20分ほど歩くと、大きな通りに出て、右手にファミレスが見えた。1階が駐車場で2階が店舗のようだった。ランチタイムが終わったのか、車が2台と自転車が3台しか止まっていなかった。

 中に入ると、がらんとしていた。窓側のテーブルに三組いるだけだった。わたしは躊躇わず壁側の席を選んだ。ここなら他の客に話を聞かれる心配がなさそうだからだ。

 店員がメニューを開いて、それぞれの前に置いた。アフタヌーンメニューだった。おいしそうなデザートセットが並んでいた。その甘さが落胆した彼女を救ってくれるかもしれないと思った。しかし、彼女がメニューを閉じると、テーブルを沈黙が支配した。彼女は何もしゃべらなかった。わたしも声の掛けようがなかった。閉じたメニューに視線を落として、ボーっと見ていた。

 それでも店員が注文を取りに来ると、沈黙から解放された。彼女はデザートの盛り合わせセットを、わたしはコーヒーゼリーサンデーとパンケーキのセットを頼んで、笑みを交わした。でも、店員がその場を離れると、また沈黙の餌食になった。彼女は窓側の方に視線を向けたし、わたしは壁紙の模様を見るともなく見ているしかなかった。

 少ししてセットが運ばれてきて、彼女の前にプチケーキ三種とホットコーヒーが置かれた。わたしの前には小さなパンケーキとコーヒーゼリーの上にアイスクリームが乗ったものとホットコーヒーが置かれた。彼女はブラックでコーヒーを飲んだあと、ガトーショコラに手を伸ばした。そして、ブリュレのココットとダブルアイスを一気に平らげた。わたしはまだパンケーキを半分も食べていなかった。追い付こうとパンケーキにナイフを入れた時、彼女のか細い声が耳に届いた。

「ごめんなさい」

 うな垂れていた。いや、萎れているように見えた。

「間違いなくあの数字だと思ったのですけど……」

 わたしは彼女がダイヤル錠のツマミを回して止めた数字を思い出していた。

〈4〉と〈6〉

「あの数字は?」

 彼女が小さく頷いた。

「兄の大ファンの画家の誕生日なんです」

 それはラファエッロの誕生日だった。4月6日。

「あの日、家に帰って遅くまで兄のことを考えながらラファエッロの画集を見ていたら、突然、閃いたんです。彼の誕生日に絶対間違いないと。それで居ても立ってもいられなくなって今仁さんに電話をしたんです」

「なるほど……」

 わたしは16世紀のフィレンツェでラファエッロの工房に弟子入りできたかもしれない高松さんのことを思い浮かべた。彼の顔は念願叶った喜びで満ち溢れているようだった。それは両親の想いも一緒に叶えることができた喜びなのだろうと思った。それほどラファエッロを愛している高松さんなら、その誕生日を開錠番号にするのは当然ではないだろうか。とすれば、〈4〉と〈6〉以外にはあり得ないのではないだろうか。そういう思いがどんどん強くなっていったが、しかし、現実は違っていた。開錠はできなかったのだ。

 う~ん、

 目を瞑って頭の中で唸っていると、彼女の頼りなげな声が聞こえた。

「どうしたらいいんでしょうか……」

 見ると、彼女は虚ろな表情でわたしを見ていた。返す言葉はなかった。ただ見つめ返すことしかできなかった。それでも頭の中では〈4〉と〈6〉の存在感が増していた。ラファエッロにあれほど強い想いを持っている高松さんがそれ以外の数字を開錠番号にするわけはないのだ。わたしは彼女がダイヤル錠のツマミを回した時の状況を思い浮かべた。4、そして、6……、

「あっ!」

 窓際席の客や店員が振り向くほどの大きな声が出ていたが、そんなことに構わず、立ち上がって伝票を掴んだ。

「行きましょう!」

 促したが、彼女は何がなんだかわからないというような表情のままわたしを見上げていた。

「早く!」

 彼女を再度促してからレジへ急ぎ、支払いを済ませて、階段を走るように降りた。彼女も続いて走り下りてきたので、それを確認したわたしは脇目もふらずにアパートへの道を急いだ。季節外れの夏日が体温の上昇に拍車をかけていたが、それでも立ち止まらず先を急いだ。彼女がちゃんと付いてきているか不安だったが、振り返らず急いだ。