第30章_色返る都、黒い落款の所在
帰還三日後、午の刻。霞京の空は薄白く、御所の瓦が熱を返し始めていた。榊屋の荷車から降りると、咲凪は白布を公事所の板卓に広げ、三つに欄を割る。〈入口:谷の総合報告〉〈現象:不良札と偽落款の連結〉〈出口:監察と調査開始〉。簪の歯で角を揃え、狐火の指輪を袖の底で静める。
「受理の順を申し上げます」
明日美が提出束の背を軽く叩いた。
「一、〈風層段取り表・作業記録〉――谷の対処の証。二、〈納品経路図〉――山科紙問屋→封蝋室→納札倉。三、〈拾得封蝋片・粉〉――“斜浅”の欠け。四、〈押収目録写し〉。五、〈回電写し〉――『拘束命令は無効』『臨検は範囲限定で続行』」
公事所頭は髭の根を指で押さえ、「順を守るのはよい」と頷いて受領印を落とした。机の向かいでは陰陽寮監察が冷やかな目で紙に沿う。
春奈が要約紙を広げる。二行で骨だけを置いた。〈紙=逆〉〈封=癖〉。
「谷で確認した“逆向きの札”“煤”“油分”――これらは“封蝋室の通過記録”と一致する可能性が高いです」
「“可能性”では動けん」
監察の声は乾いている。
「照合票を用意しています」
咲凪は白布の余白に三行。〈向=矢印逆〉〈縁=煤〉〈封=斜浅〉。
「本日中に封蝋室の“出入り印”と“交代日”を当てます。先に、経路の“所有”を明らかにしたい」
大希が自分の弱みを先に置く。
「俺は……官の言葉はときどき詰まる。けど、人の家の網は回れる。登記所に“短い言葉”でお願いして、必要な写しを取ってくる」
公事所頭が係へ目線を送る。
「登記の写しは閲覧可だ。――立会をつけろ」
昼つ方、登記所。
大希は額の汗を袖で拭き、受付に正直に言う。
「俺、吃る。……急かされると駄目だ。でも、必要なのは“山科紙問屋”と、その“親族会社”の“名義”」
書吏は頷き、薄紙束を差し出した。
「こちらが“山科紙問屋”。こちらが“都内親族会社”。……代表は“綾女(あやめ)”殿――商家〈榊屋〉の縁者とか」
薄紙の端に、確かに“綾女”の二字が黒々と立っていた。
戻る道すがら、大希は息を整えて言う。
「咲凪。名義、出た。“綾女”だ」
「ありがとうございます」
咲凪は短く礼を返し、白布の「現象」欄に一行を足す。〈親族会社=綾女〉。
午後、公事所の一室。
咲凪は〈納品経路図〉を広げ、線の途中に朱の丸を置く。
「『紙』は“山科紙問屋”から出て“封蝋室”を経て“谷の倉”に入る。『封』は“斜浅”。――登記の“親族会社”の代表は“綾女”」
公事所頭の指が机の角で止まる。
「内側からも繋がるわけだな」
陰陽寮監察が目を細めた。
「封蝋室は書記局の所管。……通過記録を開けよう」
封蝋室。
棚の奥から出された出入り簿は薄墨で、交代印が日ごとに押されている。春奈が読み上げ、明日美が照合表に転記する。
「“交代日”と“欠けの多い日”が重なる箇所が三つ」
「“その三つの日”の“通過札”を見たい」
咲凪が申し出ると、室吏は“印鑑の貸出簿”を持ってきた。
「交代の折、応援の者へ“印を渡す”ことがある」
簿の端に、小さく“補助印貸出”の文字。受け取り欄には無署名の箇所が点在していた。
「“無署名”。――紙の“空白”です」
咲凪は白布に〈署名=欠〉と書き、簪の歯で小さな封蝋片の縁を撫でた。
「“斜浅”の欠けと、貸出簿の“空白の刻”が重なっている」
春奈が二語で刻む。〈欠=重〉〈印=貸〉。
監察が初めて、唇の端で笑う。
「“空白”は、よく喋る」
ここで監視役が姿を見せ、印籠を掲げた。
「郡の“追加立合い”の命で来た。封箱三の“即時移送”を――」
公事所頭が手を上げて遮る。
「“目録先行”が公事所の順。――『回電写し』も受理している。郡は“途中経過”に留めよ」
監視役は悔しげに舌を噛み、印籠を下げた。翔がさりげなく落ち葉を拾って扉の敷居へ敷く。
「滑らない」
短い言葉が場の角を和らげ、室吏らの眉間がほどける。
照合は続く。
明日美が“封蝋片の型紙”を並べ、欠けの向きと深さを数字で表に立てた。
「“斜浅”は常に“右下欠け”。――封の型を“二度押し”した痕がある」
「“二印”の片方が“薄押し”」
春奈が追う。
「“勅”の形式ではない」
陰陽寮監察は頷き、筆を走らせた。
「監察として“封蝋室の管理手続きの不備”と“私印混入”の疑いで調査立ち上げ」
咲凪は〈納品経路図〉にもう一つ、線を足す。
「『紙』の“入口”は“山科”。『封』の“入口”は“封蝋室”。――『資金』の“入口”は“親族会社”」
公事所頭は椅子に浅く腰掛け直し、指を組んだ。
「“資金”の流れを押さえる必要がある」
大希が手を挙げ、自分の弱みを先に出す。
「俺は高い所が苦手で、簿記の細かい言葉も詰まる。でも、“人”には回れる。取引先の帳合に“写し”をお願いして回る。――『弱いとこ、先に言う』と、みんな聞いてくれる」
「お願いします。――“前受金台帳”と“支払承認印”の“欠け”を見ます」
明日美が逆算表から“今日中の回収可能先”を選び、封筒を用意した。
夕刻、榊屋の一室。
大希が戻ってきた回覧の控えを卓へ広げる。そこに押された“承認印”の一つに、見慣れた欠け。
「“斜浅”」
咲凪は懐紙でそっと押さえ、簪の歯で縁を撫でる。
「“封蝋室”と“同じ癖”。……“親族会社”の印章台に“二つ目”がある可能性」
春奈が二語で刻む。〈二印=私〉。
翔は下働きの娘に椀を渡し、短く言う。
「助かったのは、あなたの“回覧”だ」
礼は短く、熱が長く残る。娘は顔を赤くして、しかし真っ直ぐ頷いた。
公事所へ再び。
咲凪は提出束を一度だけ整え、白布の「出口」に朱で一語。〈調査開始〉。
「監察へ“管理手続きの不備”。公事所へ“背任・偽造の嫌疑”。――“封蝋室・親族会社・登記名義(綾女)”を一本に束ね、調査を始めます」
陰陽寮監察は印を置き、公事所頭は「明朝、評定前の予備会」を指定した。
引き上げる前、春奈は小さな包みを取り出した。黒墨で塗りつぶされた、薄い手紙の残欠。
「――燃やさず、残しておいた“黒”。“封蝋室”の“交代日”に、同じ手の書き癖がある」
要約紙の隅に一語。〈線〉。
「“線”がつながった」
咲凪は頷き、狐火の指輪を袖の底で一度だけ静める。
榊屋へ戻る道、夕風が熱を剝いだ。裕斗が肩の力を抜いて笑う。
「俺、今日は跳ねずに“先に聞けた”。……次は何を運ぶ?」
「『登記写し』の“控え”。――落とさぬよう“追い結び”で」
「了解!」
梃木の代わりに封筒を肩へ、裕斗は慎重に歩幅を合わせた。
夜、帳場。
咲凪は白布を畳み、簪の歯で結び目を一度だけ締める。ほどけやすく、落ちない結び。
〈入口――谷の報告〉〈現象――不良札と偽落款の連結〉〈出口――監察・調査の開始〉。
紙は道を描いた。封の“癖”は語った。名前は――“綾女”。
帰還三日後、午の刻。霞京の空は薄白く、御所の瓦が熱を返し始めていた。榊屋の荷車から降りると、咲凪は白布を公事所の板卓に広げ、三つに欄を割る。〈入口:谷の総合報告〉〈現象:不良札と偽落款の連結〉〈出口:監察と調査開始〉。簪の歯で角を揃え、狐火の指輪を袖の底で静める。
「受理の順を申し上げます」
明日美が提出束の背を軽く叩いた。
「一、〈風層段取り表・作業記録〉――谷の対処の証。二、〈納品経路図〉――山科紙問屋→封蝋室→納札倉。三、〈拾得封蝋片・粉〉――“斜浅”の欠け。四、〈押収目録写し〉。五、〈回電写し〉――『拘束命令は無効』『臨検は範囲限定で続行』」
公事所頭は髭の根を指で押さえ、「順を守るのはよい」と頷いて受領印を落とした。机の向かいでは陰陽寮監察が冷やかな目で紙に沿う。
春奈が要約紙を広げる。二行で骨だけを置いた。〈紙=逆〉〈封=癖〉。
「谷で確認した“逆向きの札”“煤”“油分”――これらは“封蝋室の通過記録”と一致する可能性が高いです」
「“可能性”では動けん」
監察の声は乾いている。
「照合票を用意しています」
咲凪は白布の余白に三行。〈向=矢印逆〉〈縁=煤〉〈封=斜浅〉。
「本日中に封蝋室の“出入り印”と“交代日”を当てます。先に、経路の“所有”を明らかにしたい」
大希が自分の弱みを先に置く。
「俺は……官の言葉はときどき詰まる。けど、人の家の網は回れる。登記所に“短い言葉”でお願いして、必要な写しを取ってくる」
公事所頭が係へ目線を送る。
「登記の写しは閲覧可だ。――立会をつけろ」
昼つ方、登記所。
大希は額の汗を袖で拭き、受付に正直に言う。
「俺、吃る。……急かされると駄目だ。でも、必要なのは“山科紙問屋”と、その“親族会社”の“名義”」
書吏は頷き、薄紙束を差し出した。
「こちらが“山科紙問屋”。こちらが“都内親族会社”。……代表は“綾女(あやめ)”殿――商家〈榊屋〉の縁者とか」
薄紙の端に、確かに“綾女”の二字が黒々と立っていた。
戻る道すがら、大希は息を整えて言う。
「咲凪。名義、出た。“綾女”だ」
「ありがとうございます」
咲凪は短く礼を返し、白布の「現象」欄に一行を足す。〈親族会社=綾女〉。
午後、公事所の一室。
咲凪は〈納品経路図〉を広げ、線の途中に朱の丸を置く。
「『紙』は“山科紙問屋”から出て“封蝋室”を経て“谷の倉”に入る。『封』は“斜浅”。――登記の“親族会社”の代表は“綾女”」
公事所頭の指が机の角で止まる。
「内側からも繋がるわけだな」
陰陽寮監察が目を細めた。
「封蝋室は書記局の所管。……通過記録を開けよう」
封蝋室。
棚の奥から出された出入り簿は薄墨で、交代印が日ごとに押されている。春奈が読み上げ、明日美が照合表に転記する。
「“交代日”と“欠けの多い日”が重なる箇所が三つ」
「“その三つの日”の“通過札”を見たい」
咲凪が申し出ると、室吏は“印鑑の貸出簿”を持ってきた。
「交代の折、応援の者へ“印を渡す”ことがある」
簿の端に、小さく“補助印貸出”の文字。受け取り欄には無署名の箇所が点在していた。
「“無署名”。――紙の“空白”です」
咲凪は白布に〈署名=欠〉と書き、簪の歯で小さな封蝋片の縁を撫でた。
「“斜浅”の欠けと、貸出簿の“空白の刻”が重なっている」
春奈が二語で刻む。〈欠=重〉〈印=貸〉。
監察が初めて、唇の端で笑う。
「“空白”は、よく喋る」
ここで監視役が姿を見せ、印籠を掲げた。
「郡の“追加立合い”の命で来た。封箱三の“即時移送”を――」
公事所頭が手を上げて遮る。
「“目録先行”が公事所の順。――『回電写し』も受理している。郡は“途中経過”に留めよ」
監視役は悔しげに舌を噛み、印籠を下げた。翔がさりげなく落ち葉を拾って扉の敷居へ敷く。
「滑らない」
短い言葉が場の角を和らげ、室吏らの眉間がほどける。
照合は続く。
明日美が“封蝋片の型紙”を並べ、欠けの向きと深さを数字で表に立てた。
「“斜浅”は常に“右下欠け”。――封の型を“二度押し”した痕がある」
「“二印”の片方が“薄押し”」
春奈が追う。
「“勅”の形式ではない」
陰陽寮監察は頷き、筆を走らせた。
「監察として“封蝋室の管理手続きの不備”と“私印混入”の疑いで調査立ち上げ」
咲凪は〈納品経路図〉にもう一つ、線を足す。
「『紙』の“入口”は“山科”。『封』の“入口”は“封蝋室”。――『資金』の“入口”は“親族会社”」
公事所頭は椅子に浅く腰掛け直し、指を組んだ。
「“資金”の流れを押さえる必要がある」
大希が手を挙げ、自分の弱みを先に出す。
「俺は高い所が苦手で、簿記の細かい言葉も詰まる。でも、“人”には回れる。取引先の帳合に“写し”をお願いして回る。――『弱いとこ、先に言う』と、みんな聞いてくれる」
「お願いします。――“前受金台帳”と“支払承認印”の“欠け”を見ます」
明日美が逆算表から“今日中の回収可能先”を選び、封筒を用意した。
夕刻、榊屋の一室。
大希が戻ってきた回覧の控えを卓へ広げる。そこに押された“承認印”の一つに、見慣れた欠け。
「“斜浅”」
咲凪は懐紙でそっと押さえ、簪の歯で縁を撫でる。
「“封蝋室”と“同じ癖”。……“親族会社”の印章台に“二つ目”がある可能性」
春奈が二語で刻む。〈二印=私〉。
翔は下働きの娘に椀を渡し、短く言う。
「助かったのは、あなたの“回覧”だ」
礼は短く、熱が長く残る。娘は顔を赤くして、しかし真っ直ぐ頷いた。
公事所へ再び。
咲凪は提出束を一度だけ整え、白布の「出口」に朱で一語。〈調査開始〉。
「監察へ“管理手続きの不備”。公事所へ“背任・偽造の嫌疑”。――“封蝋室・親族会社・登記名義(綾女)”を一本に束ね、調査を始めます」
陰陽寮監察は印を置き、公事所頭は「明朝、評定前の予備会」を指定した。
引き上げる前、春奈は小さな包みを取り出した。黒墨で塗りつぶされた、薄い手紙の残欠。
「――燃やさず、残しておいた“黒”。“封蝋室”の“交代日”に、同じ手の書き癖がある」
要約紙の隅に一語。〈線〉。
「“線”がつながった」
咲凪は頷き、狐火の指輪を袖の底で一度だけ静める。
榊屋へ戻る道、夕風が熱を剝いだ。裕斗が肩の力を抜いて笑う。
「俺、今日は跳ねずに“先に聞けた”。……次は何を運ぶ?」
「『登記写し』の“控え”。――落とさぬよう“追い結び”で」
「了解!」
梃木の代わりに封筒を肩へ、裕斗は慎重に歩幅を合わせた。
夜、帳場。
咲凪は白布を畳み、簪の歯で結び目を一度だけ締める。ほどけやすく、落ちない結び。
〈入口――谷の報告〉〈現象――不良札と偽落款の連結〉〈出口――監察・調査の開始〉。
紙は道を描いた。封の“癖”は語った。名前は――“綾女”。


