薄紅の簪は狐将を呼ぶ――千年都で“証拠”と“契約”から始まる和風シンデレラ恋

第28章_偽の勅、正しい順序
翌朝、辰の刻。郡役所の詰所は低い庇と土の匂いが似合う場所で、戸口には「照会口」と墨書された札が揺れていた。咲凪は板卓の端に白布を敷き、三つに欄を割る。〈入口:拘束命令の真偽〉〈現象:偽の上意〉〈出口:正式照会と回答〉。簪の歯で角を揃え、狐火の指輪を袖の奥で静める。
  監視役は印籠を胸前に、詰所の書吏へ早口で告げた。
  「御祓役頭人の名において、咲凪なる者の身柄拘束を命ず。――即時受理の上、郡印で追認せよ」
  書吏は面を上げ、薄い眼鏡の向こうで瞬きをひとつ。
  「“命”の紙を」
  差し出された封書の封蝋は厚く、朱の縁に“斜浅”の欠けがある。咲凪は白布の余白に小さく書いた。〈封=斜浅〉。
  「順序を踏みます」
  明日美が一歩進み、事前に用意した照会文の束を板に置いた。
  〈起案:拘束命令の根拠条項〉〈落款:二印の照合〉〈封蝋:印影・欠けの形状〉〈受理:回電にて回答〉
  「“入口票”として照会文を受け取ってください。――“即時”は“即時に照会”の意味です」
  書吏は口元だけで笑い、筆を取った。
  「受け取ろう。順は、紙に残る」
  監視役が印籠を持ち上げる。
  「郡は“上意”に従うだけだ。照会は不要」
  春奈が要約紙を掲げ、二行に削った。〈上意=要根拠〉〈拘束=要二印〉。
  「“権限”は紙の骨で立つ。――根拠と二印が要ります」
  照会の手順は短く明快だった。書吏は封を切らずに、まず封蝋の印影を硝子越しに写し取り、欠けの形を薄紙へ転写する。
  「“斜浅”。……書記局の“交代日”に多い癖だ」
  「封蝋室の通過記録と“欠け”が重なる可能性があります」
  明日美が経路図を広げ、封蝋室の欄に朱で印を置く。
  「落款を」
  咲凪は封書の内側に重ね押しされた落款の端を、簪の歯でそっとなぞった。
  「“二印”が必要な文で“片印”。もう一方は“薄押し”。――“勅”ではない」
  「勅を語った“私文書”」
  春奈が二語で刻む。〈勅偽〉〈片印〉。
  監視役の眉が動いた。
  「郡は“形式”が整っていれば動ける。――今は整っている」
  「“整っていない”のです」
  咲凪は即答し、白布の「現象」欄に三行。
  〈封=斜浅〉〈片印〉〈条項=空白〉
  「条項の記載がありません。“誰の、どの条に基づく”が空白です」
  書吏は静かに頷き、受理の朱を照会文に押した。
  「“回電”まで半刻はかかる」
  翔が小さく会釈する。
  「助かる。――先に礼を」
  短い言葉が淡く場を和ませ、書吏の筆が滑らかになる。
  半刻を待つ間にも、監視役は食い下がる。
  「“郡の権限”を疑うのか」
  「守っています」
  春奈が読み上げる。
  「〈押収=目録先行〉〈拘束=照会先行〉。――“先行”は、権限を守る順序です」
  大希は自分の弱みを先に置いた。
  「俺、言葉がつかえがちで、急かされると余計に詰まる。……でも、“回覧”は回せる。谷の家々へ“拘束は保留・照会中”を短く伝えておく」
  書吏は“よし”と頷いて紙片を三枚渡した。
  「詰所の“掲示”にも貼る。――空気を荒らさぬほうがいい」
  やがて、走りの小者が細い息を切って戻った。書吏が封を受け取り、朱を確かめ、読み上げる。
  「――『拘束命令、無効』。落款の二印不備。“勅”の形式なし。封蝋の欠け、“通過日”と一致。……以上」
  詰所の空気がわずかに軽くなる。咲凪は白布の「出口」に朱で一語。〈無効〉。
  監視役の口端がひきつる。
  「郡の面目はどうなる」
  翔が一礼して答えた。
  「“面目”は、守られました。――紙が守りました」
  礼は短く、確かだ。書吏もまた、机の角を軽く叩いた。
  「順を踏んだのは、こちらの“面目”でもある」
  明日美は〈照会受理票〉を取りまとめ、角を揃える。
  「受理票の控えは二通。――一通は郡へ、一通は谷へ。『拘束は無効・臨検は“範囲限定で続行”』」
  春奈は要約紙に二行。〈拘束=無効〉〈臨検=限定〉。
  「“勅偽”の件は、書記局へ“封蝋室の欠け”で照合に回します」
  ここで、監視役が最後の抵抗を見せた。
 「“郡”の印で新たに拘束を起案することはできる」
  「“できる”と“する”は別です。――根拠と条項を先に」
  咲凪は穏やかに言い、白布を指で叩く。
  「“人を動かす前に、紙を動かす”。それが“正しい順序”」
  書吏は机の引き出しから小さな札束を出し、回電の写しを添えた。
  「〈回電写し〉――持っていけ。谷の空気を“紙で”落ち着かせなさい」
  「助かる」
  翔の礼に、書吏は照れ隠しのように鼻を鳴らした。
  外へ出ると、庇の下で風鈴が一つ鳴った。雲は薄く、谷のほうへ光が筋になって落ちる。大希は掲示札を高く掲げ、通りに短く声をかける。
  「『拘束は無効・照会済み』――“紙に残ってる”。……伝わった?」
  人々の頷きが波のように続く。裕斗は拳を握って、しかし跳ねずに言った。
  「先に聞く。俺は――何を運ぶ?」
  「“掲示の控え”と“回電写し”。――落とさないよう、追い結びで」
  咲凪が答えると、裕斗は笑って頷き、荷を肩にした。
  詰所の門を出るとき、監視役が小さく呟く。
  「……封の“癖”だけで、勅を退けるとはな」
  春奈は振り返らず、要約紙の最後に一語を置いた。〈照合〉。
  「癖を“証拠”に変えるのが、紙の仕事です」
  咲凪は白布の三欄を指先でなぞり、簪の歯で結びを一度だけ締めた。ほどけやすく、落ちない結び。
  〈入口――拘束命令〉〈現象――偽の上意〉〈出口――無効・回電・受理票〉。
  狐火の指輪が衣の底で二度、柔らかく鼓を打つ。
  ――偽の勅は紙でほどけた。
  次は、谷の“流れ”そのものを整える。
  封蝋室の通過記録と、落款の“黒い継ぎ目”を追う。