第39章_評定の庭、因果は巡る
翌々日の午刻。公事所の大庭は、薄雲を透かした光に満ちていた。旗竿の影は真っ直ぐで、影の先に置かれた長机の上には、押印台と朱が均等に並ぶ。人のざわめきは低く、しかし深い。市井、職人、親族衆、そして綾女一派――誰もが、今日の“骨”を見に来ていた。
咲凪は入場と同時に白布を広げ、三つに欄を割る。〈入口:責任の分界〉〈現象:虚偽・背任・偽造〉〈出口:処分の型と家の維持〉。簪の歯で角を揃え、狐火の指輪を袖の底でそっと静める。翔は短く頷き、下働きに小声で礼を置く。
「今日も助かる」
評定の座が整う。中央に公事所頭、その左右に書記、香道司、監察。列の手前に被申し立ての面々――綾女、琴葉、真珠、御祓役頭人。そして証言台の脇には、かつて景虎に従った家令が俯き加減に座る。春奈は掲示板に『争点表』を貼り、要点を大庭に響く声で読み上げた。
「一、『家財目録』と『支払停止届』により“資産保全の必要性”が認定されるか。二、『原印の所在・押収』により“印の違法移送”の有無。三、『納品経路図』により“不良札と親族会社の関係”。四、『香痕写し』と『封蝋室印影比較』により“偽造の筋”。五、『照合表』により“虚偽申述と利益相反”の確度――以上、五点」
公事所頭が竹札で机を軽く叩く。
「提出順は?」
「『提出順一覧』に従い――一、家財目録。二、原印押収記録。三、納品経路図。四、香痕写し・印影比較。五、照合表・公開質問状控」
明日美が束を五つに割り、角を揃えた。
最初の束が台に載る。家財目録――昨夜の受理印が鮮やかだ。
「“売り立て前の仮差止”により、営業資産の移動は阻止された。――榊屋は“沈没”を免れた」
書記の読み上げに、小さな安堵が大庭を撫でる。綾女の扇は笑う形を保ったまま、骨がわずかに鳴った。
二の束――原印押収記録。
「“奥の間・桐箪笥底”にて“原印”在。『開披三者立会』『封緘回付』。……“偽落款”は別筋にて押収済」
監察の筆が止まり、香道司が頷く。御祓役頭人は唇を噛み、視線を落とす。
三の束――納品経路図。
「“紙垂の倉”→“封蝋室”→“谷”の流れ。――親族会社“山科連”が節で噛む」
大希が一歩出て、いつものように自分の弱みを先に置く。
「俺、長く喋ると詰まる。……だから“短く”。“怖いこと”“困ること”を先に言って、職人の話を聞いた。――この経路図は、その“聞いた”で繋がってる」
その素直さが、場の硬い角をまた一つ丸める。
四の束――香痕写し・印影比較。
咲凪は香盤の薄紙を掲げ、簪の歯で層の輪郭を示した。
「“芯→油→煙”。――“芯濃”は“焚いて間が短い”。“奥の間・未刻”の芯は濃い。――『即日納入(夕刻)』の伝票と“時間”が一致しません」
香道司は薄紙を鼻先に寄せ、短く言う。
「“層、正し”。――『斜浅』の印影は封蝋室の癖と一致」
春奈が『争点表』に二語を足す。〈層一致〉〈斜浅一致〉。
五の束――照合表と公開質問状。
「“代表名義=綾女(Yes)”“例外許可=無(No)”“相反の疑い=Yes”」
短い語が重なり、骨が一段ずつ組まれていく。
ここで、公事所頭が視線を上げた。
「綾女。――弁はあるか」
綾女の扇がゆるく揺れ、声が滑る。
「家の“顔”を保つために、必要な支出をしただけ。……“上”との折衝は私の役目」
「“上”は“紙”で来ます」
咲凪が短く返し、公開質問状の一行を指した。
「“Yes/No”で答えられぬ折衝は、“家”の利を損ねました」
扇の骨が小さく鳴る。琴葉と真珠の顎が同じ角度で上がった。
御祓役頭人に問が向く。
「“偽落款携行”“通行順違反”。――誰の指図か」
沈黙。翔が一歩だけ前に出る。
「“軽減嘆願”の逃げ道を置く。――“主命”を言えば、“上流”で扱われる」
その声音は責めず、ただ最小の被害へ誘導する形。家令が先に反応した。
「……私は言う。駕籠の手配は、景虎さまの旧家令として、わしが動いた。だが“原印”の在り処までは知らなんだ。――“上”からの名は聞いていない」
家令の証言に、公事所頭の筆が動く。翔は軽く頷いた。
「助かった」
咲凪は白布の「現象」に〈証言=家令〉と記し、三欄の「出口」へ視線を落とす。
「“処分の型”は、家の維持を第一に」
公事所頭が竹札を打つ。
「評定――『責任の分界』」
読み上げは簡潔だった。
「一、綾女――『利益相反』『虚偽申述』の疑い濃厚。家中統治の“仮停止”。外注の“再入札”“親族会社取引一時停止”“承認印管理の是正”を“即時命”。
二、琴葉・真珠――『虚偽申述の補助』に該当。科料および“家中役務の停止”。
三、御祓役頭人――『偽落款携行』『通行順違反』により“拘置の上、罷免を前提に監察へ回付”。
四、家令――“軽減嘆願”の余地を認め、証言を上流に連絡」
最後に頭は竹札で机を一つ叩き、結語を置いた。
「処分言い渡しは“明日・申刻”。――本日はここまで」
大庭の空気が細く吐息をつく。安堵と悔恨と、まだ燃える白檀の尾。綾女は扇で唇を隠し、去り際に一言だけ落とす。
「“顔”は必ず戻すわ」
咲凪は答えない。白布の「出口」に〈家維持〉〈是正命〉〈明日・申刻〉と朱で置き、簪の歯で結び目を一度だけ締める。ほどけやすく、落ちない結び。狐火の指輪が衣の底で二度、柔らかく鼓を打った。
人が散り始める。大希は取引先の顔を一人ずつ見つけ、短く言葉を交わす。
「“値は守る。支払は紙で”――変わらない」
弱みを先に置く声は、相手の眉間の皺をほどいていく。
春奈は『争点表』を畳み、咲凪に手渡す。墨色の目は夜より静かだった。
「“因果”は紙で巡りました」
「うん。……明日、終わらせる」
明日美が段取りの紙を差し出す。
「“言い渡し”の受領順。――一、『停止命の受領・掲示』。二、『是正計画(案)』の提出。三、『協力者への周知』。時間配分は“刻半・刻半・刻半”」
「お願いします」
評定場を出る前、翔は下働きの若者二人に目を合わせ、短く礼を置いた。
「列を崩さずにいてくれて、助かる」
礼は短く、熱は長く残る。
公事所の門を抜けると、風が白檀の尾をさらっていく。人の流れが細くなる路地で、咲凪は立ち止まり、静かに息を整えた。
――因果は巡る。
“顔”は骨の上で笑い、“裁き”は紙の上で降る。
明日、申刻。家は、立つ。
翌々日の午刻。公事所の大庭は、薄雲を透かした光に満ちていた。旗竿の影は真っ直ぐで、影の先に置かれた長机の上には、押印台と朱が均等に並ぶ。人のざわめきは低く、しかし深い。市井、職人、親族衆、そして綾女一派――誰もが、今日の“骨”を見に来ていた。
咲凪は入場と同時に白布を広げ、三つに欄を割る。〈入口:責任の分界〉〈現象:虚偽・背任・偽造〉〈出口:処分の型と家の維持〉。簪の歯で角を揃え、狐火の指輪を袖の底でそっと静める。翔は短く頷き、下働きに小声で礼を置く。
「今日も助かる」
評定の座が整う。中央に公事所頭、その左右に書記、香道司、監察。列の手前に被申し立ての面々――綾女、琴葉、真珠、御祓役頭人。そして証言台の脇には、かつて景虎に従った家令が俯き加減に座る。春奈は掲示板に『争点表』を貼り、要点を大庭に響く声で読み上げた。
「一、『家財目録』と『支払停止届』により“資産保全の必要性”が認定されるか。二、『原印の所在・押収』により“印の違法移送”の有無。三、『納品経路図』により“不良札と親族会社の関係”。四、『香痕写し』と『封蝋室印影比較』により“偽造の筋”。五、『照合表』により“虚偽申述と利益相反”の確度――以上、五点」
公事所頭が竹札で机を軽く叩く。
「提出順は?」
「『提出順一覧』に従い――一、家財目録。二、原印押収記録。三、納品経路図。四、香痕写し・印影比較。五、照合表・公開質問状控」
明日美が束を五つに割り、角を揃えた。
最初の束が台に載る。家財目録――昨夜の受理印が鮮やかだ。
「“売り立て前の仮差止”により、営業資産の移動は阻止された。――榊屋は“沈没”を免れた」
書記の読み上げに、小さな安堵が大庭を撫でる。綾女の扇は笑う形を保ったまま、骨がわずかに鳴った。
二の束――原印押収記録。
「“奥の間・桐箪笥底”にて“原印”在。『開披三者立会』『封緘回付』。……“偽落款”は別筋にて押収済」
監察の筆が止まり、香道司が頷く。御祓役頭人は唇を噛み、視線を落とす。
三の束――納品経路図。
「“紙垂の倉”→“封蝋室”→“谷”の流れ。――親族会社“山科連”が節で噛む」
大希が一歩出て、いつものように自分の弱みを先に置く。
「俺、長く喋ると詰まる。……だから“短く”。“怖いこと”“困ること”を先に言って、職人の話を聞いた。――この経路図は、その“聞いた”で繋がってる」
その素直さが、場の硬い角をまた一つ丸める。
四の束――香痕写し・印影比較。
咲凪は香盤の薄紙を掲げ、簪の歯で層の輪郭を示した。
「“芯→油→煙”。――“芯濃”は“焚いて間が短い”。“奥の間・未刻”の芯は濃い。――『即日納入(夕刻)』の伝票と“時間”が一致しません」
香道司は薄紙を鼻先に寄せ、短く言う。
「“層、正し”。――『斜浅』の印影は封蝋室の癖と一致」
春奈が『争点表』に二語を足す。〈層一致〉〈斜浅一致〉。
五の束――照合表と公開質問状。
「“代表名義=綾女(Yes)”“例外許可=無(No)”“相反の疑い=Yes”」
短い語が重なり、骨が一段ずつ組まれていく。
ここで、公事所頭が視線を上げた。
「綾女。――弁はあるか」
綾女の扇がゆるく揺れ、声が滑る。
「家の“顔”を保つために、必要な支出をしただけ。……“上”との折衝は私の役目」
「“上”は“紙”で来ます」
咲凪が短く返し、公開質問状の一行を指した。
「“Yes/No”で答えられぬ折衝は、“家”の利を損ねました」
扇の骨が小さく鳴る。琴葉と真珠の顎が同じ角度で上がった。
御祓役頭人に問が向く。
「“偽落款携行”“通行順違反”。――誰の指図か」
沈黙。翔が一歩だけ前に出る。
「“軽減嘆願”の逃げ道を置く。――“主命”を言えば、“上流”で扱われる」
その声音は責めず、ただ最小の被害へ誘導する形。家令が先に反応した。
「……私は言う。駕籠の手配は、景虎さまの旧家令として、わしが動いた。だが“原印”の在り処までは知らなんだ。――“上”からの名は聞いていない」
家令の証言に、公事所頭の筆が動く。翔は軽く頷いた。
「助かった」
咲凪は白布の「現象」に〈証言=家令〉と記し、三欄の「出口」へ視線を落とす。
「“処分の型”は、家の維持を第一に」
公事所頭が竹札を打つ。
「評定――『責任の分界』」
読み上げは簡潔だった。
「一、綾女――『利益相反』『虚偽申述』の疑い濃厚。家中統治の“仮停止”。外注の“再入札”“親族会社取引一時停止”“承認印管理の是正”を“即時命”。
二、琴葉・真珠――『虚偽申述の補助』に該当。科料および“家中役務の停止”。
三、御祓役頭人――『偽落款携行』『通行順違反』により“拘置の上、罷免を前提に監察へ回付”。
四、家令――“軽減嘆願”の余地を認め、証言を上流に連絡」
最後に頭は竹札で机を一つ叩き、結語を置いた。
「処分言い渡しは“明日・申刻”。――本日はここまで」
大庭の空気が細く吐息をつく。安堵と悔恨と、まだ燃える白檀の尾。綾女は扇で唇を隠し、去り際に一言だけ落とす。
「“顔”は必ず戻すわ」
咲凪は答えない。白布の「出口」に〈家維持〉〈是正命〉〈明日・申刻〉と朱で置き、簪の歯で結び目を一度だけ締める。ほどけやすく、落ちない結び。狐火の指輪が衣の底で二度、柔らかく鼓を打った。
人が散り始める。大希は取引先の顔を一人ずつ見つけ、短く言葉を交わす。
「“値は守る。支払は紙で”――変わらない」
弱みを先に置く声は、相手の眉間の皺をほどいていく。
春奈は『争点表』を畳み、咲凪に手渡す。墨色の目は夜より静かだった。
「“因果”は紙で巡りました」
「うん。……明日、終わらせる」
明日美が段取りの紙を差し出す。
「“言い渡し”の受領順。――一、『停止命の受領・掲示』。二、『是正計画(案)』の提出。三、『協力者への周知』。時間配分は“刻半・刻半・刻半”」
「お願いします」
評定場を出る前、翔は下働きの若者二人に目を合わせ、短く礼を置いた。
「列を崩さずにいてくれて、助かる」
礼は短く、熱は長く残る。
公事所の門を抜けると、風が白檀の尾をさらっていく。人の流れが細くなる路地で、咲凪は立ち止まり、静かに息を整えた。
――因果は巡る。
“顔”は骨の上で笑い、“裁き”は紙の上で降る。
明日、申刻。家は、立つ。


