「僕は……だから“いい子”でい続けなきゃだめなんだよ」

 母のために。
 生きていた頃は何もできなかったからこそ、母にとって理想の自分を演じ続けるのが義務になった。
 それくらいしか、もう僕にできることはない。

「そしたら、何かもう癖みたいになってた。誰かの望む自分、みんなの求める自分を演じて、作ることが」

 そしたら、みんな喜ぶから。
 笑顔や好意や受容(じゅよう)という、分かりやすいフィードバックをもらえれば安心できた。
 自分という存在を認めてくれたみたいで。
 むしろそんな自分じゃなきゃ価値なんかない。
 優等生で、勉強ができて運動もできて、誰にでも優しい、完璧ないい人────そんな僕じゃないと、たぶん誰にも必要とされない。

 本音も黒い感情も、ぜんぶぜんぶ奥へと押しやって笑顔で上塗りしてきた。
 心にもない言葉が平気で吐けるようになった。
 そこに優しさなんかない。
 ただ、相手の望むところをいち早く察して“速見千紘”という人間の枠に当てはめているだけ。
 みんなが求める自分であり続けるために、そうしてきただけだ。

 だからたまにひどく疲れて、ぜんぶ投げ出したくなる衝動に駆られることもあった。
 誰のために存在しているのか、誰のために笑っているのか、ばからしくなって。
 そんなうわべだけの付き合いが悲しくなって。

 それでも、結局“いい子”でいるしかなかった。
 そうじゃないと母の言葉まで、母との時間まで否定することになりそうで。

 初夏の気配を含んだ風が吹き抜け、はっと我に返る。
 何を言っているんだろう、僕は。
 何でこんなことを天沢に話す気になったんだろう。
 唐突に気恥ずかしくなり、慌てて話を締めようとした。

「僕はね、ただ臆病でわがままなだけ。だから別に、悪気とか打算とかで嘘ついて騙してたってつもりはない」

 ちらりと一瞥(いちべつ)して窺うと、案の定と言うべきか天沢は重厚な表情で目を落としていた。
 こんな話、いきなり聞かされてもそりゃ困るだろう。
 ぎゅう、と彼女は両手で柵を握り締めた。

「……そうだったんだ。わたし、何も知らずに速見くんのこと神格化してた」

 そのひとことに思わず力が抜ける。
 そうやって、思わず笑ってしまうのは今日2度目だ。

「大げさだな」

「でも実際、勝手に幻想抱いてた。人気者で完全無欠な速見くんは、完璧ないい人だって」

「じゃあ、いまは悪い人?」

 意地が悪いことを自覚しながら聞き返す。
 自信がないからって試すようなことばかり言うのは、僕のよくない癖だ。
 だが、天沢は意外にも嫌な顔をせず、代わりに難しい表情を浮かべる。

「そうじゃなくて。うーん、何て言うか……薄っぺらいなって」

「え?」