早めに現場に行って、監督が到着するのを待った。高松さんが急に辞めることになったことを伝えなければならない。道々考えたが、もっともらしい言い訳は思いつかなかった。だから、仕方なく高松さんの案に従った。既に亡くなっているご両親にもう一度死んでいただくのだ。気は進まなかったが、それ以外に選択肢がないので、どうしようもない。顔も知らないご両親に手を合わせて、〈ごめんなさい〉と呟いて許しを請うた。

 そのことを監督に伝えると、眉間に(しわ)が寄った。松山さんの件もあったから、胡散臭(うさんくさ)いと思われたに違いない。大きく頭を振っているうちに眉が上がってきた。それが我慢ならないというような顔になって、「急に辞められたら人の手配ができないだろう!」と怒声を浴びせられた。

 わたしはただ(うつむ)いて彼の怒りが収まるのを待った。それ以外に為すことは何も無かった。「いい加減にしろ!」という捨て台詞が頭の上を通過するまで自分の靴を見続けていた。

 そんな様子を見ていたのだろう、松山さんが心配そうに声をかけてきた。その気持ちは嬉しかったが、「なんでもないですから」と小声で返しただけで持ち場についた。

 その日の休み時間は一人で過ごした。松山さんのエッチ話に付き合う気分ではなかったし、一緒にいると高松さんのことを話してしまいそうなので、意識的に距離を置きたかった。
 その後も松山さんから誘いが続いたが、適当なことを言ってやり過ごして朝まで淡々と仕事をこなして家に帰った。

        *

 仕事で疲れているはずなのに、眠気はやってこなかった。寝るのを諦めたわたしはスマホを手に取って、二つのキーワードを入力した。

『徳島絵美』と『キュレーター』

 検索ボタンを押せば結果が出てくるのはわかっていたが、何故か躊躇った。彼女と、つまり高松さんの妹と繋がりを持つことによって何が起こるのか、それが変な方向に自分を連れて行かないのならいいのだが、〈もし抜け出せないような酷いことになったとしたら〉と思うと、指が動かなかった。

 やっぱり寝よう、気が進まないことを無理してすることはない、

 検索画面を×ボタンで消して布団に潜り込んだ。

        *

 夢の中に見知らぬ女性がいた。芸能人の誰かに似ていると思ったが、思い出せなかった。色が白くて、ウエーブのかかったセミロングで、顔はたまご型だった。唇はふっくらとして、鼻は高くも低くもなかった。はっきりとした二重で、眉は薄くなだらかな曲線を描いていた。何処にでもいそうで、実は何処にもいないタイプの女性だった。何より、好みの女性だった。こんな女性に巡り合って付き合うことができたらどんなに幸せだろう、と思うような理想のタイプだった。

「私を探して」

 彼女がわたしの耳元で囁いた。
 そして、耳たぶを甘噛(あまが)みした。

「君は誰?」

 耳たぶを噛まれながら問いかけた。

「あなたが知っている人」

 わたしは彼女の両肩を持って口を耳たぶから引き離し、真正面から顔を見た。

「君のような人は見たこともない」

「見たことがなくても名前は知っているわ」

 わたしは頭を振った。

「君みたいな素敵な人とは会ったこともないし、名前を聞いたこともない」

「そんなことはないわ。私の名前は知っているはずよ。早く思い出して」

 もう一度彼女の顔をじっくりと見た。しかし、何も思い出せなかった。

「もう行かなくっちゃ」

 突然、彼女はそう言って、わたしに口づけた。マシュマロのような柔らかな唇だった。

 唇を離すと、右の人差し指を突き出すようにした。わたしにも同じようにして欲しいと言われたので、右の人差し指を突きだすと、彼女の人差し指の先端がわたしの先端に触れた。その瞬間、接触した部分に光が灯った。そして温もりを感じた。

「私を探して」

 そう言い残して彼女が消えた。

 わたしは唇に右手の中指を当てた。彼女の感触が残っていた。甘い余韻が消えることもなくいつまでもわたしを包み込んだ。