だめだ。無理。
プライドを捨てて頼むなんて。
せっかく光の当たる場所で生きていけるようになったのに。
パシられてるからお金貸して、なんて言えるわけがない。
ばかにされる。鼻で笑われる。
(どうしよう、本当に盗むしかない? 誰かの鞄から……)
ちら、と適当な席に目をやった。
主は席を外しているけれど鞄は置きっぱなしになっている。
しかも、ファスナーは開いたままで財布が見えているという据え膳っぷり。
天の救いか、あるいは神さまに試されているんだろうか。
(でも、もう……本当にやるしか)
この執行猶予期間でクイーンの意に反することをやらかすわけにはいかない。
コーヒーショップで全員に奢ることが、失った信頼を回復する唯一の手段なんだから。
いま見放されたら、最悪の形でひとりになる。
神経質な鼓動を自覚しながら、意を決して鞄に歩み寄った。
そろりと慎重に手を伸ばす────。
「じゃあね、天沢」
ふいに心臓を貫かれる。
ぎくりと肩が跳ね、全身が強張った。
「……っ」
声も出ないほど驚いて瞠目したまま振り返ると、リュックを背負い直した速見くんが戸枠から出ていく。
ばくばくと早鐘を打ち、縮み上がっていた。
(わたし、いま何を……)
あえて何か言われることはなかったものの、彼もたぶんわたしが何をしようとしていたのか気づいたはず。
(もう……本当に嫌)
震える両手を握り締め、青ざめたまま教室を飛び出す。
何でこんなことになっているんだろう。
日を追うごとに、自分の心が壊死していく。
既にまともな判断力すら失いつつあった。
家に帰るなり自室へこもる。
罪悪感でお腹が膨れて夕食は喉を通りそうもなかった。
【ごちそうさま、乙葉! また行こうね!】
一見能天気な一花からのメッセージを見て、ますます気が滅入ってきた。
ため息をつくとスマホをベッドに放る。
結局、全員分を奢るには手持ちのお金だけじゃ足りなかった。
他人の財布を盗むなんてこともできず、一度家に帰って親の財布から抜き取った。
いまのところバレてはいないはず。
だけど、完全に一線を越えてしまった。
無理やり工面するにあたっての姑息な行動。
盗んだ瞬間からとめどない罪悪感に見舞われた。
でも、仕方なかった。どうしようもなかった。
そうやって、どうにか正当化しようとしても間に合わないくらいの自己嫌悪に飲み込まれる。
もう二度としない。したくない。
バレようがバレまいが、バイトでも何でもして絶対に返さなきゃ。
けれど、たぶんそう遠くないうちに同じような状況に陥る。
新作の飲みもの代に昼食代、カラオケ代……いいようにせびられ搾り取られるにちがいない。
そのときはどうすればいいんだろう。


