「いい加減にしてよ。わたしのことなんか何も知らないくせに、偉そうなこと言わないで!」
彼は口をつぐんだまま、一度うつむいた。
言いすぎたかも、なんて気を配れたことに我ながら驚く。
全然そんなことないだろうに。
「……何も知らないのは、きみも同じだろ」
ややあって返ってきたのは、底冷えするような声だった。
速見くんはやっぱり振り返らないまま「でも」と続ける。
「でも……ごめん。天沢には謝らないといけないな」
わたしの返事を待つことなく、校舎内に戻っていった。
ドアが閉まり、そよいだ緩やかな風が真横を通り過ぎていく。
何に対する“ごめん”だったんだろう。
彼とちがって、わたしには心なんか読めない。
優しくていい人で完璧な人気者。
そんな仮面を剥いだら、無地でまっさらな別の仮面に覆われていたみたいな手応えのなさ。
速見くんという人間の輪郭がずっとぼやけたまま、掴めないで振り回されている。
確かに腹は立った。嫌いだと思った。
だけど、いくら責めたところで気は晴れないし、謝られたところで嬉しくもない。
『……何も知らないのは、きみも同じだろ』
だから、だろう。
ほんの一面を見ただけで本性を知った気になるなんて傲慢だった。
牙を剥き続けていたことを少しだけ反省したとき、ふいに視界の端で何かが動く。
(なに……?)
塔屋の方だ。
もしかして、誰かいた?
わたしが屋上に出てからは速見くん以外に出入りもなかったし、もし本当に人がいたら最初からということになる。
会話も聞かれたかもしれない。
はっとして駆け寄ると、塔屋の裏手にも回って確かめてみる。
けれど、そこに人影はなかった。
何だか胸騒ぎがおさまらない。
(気のせい?)
確かに、何かが動いたような気配があったのに────。
居心地の悪さは教室内に留まらず、既に校内に蔓延していた。
あの黒板を見たか、クラスメートが他クラスの人に話したんだろう。下手したら他学年にも。
Otoに影響力があったというより、もともとOtoを知らなかった人たちもこの状況を面白おかしく楽しんでいるにちがいない。
あらゆる目がわたしを捉えている気がして、だけどひとつとして意識の内側に入っていないふりをして歩いた。
目の前にある遥か遠くを眺めていれば、周りが霞んで少しマシになった。
けれど、こんなふうに目を向けられていたこと自体はずっとそうだったんだろう。
いままではただ、見えていなかっただけ。
画面という壁を取り除けば同じことだった。


