「あー、ちょっと混んでて」

「昼休みだもんね。あ、わたしもちょっと行ってこようかな」

 焦るほど不自然なくらい饒舌(じょうぜつ)になってしまう。
 心臓が早鐘(はやがね)を打つのを自覚しながら、逃げるように席を立った。

(やばい、やっちゃった)

 一花たちと悪口で盛り上がる最中、杏だけはずっと口をつぐんでいたことにいまさら気がつく。
 決して良心の呵責(かしゃく)などではない。
 最初のひとことだけは最低限、一花たちに合わせてみせたのだから。
 あとから自分の非となるような材料を落とさないよう、自制していたのだろう。

 完全にわたしの失態だ。
 日頃、かなり鬱屈(うっくつ)していたせいで自分でも制御不能になってしまった。
 彼女の前でぼろを出したことになる。

(もし、本当に聞かれてたら……)

 確かに築いてきたはずの足元がぐらつくような錯覚を覚える。
 自分の浅はかさを悔いながら、もはや祈るしかなかった。



 放課後になると、教室の騒々しさが増す。
 ちくりと痛んだ左手の人差し指を見ると、指先に赤い線状の小さな傷が浮かんでいた。

 先生の声が耳を(うわ)滑りするだけでなく、教科書の端で指を切ってしまうほど注意散漫の状態だった。
 まだ滲んでこようとする血を拭おうと、ティッシュを取り出したとき。

「ねぇ、天沢」

 ふと横から呼びかけられてどきりとした。
 速見くんが身体ごとこちらを向く。

「あのさ、古典のノート貸してくれたりしない?」

 いつもは遥か遠い世界にいるような彼と、席替えでたまたま隣の席になってから一週間。
 事務的な会話がほとんどだけれど、ぽつりぽつりと言葉を交わすことがあった。

 大げさじゃなく、いまだけ地上に舞い降りてきた天使みたい。
 それくらい尊い神聖な存在に感じられて、隣の席という事実にも、話しかけられるたびにしばしば浮ついてしまった。

 だけど、純粋な憧憬(しょうけい)の反面、あまりの眩しさに卑屈(ひくつ)になる自分も共存していた。
 誰かが輝いて光を放つ分だけ、別の誰かが影に隠れることになる。
 光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるというもの。

 誰にでも分け隔てなく、平等な優しさと笑顔を向ける速見くんはいい人だ。
 でも、同時に残酷。
 いっそ影と同化するほど隠れていたいのに、中途半端に照らされては惨めになる。
 比ぶべくもない彼と自分を比べてしまうのは、そのせい。

 話しかけてくれるのは、何の取り柄もないわたしに同情しているからなんじゃ?
 対等に話すのも図々しいと、本当はみんなに後ろ指をさされているんじゃ……?

 自己肯定感の低さから来る極端なマイナス思考は、だけど完全に的外れと言えるんだろうか。
 先ほどまで心を満たしていた優越感がさらさらと消え去り、醜い劣等感が圧迫してくる。
 苦しい。眩しすぎて染みる。

「……天沢?」