なんだろう。
ひと通りコメントに目を通すと、スマホを暗転させた。
途端に部屋の照明が1段階暗くなったんじゃないかと思うほど世界が褪せる。
魔法が解け、現実に引き戻された気分だった。
どうして、わたしってこんななんだろう。
理想の青春を思い描いては、ほど遠い現状に辟易する。
一時の満足感のあとには虚しさしか残らない。
でも、たとえ生まれ変わってもこんなふうには、Otoにはなれないだろう。
青春って、透き通っている割に底は見通せないほど深くて暗いから。
青くて濁っていて痛いもの。
眩しいのはぜんぶ幻想に過ぎない。
分かっていてもOtoに託して縋ってしまうのは現実逃避だ。
それくらいにあらゆることが不満で不足で、ままならない。
◇
「え、喧嘩したの?」
「喧嘩っていうか、何かあたしのこと好きすぎなんだよね。束縛がすごい」
束縛と言う割に亜里沙の顔は緩んでいるし、彼氏からのそれはきっと愛ゆえの健全なレベルのものなんだろう。
「なんだ、またのろけ? いいなぁ、本当に仲良くて羨ましい。わたしもそんな彼が欲しいよ」
お望み通りのリアクションをしてやり、心にもないことを口にする。
(なーんて)
現状に満足する“普通”の人間に、そんなものはいらない。
何らかのトラブルの種になりそうなものは遠ざけておいた方が賢明だ。
恋愛なんて、どう転んだって人間関係にひびを入れるんだから。


