第37章_逃げ道の封鎖、落款はどこへ
翌朝の辰刻。北門へ向かう運河筋は、まだ朝露の気をまといながらも、人と荷の流れが早かった。夜のうちに走った噂――御祓役頭人が“印の包み”を抱え、外へ落ちる――が、通りの石畳をざわつかせる。
咲凪は北門手前の空き地に白布を広げ、三つに欄を割った。〈入口:逃走と印の移送〉〈現象:門・運河の二筋〉〈出口:人流結線で一方向化/最小衝突で捕縛〉。簪の歯で角を揃え、狐火の指輪を袖の底でそっと静める。
「“紙”は既に味方です。――門札の控え、夜回り帳、受理票。……次は“人の流れ”を紙の順に合わせます」
明日美が段取り表を差し出す。
「一、門は“入→東小門”“出→運河脚場”の片回り。二、脚場は“降り専用”。三、回船は“検め後の出”のみ。四、立会は“衛士・郡吏・社”の三者」
春奈が要約紙に二語。〈門片回〉〈脚降専〉。
大希は自分の弱みを先に置いた。
「俺、高い所が怖い。だから“城壁上の合図”は無理。……かわりに“地上の声かけ”をやる。『長く吐いて、短く進む』『入は東、出は脚』――短く配る」
「お願いします」
咲凪は白布の「出口」に〈結線〉と朱を置いた。
北門の衛士詰所。翔は先に湯を配り、短く礼を置く。
「朝から助かる。――今日は“ぶつからない手順”を先に作る」
礼は短く、しかし熱が残る。衛士頭は頷き、門札の控えを机上へ。
「夜五つ・亥刻に“御祓役頭人の駕籠”が外回りへ。――只今戻り印なし」
春奈が要約紙に二語。〈外回〉〈戻印無〉。
運河脚場。荷船が二艘、舫いを揺らす。検め所の書役が眠たげに目をこする。
「“出”は検め後“のみ”」
明日美の二語に、書役は肩を竦めたが、翔が荷縄を取って舫いを締め直すのを見て、苦笑しながら印箱を出した。
「“立会”は三者。書(か)け」
朱の点が三つ、紙の上で並んだ。
縄張りは迅速に施された。門前の柱に“入→東小門”の札、“出→脚場”の矢印。脚場へ降りる石段には“降り専用”の札。人の流れがゆるく片回りに曲がり始める。
そこへ、風切りの音――四人駕籠が小路から北門へ滑り出た。幕は鈍い鼠、担ぎ手は肩に力を溜めている。先触れの小者が印籠を掲げ、通行を命じた。
「“上意の移送”――道を開けられよ!」
咲凪は一歩も退かない。白布の「現象」に〈二筋〉と記し、声を短く落とす。
「“入”は東、“出”は脚。――順です。『回電写し』と『立会三者』あり」
小者の顔が赤くなる。
「“狐に化かされるな”! 道を――」
翔が半歩、前へ。
「“ぶつかる前に、順”。――押すな。……被害を最小に」
狐火の気配は出さない。ただ立ち位置と視線の角度で、担ぎ手の重心を前に流させない。
大希が地上で声を張る。
「“入は東! 出は脚!”――“長く吐いて、短く進む”!」
繰り返される短い言葉に、人の肩が自然に捩れて列が整う。衛士が二人、駕籠の脇へ入り、担ぎ棒の前へ“支点”の棒を差し込んだ。
「“止”――“検め”」
明日美が検め順の紙を差し出す。
「一、通過理由。二、荷(印包)の現物確認。三、貸出簿と回電の照合」
小者が唇を噛み、幕の内側に囁く。やがて、御祓役頭人自身が幕を少し上げて顔を出した。目の下に隈。
「“上”の用命だ。封(ふう)を煩わせるな」
「“上”は『紙』で来ます。……昨夜の回電は『拘束命令は無効』『臨検は範囲限定で続行』。――“印の移送”は含まれていません」
咲凪は控えを示し、簪の歯で角を叩く。
「“紙”の順で、ここを通します」
空気が割れる気配とともに、駕籠の後方から二人の手の者が躍り出た。棒の先に短い重り――足を払う狙いだ。
「“断つ”」
翔の一言。狐火がほとんど見えない角度で走り、重りの紐だけを焦がす。重りは石畳に鈍い音を立て、手の者の足元へ転がった。翔は彼らの前にわずかに体を入れ、肩を向けて圧を逸らす。
「“殴らせない”。――“ぶつからない”」
最小の衝突で、勢いは失われる。
その瞬間、裕斗が跳ねかけ――踏みとどまった。
「先に聞く。俺は、何をする?」
「“後備”。――脚場の“降り専用”へ“追い結び”を追加。支点を二つ」
「了解!」
裕斗は縄を走らせ、石段の手すりと杭に“追い結び”を作る。ほどけやすく、落ちない結び。
検め所の机に、包みが置かれた。厚手の布、紐の結びは固い。春奈が要約紙に二語。〈包=印〉〈紐=固〉。
「開ける」
書役が朱の許可を落とし、包みが解かれる。中から現れたのは“偽落款”――昨夜押収したものと同型の“二印組”。
「“原印”ではない」
明日美が印影比較表を並べ、欠けの位置と深さをなぞる。
「“斜浅”。――封蝋室の“癖”と一致」
咲凪は白布の「現象」に〈二印=偽〉と記した。
御祓役頭人の顔色が変わる。駕籠の奥へ引っ込もうとした腰を、衛士二人が左右から挟む。
「暴れるな」
翔が短く言い、肩の角度だけで反射的な肘を逸らす。
「“捕り物”は“最小”で」
衛士の縄が回り、手首へ“緊結”。
そのとき、脚場の端で小舟の櫂が水を裂いた。別の包みを抱えた小者が、舟で脚場下へ付けようとしている。
「“断つ”」
翔が視線を舟と脚場の間に置き、狐火を“水の皮”だけに走らせる。熱は水面に薄い膜を作り、舟の鼻先の勢いがわずかに鈍る。その間に、大希の声が飛ぶ。
「“出は脚! 降り専用!”――“上がるな、降りろ!”」
短い指示に押され、小舟は自ら身を引くように回頭した。衛士が脚場下の梯子を蹴り、昇降の“支点”を失わせる。舟は離れた。
検めは続く。包みの底から出た布包の一つ――印章台が入っていた。縁の布地に白檀の香が薄く移っている。
「“白檀”。……家の香」
咲凪は布の縁を簪の歯で撫でる。
「“移し香”。――家内で保管された時間がある」
春奈が要約紙に二語。〈移香=家内〉。
翌朝の辰刻。北門へ向かう運河筋は、まだ朝露の気をまといながらも、人と荷の流れが早かった。夜のうちに走った噂――御祓役頭人が“印の包み”を抱え、外へ落ちる――が、通りの石畳をざわつかせる。
咲凪は北門手前の空き地に白布を広げ、三つに欄を割った。〈入口:逃走と印の移送〉〈現象:門・運河の二筋〉〈出口:人流結線で一方向化/最小衝突で捕縛〉。簪の歯で角を揃え、狐火の指輪を袖の底でそっと静める。
「“紙”は既に味方です。――門札の控え、夜回り帳、受理票。……次は“人の流れ”を紙の順に合わせます」
明日美が段取り表を差し出す。
「一、門は“入→東小門”“出→運河脚場”の片回り。二、脚場は“降り専用”。三、回船は“検め後の出”のみ。四、立会は“衛士・郡吏・社”の三者」
春奈が要約紙に二語。〈門片回〉〈脚降専〉。
大希は自分の弱みを先に置いた。
「俺、高い所が怖い。だから“城壁上の合図”は無理。……かわりに“地上の声かけ”をやる。『長く吐いて、短く進む』『入は東、出は脚』――短く配る」
「お願いします」
咲凪は白布の「出口」に〈結線〉と朱を置いた。
北門の衛士詰所。翔は先に湯を配り、短く礼を置く。
「朝から助かる。――今日は“ぶつからない手順”を先に作る」
礼は短く、しかし熱が残る。衛士頭は頷き、門札の控えを机上へ。
「夜五つ・亥刻に“御祓役頭人の駕籠”が外回りへ。――只今戻り印なし」
春奈が要約紙に二語。〈外回〉〈戻印無〉。
運河脚場。荷船が二艘、舫いを揺らす。検め所の書役が眠たげに目をこする。
「“出”は検め後“のみ”」
明日美の二語に、書役は肩を竦めたが、翔が荷縄を取って舫いを締め直すのを見て、苦笑しながら印箱を出した。
「“立会”は三者。書(か)け」
朱の点が三つ、紙の上で並んだ。
縄張りは迅速に施された。門前の柱に“入→東小門”の札、“出→脚場”の矢印。脚場へ降りる石段には“降り専用”の札。人の流れがゆるく片回りに曲がり始める。
そこへ、風切りの音――四人駕籠が小路から北門へ滑り出た。幕は鈍い鼠、担ぎ手は肩に力を溜めている。先触れの小者が印籠を掲げ、通行を命じた。
「“上意の移送”――道を開けられよ!」
咲凪は一歩も退かない。白布の「現象」に〈二筋〉と記し、声を短く落とす。
「“入”は東、“出”は脚。――順です。『回電写し』と『立会三者』あり」
小者の顔が赤くなる。
「“狐に化かされるな”! 道を――」
翔が半歩、前へ。
「“ぶつかる前に、順”。――押すな。……被害を最小に」
狐火の気配は出さない。ただ立ち位置と視線の角度で、担ぎ手の重心を前に流させない。
大希が地上で声を張る。
「“入は東! 出は脚!”――“長く吐いて、短く進む”!」
繰り返される短い言葉に、人の肩が自然に捩れて列が整う。衛士が二人、駕籠の脇へ入り、担ぎ棒の前へ“支点”の棒を差し込んだ。
「“止”――“検め”」
明日美が検め順の紙を差し出す。
「一、通過理由。二、荷(印包)の現物確認。三、貸出簿と回電の照合」
小者が唇を噛み、幕の内側に囁く。やがて、御祓役頭人自身が幕を少し上げて顔を出した。目の下に隈。
「“上”の用命だ。封(ふう)を煩わせるな」
「“上”は『紙』で来ます。……昨夜の回電は『拘束命令は無効』『臨検は範囲限定で続行』。――“印の移送”は含まれていません」
咲凪は控えを示し、簪の歯で角を叩く。
「“紙”の順で、ここを通します」
空気が割れる気配とともに、駕籠の後方から二人の手の者が躍り出た。棒の先に短い重り――足を払う狙いだ。
「“断つ”」
翔の一言。狐火がほとんど見えない角度で走り、重りの紐だけを焦がす。重りは石畳に鈍い音を立て、手の者の足元へ転がった。翔は彼らの前にわずかに体を入れ、肩を向けて圧を逸らす。
「“殴らせない”。――“ぶつからない”」
最小の衝突で、勢いは失われる。
その瞬間、裕斗が跳ねかけ――踏みとどまった。
「先に聞く。俺は、何をする?」
「“後備”。――脚場の“降り専用”へ“追い結び”を追加。支点を二つ」
「了解!」
裕斗は縄を走らせ、石段の手すりと杭に“追い結び”を作る。ほどけやすく、落ちない結び。
検め所の机に、包みが置かれた。厚手の布、紐の結びは固い。春奈が要約紙に二語。〈包=印〉〈紐=固〉。
「開ける」
書役が朱の許可を落とし、包みが解かれる。中から現れたのは“偽落款”――昨夜押収したものと同型の“二印組”。
「“原印”ではない」
明日美が印影比較表を並べ、欠けの位置と深さをなぞる。
「“斜浅”。――封蝋室の“癖”と一致」
咲凪は白布の「現象」に〈二印=偽〉と記した。
御祓役頭人の顔色が変わる。駕籠の奥へ引っ込もうとした腰を、衛士二人が左右から挟む。
「暴れるな」
翔が短く言い、肩の角度だけで反射的な肘を逸らす。
「“捕り物”は“最小”で」
衛士の縄が回り、手首へ“緊結”。
そのとき、脚場の端で小舟の櫂が水を裂いた。別の包みを抱えた小者が、舟で脚場下へ付けようとしている。
「“断つ”」
翔が視線を舟と脚場の間に置き、狐火を“水の皮”だけに走らせる。熱は水面に薄い膜を作り、舟の鼻先の勢いがわずかに鈍る。その間に、大希の声が飛ぶ。
「“出は脚! 降り専用!”――“上がるな、降りろ!”」
短い指示に押され、小舟は自ら身を引くように回頭した。衛士が脚場下の梯子を蹴り、昇降の“支点”を失わせる。舟は離れた。
検めは続く。包みの底から出た布包の一つ――印章台が入っていた。縁の布地に白檀の香が薄く移っている。
「“白檀”。……家の香」
咲凪は布の縁を簪の歯で撫でる。
「“移し香”。――家内で保管された時間がある」
春奈が要約紙に二語。〈移香=家内〉。


