薄紅の簪は狐将を呼ぶ――千年都で“証拠”と“契約”から始まる和風シンデレラ恋

第40章_薄紅の簪、祝言は作業着のまま
申の刻、評定の庭は張りつめた青に満ちていた。竹札が一度、低く鳴る。
  「言い渡す」
  公事所頭の声は余白のない筆致のように真っ直ぐだった。
  「一、綾女――家中統治の権限を剥奪、賠償と“親族会社取引の停止・再入札”を命ず。
  二、琴葉・真珠――虚偽申述の科料、家中役務の停止。
  三、御祓役頭人――罷免、監察回付の上、連座の件あり」
  朱の点が紙に落ちるたび、庭の空気が一つずつ軽くなっていく。観覧の市井は低くざわめき、親族衆はうなずき合い、榊屋の奉公人は胸の前で指を結んだ。
  綾女は扇を立てて笑った。目だけが笑わない。
  「顔は戻るわ。必ず」
  咲凪は返さない。白布を取り出し、三欄に割って最後の二語を置く。〈処分確定〉〈家維持〉。簪の歯で角を揃え、狐火の指輪を袖の底で静めた。
  言い渡しの受領順は明日美の段取り通り、刻半も狂わなかった。掲示は“短く大きく”。
  『権限剥奪/再入札・停止命』
  『科料・役務停止』
  『罷免・監察回付』
  春奈は要約紙の隅に一語ずつ置き、市井にも読める語だけを残した。
  夕刻へ。榊屋の軒下に等間の灯がともると、荷捌き所の板台が式台へ早替わりした。作業のために油で光る板は磨かれ、角は布で巻かれてやわらかい。
  「祝言の準備、開始」
  明日美の短い声に、人の流れが片回りに動く。のれんを掛け替え、帳場の前へ白布。春奈は誓いの文を読み上げる位置に立ち、呼吸を合わせている。大希は通りへ出て、「長く吐いて、短く進む」で近隣へ声掛けを回す。弱みを先に置くいつもの調子が、緊張をほどいていく。
  咲凪は、作業着の上に薄紅の簪を一本だけ挿した。飾り紐も房もない、細い銀に薄紅の光が乗る。
  「晴れ着に着替えなくて良いの?」と年配の女中が囁く。
  「家は、今日も動いています。――手を止めず、誓います」
  費用対効果、そして安全、最後に倫理。彼女の順序は祝言でも変わらない。白布の「入口」に小さく〈祝言〉と書いた。
  翔は社の榊に礼を置き、先に下働きへ頭を下げて回った。
  「灯を低くしてくれて助かる。子の手を離さずにいてくれて助かる。板を磨いてくれて助かる」
  礼は短く、熱は長く残る。狐火は自慢せず、指輪の奥で鼓を二度だけ打った。
  やがて、静けさの芯が出来た。春奈が墨色の声で始める。
  「誓いの文――『危険時は呼べ』『虚偽はつかない』『自分の足で歩く』。――本日、両名、その継続をここに記す」
  咲凪はうなずき、白布の「現象」に〈相互補完〉と置く。
  「理詰めで覚えた順序を、今日から“二人分”で運用します。――“紙”で決めることは“紙”で。人の働きは“礼”で守る」
  翔はわずかに笑って言葉を重ねた。
  「最小の力で、最大の被害軽減を。……君の順序に、俺の“断つ手”を合わせる」
  「証人」
  春奈が名を呼ぶ。
  「市井の連絡役――大希」
  「弱いとこ、先に言う。俺は人混みで詰まるけど、声は届く。……二人が“短い言葉”で場を動かすの、俺はずっと見てきた」
  笑いと拍手が波立つ。
  「次――町の若頭、裕斗」
  裕斗は前へ出て、広間いっぱいに届く声で、しかし最初に頭を下げた。
  「俺、何度も突っ込んで失敗した。――そのたび止められて、言葉をもらった。今日も先に聞く。俺は、何を運ぶ?」
  「『誓紙』の写しを“追い結び”で」
  「了解!」
  笑いの中で彼は紐を確かめ、誓紙の写しを掲げた。
  「続いて――社務の実務家、明日美」
  「段取りは“刻半”ずつ。――『掲示』『受領』『周知』も併走。二人の“順序”を組むのが、私の役割です」
  「――陰陽寮書庫掛り、春奈」
  「意見は要約し、対立は言葉で橋をかける。……黒墨は、焚かずに封箱した。今日の文は、晴れの墨」
  薄く笑みが走り、灯の芯が安定した。
  最後に、春奈が誓いの文を読み上げる。
  「『紙は嘘を嫌い、礼は働きを忘れない。――二人は今日より、紙の順序で結び、最小の力で断つ』」
  咲凪と翔が印を落とす。狐火の指が紙に淡く触れ、簪の薄紅が静かに応える。
  そこへ、ひときわ大きな拍手。大希が通りの向こうから戻って、短く言う。
  「“顔”を見に来た人たちへ“骨”を見せてきた。――貼り札、読まれてる」
  貼り札は二行だけ。
  『値は守る。支払は紙で守る。』
  それが今日の祝言の看板でもあった。
  宴は簡素だった。荷台に浅い膳、焙じ茶と団子。酒は回さない。誰もが明日の手のために、今夜は軽く笑う。
  「乾杯の挨拶を」
  と促され、大希は最後に弱みを先に置いた。
 「俺は声が震える。でも、言う。……“弱みを先に出す家”は、強い。二人がそう作ってきた。みんなで回せる。――おめでとう」
  拍手が灯へ昇り、夜の端がほどけた。
  片づけに移る人の流れの中、咲凪は白布を畳み、三欄の最後の語を置く。
  〈入口――処分言渡し〉〈現象――誓い・相互補完〉〈出口――家の再始動〉。
  簪の歯で結び目を一度だけ締める。ほどけやすく、落ちない結び。
  人いきれが薄れた頃、翔がそっと近づき、耳元で囁いた。
  「君の判断で、家は立つ」
  咲凪は小さく笑い、返す。
  「あなたの“最小の力”で、家は倒れない」
  狐火の指輪が衣の底で二度、柔らかく鼓を打った。薄紅の簪が、それに応える。
  白檀の香は、今宵は焚かない。紙と礼の匂いだけが、榊屋の夜に残った。
  ――家は今日から“再始動”。顔は、骨の上で笑う。