「乙葉」

 どす黒い思考の渦に沈みかけていたところ、辻くんに呼ばれて我に返る。
 笑顔を作る余裕まではなかったものの、どうにか「大丈夫」と答えた。

 当たり前と言えばそうだけれど、彼も騒ぎを知っているんだ。
 わたしのアカウントも見たんだろうか。
 みんなの反応を思えば、軽蔑されていないのが不思議だ。

「誰が黒板にあんなの書いたんだろうな」

「そんなの……」

 杏か速見くんだろう。
 少なくとも速見くん自身は否定していたけれど、どこまで信じられるものか。
 わたしが教室でそうしたみたいに、保身のために嘘をついた可能性だってある。

 辻くんにはあえて言ったりしないけれど。
 だって、意味ない。
 速見くんの親友である彼にそう言ったところで、どうせ信じない。信じるわけがない。
 特に嘘つきと非難されているわたしが、あの速見くんが犯人である可能性を示唆(しさ)したところで何の説得力もない。

 口をつぐんだわたしを気遣ってか、追及してくることはなかった。
 彼の場合は好奇心というよりも、ただ単に心配してくれているような気がする。
 少なくともそう見える。

「でもさ、おかしいよな。乙葉は別に何も悪いことしてないのに、こんな目に遭うの」

「……なに? それ」

 正義感からか、眉をひそめる辻くんを見上げた。
 ひねくれたわたしはどうしても不信感を隠せない。

「辻くんもどうせ、わたしのこと痛いと思ってるんでしょ」

「思ってないって。思うわけないだろ」

 予想外に力の込もった反論をされて驚いてしまう。

「劣等感とか虚栄心(きょえいしん)とか、そういう黒い感情は人間なら誰しも持ってると思うし。結局、自分が一番かわいいってもんだからな。……表に出すかどうかは別としてさ」

 意外な言葉が続けられた。
 そんなふうに率直に肯定されるとは。

「もしかして、辻くんも?」

「当然。でも、だから仕方ないよなーなんて開き直って他人を傷つけるのは間違ってる」

 そう言った彼の双眸(そうぼう)はどこか遠くに向けられているような気がした。
 妙な違和感を覚えて「……?」と訝しむ。

「それ、わたしに言ってる?」

「半分はね。残りの半分は……暴露した犯人に言ってる」

 やけに抽象的なもの言いに思えて戸惑う。
 励まされているような叱られているような、どっちつかずの感覚に覆われた。

「とにかく、乙葉。俺は味方だから」

 ふいに告げられたものの、図らずも心が震えた。
 救われたと思った────のに。