薄紅の簪は狐将を呼ぶ――千年都で“証拠”と“契約”から始まる和風シンデレラ恋

第25章_春奈の黒、焚かない選択
亥の刻、谷口の屯所は焚火の橙が薄く揺れ、板壁に影の層を作っていた。湿った夜気の底から、遠く鎮魂碑の鈴が一度だけ鳴る。咲凪は卓の上に白布を広げ、三つに欄を割る。〈入口:過去の密書〉〈現象:自罰衝動〉〈出口:任務への置換〉。簪の歯で角を揃え、息を静かに吐いた。
  戸口の影で、黒い煤の匂いがごく薄く立つ。春奈が小箱を抱え、火の縁に膝をついている。箱の中には、黒墨で塗りつぶされた手紙と、火口。指は細く震え、目許だけがまっすぐだ。
  「燃やしてしまえば、誰にも荒れが映らない。私の手で終わるなら、それが早い」
  声は平らだったが、言葉は角を隠していた。
  咲凪は焚火との間に半歩入り、首を横に振った。
  「責めぬ。――任務を」
  春奈の肩がわずかに震える。咲凪は白布の端を示した。
  「“燃やす手”を“写す手”へ。入口は手紙、現象は衝動、出口は『対照表』と『整理表』」
  明日美がすでに板図を広げ、二枚の書式を置く。
  〈対照表:主張A/主張B/一致点/相違点〉
  〈整理表:必要書類/提出先/順番/立会〉
  「夜のうちに“骨”を立てましょう。――燃やす代わりに、並べて可視化する」
  春奈は小箱を抱いたまま座り直し、火から一尺離れた位置へ移る。黒墨の手紙を一枚だけ取り、指で縁を撫でた。
  「……私は“内に闇を抱えている”。それでも、闇は“役割”に変えられる?」
  「変えられます」
  咲凪は即答した。
  「あなたは会合でいつも“要約”を作り、対立の落とし所を作ってきた。――今夜も同じです」
  翔が湯をひと椀差し出す。
 「助かるのは、君の“言葉の短さ”だ。場が荒れない」
  その一言に、春奈の呼吸が半分だけ軽くなる。
  対照表の一行目。春奈は黒墨の手紙から“主張A”を拾い出し、要点だけを四字五字で切った。
  〈“招来”の疑義〉/〈混入の可能〉/〈封蝋通過〉
  次に“主張B”。咲凪が倉での検分結果から短語を渡す。
  〈繊維逆〉/〈煤〉/〈油分〉
  「一致点は“封蝋室”。相違は“術”ではなく“紙”」
  春奈は矢印で二本、線を結んだ。
  整理表には、明日美が時刻割を添える。
  〈明朝:郡詰所へ照会→仮許可条項の再確認〉
  〈午下:谷内の“押収記録”の形式照合〉
  〈夕刻:鎮魂碑の再検分・名寄せ票の更新〉
  大希が手を挙げ、自分の弱みを先に置く。
  「俺、橋は苦手で高い所は震える。……でも、地面の道なら回れる。谷の家々に“短い言葉”で回覧を回す。〈倉検分=完〉〈封蝋通過=要照合〉」
  弱みの共有で、場の角がまた少し丸くなる。
  裕斗は縄を肩に掛けたまま前へ踏み出しかけ――すぐに止まり、頭を掻いた。
  「……“先に聞く”。俺は何を運べばいい?」
  「火から遠い席へ“証拠の控え箱”。――転倒防止は君の“役”」
  咲凪が即答すると、裕斗は嬉しそうに頷いて箱の足を縄で“追い結び”に固定した。
  春奈は黒墨の手紙を二枚だけ抜き、焚火の縁に置くと、掌を重ねる。目は燃やさず、読むほうへ向いている。
  「……“燃やす衝動”は、『自分だけで始末したい』という欲です。――任務は『皆に見える場に置く』こと」
  自分の言葉を自分の対照表の“相違点”へ書き込みながら、春奈は細く笑った。
  「夜に残る影は、紙に写すと薄くなる」
  咲凪は白布に三語を書き添えた。〈入口=手紙〉〈現象=衝動〉〈出口=文書化〉。
  「費用対効果、安全、倫理。――燃やすのは“早い”けれど、証が消える。安全ではない。倫理にも反する。だから“文書化”」
  検討が一段落したころ、谷の若者が屯所の戸を叩いた。袖の端に煤がついている。
 「碑の裏の名寄せ、二名“返”の印がないと分かりました」
  春奈は即座に名寄せ票を更新する。〈名/量/返/欠〉の“欠”に印。
  咲凪は頷き、狐火の指輪を袖の奥で静めた。
  「怨霊の結び目は“返らなかったもの”。――『返しの段階案』を翔が作る。私は“名寄せ結線”を準備」
  「了解。最小被害で“断つ”順番を選ぶ」
  翔は短く答え、落ち葉を一枚拾って炉の縁に敷いた。
  「滑らない」
  やがて、対照表の欄は埋まり、整理表の端に“立会者欄”が付く。春奈は黒墨の手紙の束を箱へ戻し、蓋を静かに閉めた。
  「燃やさない。――焚かない選択を、私が“選んだ”」
  咲凪は頷き、白布の角を簪の歯で一度だけ締める。ほどけやすく、落ちない結び。
  その刹那、外で蹄の音。戸が開き、灯を背に細面の影が立つ。監視役だ。印籠の金が焚火の光を弾いた。
  「御祓役頭人の名において“臨検”を宣言する。――夜明け、谷奥の集落と倉の“札・記録”を押収する」
  焚火がぱちりと鳴る。空気が硬くなるのを、咲凪は白布の上で柔らかく受け止めた。
  「入口は“臨検”。――現象は“押収と遅延”。出口は“並行処理”」
  明日美がすでに筆を走らせ、整理表に太字で追記する。
  〈臨検:立会三者・押収目録・範囲限定〉/〈救出:谷奥・時刻割〉
  春奈は要約紙を掲げ、二語に削いだ。〈臨検=限定〉〈救出=最優先〉。
  監視役が鼻で笑い、帳面を打つ。
  「中止を命ずる“権限”はある」
  「“中止”は“根拠”を伴います。――立会、目録、範囲。紙の順序を守ってください」
  春奈の声は落ち着いている。闇は“役割”に変わり、紙の上で線になっていた。
  夜はさらに深い。谷の風は静かに向きを変え、焚火の熱が足元に落ちる。咲凪は白布を畳みながら、小さく宣した。
  「明朝、臨検。……同時に“救うべき順番”を決める」
  狐火の指輪が衣の下で二度、柔らかく鼓を打つ。
  ――焚かない選択は、闇を“見える言葉”にする。
  臨検の朝でも、順は変えない。紙で守り、人を先に救う。