体育祭が終わって、文化祭までいよいよ一ヶ月を切った。オレは音楽、明星(みよせ)は小説にますます没頭する日々だ。

 授業中だって、頭の中では音楽が鳴っている。大きな音にならないように、と気をつけながら指先で机を打って、コンコンとリズムを奏でる。最近はもう毎日のように、明星の家に通っている。お泊りはさすがに金曜日だけだけど、充実した日々だ。ああ、今日も早くギターに触りたい。授業の六時間がもどかしい。

 明星はどうなんだろう。気になって隣を見ると、明星はなにかメモを取っているところだった。板書をノートに書き写してるのかな、と一瞬思ったけれど。明星の手元にあるのは、ノートじゃなくてメモ帳だった。あの時の、春に廊下で拾った黒いメモ帳だ。

 授業が終わって、さっそく明星に尋ねてみる。

「なあなあ明星、授業中なにメモってたの?」
「あー……バレた?」
「うん、見ちゃった」

 明星は苦笑した後に大きなあくびをして、メモ帳をパラパラとめくった。ここ最近、あくびをしているところをよく見る。夜ふかししてパソコンに向かっているのだろう。

「最近はずっと見直しをやってるんだけどさ」
「推敲、って言うんだったっけ?」
「そう。よく覚えてんな」

 明星は先週、小説を最後まで書き上げた。一緒に明星の部屋にいる時で、大きな息とともに「できた……」との言葉が聞こえた時、めちゃめちゃ興奮したのを覚えている。さっそくコンテストに応募するのかと思ったら、明星曰くここからが大事らしい。誤字がないかだとか、ちゃんと意図した通りに伝わる文章になっているかだとか。推敲という見直しの作業を重ねていくのだそうだ。

「まあな。賢いんで」
「それはどうだろうな」
「ええー、ひでー」
「はは。で、話の続きだけど。文章を見ながらより頭の中で思い返してる時のほうが、あそこ修正したいなって思いつく感じがあって」
「へえ、そうなん?」
「うん、俺はな。それを忘れないようにメモってた」
「そうなんだ。かっけーな」

 小説を書くだなんて、オレにとっては未知の領域だ。明星の話してくれること全てが、どうしたってかっこいい。しみじみと感心していると、

天地(あまち)は授業中、指でリズム刻んでたろ」

 と口角を上げた明星がこちらを見てきた。

「えっ、もしかしてうるさかった?」
「いや、全然。指でトントンして楽しそうな顔してんから、絶対そうだろうなって」
「マジか。オレ楽しそうだったんだ」
「うん、かなり」

 明星の小説みたいに、授業中になにかを進めることはできないけれど。明星から見ても楽しそうなくらい、オレの中で音が生きている。それは結構、嬉しいかも。

「もうすぐだな、文化祭」
「うん」
「楽しみにしてる」
「うん……あー! 緊張してきた!」
「はは、今?」

 オレにとって初めてのオリジナル曲を、明星の前で唄ったことは一度もない。明星の家ではあくまで、ギターの練習をしたり歌詞を書いたり、そういった作業に終始してきた。メロディの確認は、ハミングでだけ。明星に聴かせるのは、ステージが初めてにしたかった。だってあの曲は、オレの心の中全部みたいなものだから。照れくさい気持ちも正直あるし、なにより万全の状態で届けたい。

「今もだし、ずっと緊張してる。やばい」
「まあ、たしかにそうなるか。練習あるのみだな」
「だなあ。今日も明星家にお世話になります」

 机に頬杖をついていたけれど、体ごと明星のほうを向いてぺこりと頭を下げる。顔を上げたら明星がおかしそうに笑ってくれていた。こんなやりとりひとつひとつが、オレはすげー楽しい。

「あー……そう言えば、さ。ピアノってどうなった?」

 お世話します、と冗談めいて言った後、明星がそう尋ねてきた。

「あ、そうそうピアノ。色々悩んだけど、森山(もりやま)さんにお願いさせてもらった。今朝相談したばっかなんだけど、オーケーしてくれたんだー」

 いい報告ができるのが嬉しくて、ピースサインをしてみせる。

 おじいちゃんからは、今日には楽譜を渡せそうだと聞いている。やっぱり生伴奏がいいと考えて、同じクラスの森山さんにお願いすることにした。楽譜を受け取ってからがいいかなとも考えたけれど、森山さんの当日の予定もあるのだから、先に相談させてもらった。ダメだったら他のクラスの人にお願いしようかとか考えていたけれど、二つ返事で了承してもらえたから助かった。

「……へえ。そっか」
「うん。……明星? どうかした?」

 この報告をしたら、明星も喜んでくれると思っていたんだけれど。さっきまで笑っていたのに、明星の表情が曇りだした。どうしたのだろう。急にお腹痛くなったとか? 

「いや、なんでもない。平気」
「ほんとかー?」
「ほんとだって」

 笑顔を見せてくれるけれど、気になる。明星が平気だと言うなら、それ以上聞くわけにもいかない。でももしなにかあるのなら、手を差し伸べられるように。いつだってその準備があることは、知っていてほしい。

「平気ならよかったけど、なんかあったら言えよ?」
「そうする、さんきゅ」
「約束だからな?」
「はは、分かったよ」
 

 その日の放課後。明星家に到着したオレは、まず明星の部屋へと上がった。明星はさっそくメモを片手に、パソコンへ入力をはじめた。オレはケースからギターを取り出し、

「オレ下行ってくる」

 と明星に声をかけて、すぐにおじいちゃんの元へと向かう。

「おじいちゃん、こんにちは!」
詠太(えいた)くん、こんにちは。待ってたよ。約束通り、楽譜はできあがったよ」
「っ、ありがとうございます! えっと、見てもいいですか?」
「もちろん」

 受け取った五線譜のタイトルのところには、“詠太くんへ”と書いてあった。実はまだ、タイトルが決めきれていない。おじいちゃんに渡したデータにはギターとオレのハミングしか入っていないから、本来歌詞を記入する部分には主旋律がドレミで書きこまれている。

「すごい……これ、オレの曲の伴奏なんだ」
「そうだよ。愛情がたっぷりこめられてる」

 おじいちゃんがお茶目なことを言うから、オレはついふにゃっとした笑みをしてしまった。だって嬉しい、オレは音楽を通して愛情をもらったんだ。急なお願いだったのに、こんなにありがたいことはない。

「おじいちゃん、本当に本当に、ありがとうございます」
「どういたしまして。って、言っていいのかねえ」
「…………?」

 不思議な言い方をするなあと、オレは首を傾げる。でもおじいちゃんは気にしていないようで、

「なあ詠太くん、よかったら一緒に弾いてみようか」

 とセッションに誘ってくれた。

「あ、っす! できたらなと思って、ギター持って下りてきました」
「じゃあ、あっちに行こうか」

 いつもおじいちゃんとおばあちゃんが過ごしている居間の、奥の部屋。アップライトピアノの前におじいちゃんが座った。お母さんが弾いていた、と明星が言っていたのを覚えている。そんなことを思い出しながらギターのストラップを体にかけ、おじいちゃんの表情が見える位置に立つ。出だしの音は、ギターから。おじいちゃんとアイコンタクトを取ってから、音を鳴らしはじめる。

 そこからは、もう夢中だった。楽しくて仕方なくて、気持ちが逸るままに音も走ってしまいそうで、それを抑えるのに必死だった。唄いたくなる、ハミングで堪える。ああ、やっぱりこの曲にはピアノの音が必要だったんだ。そう確信できるハーモニーを、ギターとピアノが絡み合うように奏でた。

「……ふう」

 最後の音を鳴らして、オレは天井を仰いでふうと息を吐いた。それからおじいちゃんに、両手で握手を求める。ぎゅっと握ってくれた手にもう一度、

「ありがとうございます」

 と伝えると。背後から拍手が聞こえてきた。振り返るとそこには、明星とおばあちゃんが立っていた。

「すごくよかったわよ、詠太くん」
「おばあちゃん、ありがとう」

 おばあちゃんはずっといたから、聴いてくれていると分かっていたけれど。問題は明星だ。

「え、明星ももしかして聴いてた?」
「うん」
「ええー、いつから?」
「最初から」
「マジで!? 全然気づかなかった……」

 あぶなかった。上がったテンションのまま唄っていたら、全部知られてしまうところだった。

「詠太くん」

 ドキドキと緊張を伴った胸を、どうにか静めていると。おじいちゃんに名前を呼ばれた。

「はい!」
「どうだい? 気に入ってくれたかな。このピアノの伴奏は」
「っ、はい、すごく! 想像してたのの何百倍も綺麗で、かっこよくて。この音色で唄えるなんて、夢みたいです」
「そうか、よかったよ。なあ、(ひびき)

 おじいちゃんは嬉しそうに頷いて、オレの後ろの明星にそう言った。もう一度明星のほうを振り返ると、明星は目を逸らしながら

「うん」

 とそれだけ答えた。おじいちゃんは、もしかしたら先に明星に伴奏を聴かせていたのだろうか。相談してたとか? だから同意を求めたのかなと思ったけれど、明星の表情はどこか照れたようにも見える。

「…………?」

 どうしたのだろう。気になって尋ねようとしたけれど、そこでおばあちゃんが「夕飯ができたわよ」と声をかけてくれた。明星はすぐにおばあちゃんのお手伝いに向かって、

「天地も食べてくだろ」

 と聞いてくる。

「あ……えっと、今日はすぐ帰ろうと思ってたんだけど」
「あらー、詠太くんそうなの? 食べてくもんだと思って、たくさん作っちゃったわ。よかったら食べていって?」
「でも……いいんすか?」
「遠慮なんて今更だろ。ほら、天地も手伝って」

 なんだか最近、明星の考えていることが分からない時が増えてきた。今とか、今日の学校と時みたいに。そんなの、違う人間なのだから当たり前なのかもしれないけれど。なんだか寂しいし、なにか抱えているんじゃないかと不安になる。

 明星と一緒に天ぷらやお漬け物を運びながら、明星の腕をひじでつつく。

「なあ、明星。なんか悩んでたりする?」
「え? ……あー、いや、平気」
「いや絶対なんかあるヤツじゃん。もしかして、親父さんのことだったりする? オレじゃ頼りにならない?」

 親父さんのことのところは、最大限にボリュームを絞った。すると明星は面食らったような顔をして、次の瞬間にはほほ笑んだ。眉はしゅんと下がっていて、オレのことを気にかけてくれているのがよく分かる顔だ。

「それは全然違う、平気。でも、気にさせてごめんな」
「それはいいけど……」

 心配しているのはオレのほうなのに。オレを大事にする明星がいじらしくて、悔しくて、でもそれは明星の優しさなわけで。敵わないなあ、なんて思いながらもう一度台所に向かっていたら、

「天地」

 と今度はオレが引き止められた。

「ん? なに?」
「あのさ……マジで天地が気にすることではないんだけどさ」
「……うん」
「ちゃんと言えたらなって思ってることは、ある。あとは俺の、勇気の問題っていうか」
「…………? そうなんだ?」
「うん。だから、もしその勇気が出せたら言う。その時は、聞いてくれたら嬉しい」
「……ん、おっけ。明星がなんかしんどい思いしてるわけじゃないんなら、安心した。待ってるよ」
「ん、さんきゅ」

 明星の言葉に嘘はなさそうで安心した。聞いてみてよかった。ほっとしていると、おばあちゃんが

「響くん、詠太くん。ごはんよそってちょうだいな」

 とにこにこしながら手招いた。はーい、とふたりで返事をして、今度こそ台所に入る。

 おじいちゃんの考えてくれた、楽譜を受け取ることができた。明星の推敲も順調そうで、あとは本当に突っ走るだけ。ラストスパートだ。

「明星」
「んー?」
「頑張ろうな、オレたち」
「ああ、絶対に」
「おう! ……ん? なあそのお茶碗、もしかしなくてもオレの分?」
「うん」
「いや盛りすぎだろ。マンガで見るヤツじゃん!」
「でもばあちゃんの天ぷら、すげー美味いぞ」
「……マジか。明星もそんくらい食うってこと?」
「うん。天丼にする」
「じゃあオレもそうする」

 ごはんはとびきり美味しそうで、なにより明星と駆け抜ける想いを共有できて。

 うん、走れる。そう感じられる度に、青春という言葉が甘酸っぱくオレの胸を掠める。
 

 うちの高校の文化祭は、金曜と土曜の二日間に渡って行われる。金曜は生徒や教師のみが校内を回ることができて、土曜は外部の人たち、つまりは家族や他校の生徒も自由に入ることができる。有志によるステージは、土曜日のイベントだ。

 寒くなってきて、みんながブレザーを羽織りはじめる十一月。今更になって、オレはとんでもないことをしようとしてるんだなあ、と胃が痛くなってきた。

「うう、オレできんのかなあ。なあ明星〜」

 オレにとっての文化祭のメインは、言うまでもなく土曜のステージだけれど。もちろん、クラスごとの企画だってあるわけで。本番まで二週間となった、月曜日の放課後。教室をおばけ屋敷に変身させるべく、段ボールをペンキで黒く塗っているところだ。ちなみに指揮は、ここ最近ホラーゲームにどハマりしているという宮田(みやた)が執っている。

「できるだろ。そのために頑張ってきたんだし」
「そうだけどさあ……オレ、人前で唄ったことなんてないし」
「慣れる練習するのはどうだ? 俺が聴くって」
「だから、明星(みよせ)は本番までだーめ」
「あーはいはい……じゃあ、ぶっつけ本番にするしかないな」
「だよなー……まあ、後には引けないしな」
「そうだな」
「絶対、頑張る! なあ明星、ちゃんと見に来いよ。ステージ」
「もちろん」
「約束な」
「おう」

 明星が応募する小説コンテストの締め切りもステージと同じ日だから、明星もこの二週間は勝負だ。毎日忙しくなる。オレたちの戦いの、ラストスパートだ。

 それからは、本当に目まぐるしく日々が過ぎた。放課後は毎日文化祭の準備で、あっという間の一週間。準備は遅くまであるから、明星の家に通うことはできなくなった。それでも、金曜日は明星の家に泊まりにいった。親父さんの件が心配だからだ。体はくたくただったけれど、そんなことより明星が優先に決まっている。幸いにも連絡はこの日もなく、ふたりでいつものように過ごしてからいつもより早く眠った。

 明くる日の土曜日は昼前には自宅に帰って、その日と次の日の日曜日はひとりでカラオケにこもった。学生料金、フリータイム様様だ。まずは好きな曲で喉を慣らして、それからは持ちこんだギターでオリジナル曲を何度も練習。今までだって口ずさんではいたのに、実際に弾き語りで唄ってみると、歌詞の割り振りが難しい部分もあった。修正を入れて、唄って、また修正して。明星に聴かせないためにひとりでのカラオケを選んだのに、斜め前に明星の背中がないのが寂しくて、何度かラインをしてみたりもした。すぐ返ってくる返事が、オレの支えだった。

 そして迎えた、ラストの一週間。一日一日が勝負だ。

 ペンキ塗りはすでに終わっていて、今日は宮田に指示されたおばけを作っているところだ。宮田が用意した絵にしたがって、紙やら毛糸やらを使って形を整えていく。ペンキ塗りの時は余裕だったけれど、ホラーが苦手なオレとしては、いよいよちょっと怖くなってきた。そんなこと、明星以外には絶対に知られたくない。当日の持ち場は明星と一緒に受付をゲットできたので、助かった。

「明星、小説どんな感じ?」

 小声で尋ねると、明星も顔を寄せて小声で答える。

「もう完成かなって思ってる。これ以上はもう、自分で読んでても分かんなくなってきたし」
「マジか。じゃあオレ読もうか?」
「天地は絶対にダメ」
「やっぱり? どうしても?」
「そう、どうしても」
「はは。オレたちずっと一緒に作ってんのに、お互いに内緒にしてるもんな。まあオレは、それももうすぐ終わりだけど」
「いよいよ本番だもんな」
「なー。めっちゃ緊張する。てかさ、完成ってことは、いよいよ応募するんだな。締め切り今週だし」
「あー、それなんだけどさ……」

 おばけの顔に目を描きこんで、ちいさく「よし」と言った明星がこちらを向いた。おばけはおどろおどろしくて、でも明星はどこかいたずらっ子みたいにほほ笑んでいて。そのコントラストが、ちょっとおもしろい。

「ん?」
「明星のステージ観てから応募しようと思ってる」
「……え、マジで?」
「うん。せっかく一緒にやってきたんだし、ゴールも同じ日にしようかなって」
「ええー、なんだよー。嬉しいこと言ってくれるじゃん」

 明星と一緒に過ごした日々は、オレにとって言うまでもなくかけがえのない日々だ。明星にとってもそうだったということだろうか。しみじみと喜びを味わっていると、明星はもっとすごいことを口にした。

「それで……応募が完了したらさ、読んでほしい。天地に」
「っ、マジで!?」

 まさかの発言に、オレは大きな声で叫んでしまった。クラス中の視線がオレに集まって、

「詠太? どうした?」

 と近くで作業をしている宮田が心配そうな顔を見せた。

「ごめん、めっちゃデカい声出た! なんでもないよ、大丈夫」
「そのおばけが動き出したとかでもないんだな?」
「はは、ないない」

 宮田が真剣な顔でそんなことを言うから、他のみんなもくすくすと笑っている。安堵していたら、明星が俯いた顔に手を当てて肩を揺らしていた。

「え? 明星、もしかして爆笑してない?」
「いやだって、すげーデカい声だったから」
「だーってそれは、めっちゃ驚いたからさあ。な、本当にいいの? オレ、明星が書いたの読めんの?」
「うん……天地の歌、俺だけが聴くのもずるい気がするし。まあかなり、恥ずかしいんだけど」
「それなら平気。オレのほうが恥ずかしいから」
「いや、違うんだよ。恥ずかしいってのは、もっと違う意味があってさ」
「…………?」

 一体なにがどう違うんだろう。分からないけれど、オレだって負けてないしなあと顎を上げる。

「明星がどう恥ずかしいのかは知らんけど、言っとくけどオレのほうが桁違いで恥ずかしいから」
「……いや、マジで絶対負けないから」
「…………」
「…………」
「ふはっ! なに言い合ってんのオレら」
「はは、競うようなことじゃねえよな」

 笑いが止まらなくなったオレたちは、今度は

「そこのおふたりさーん、仲良しなのはいいんだけど手も動かせよー」

 と宮田から注意を受けてしまった。それでもやっぱり笑いが抜けないでいると、伊藤(いとう)も遠くのほうから「詠太と明星のせいで、おばけ作ってんのに怖くないんだけどー!?」なんて妙なイチャモンをつけてきた。それを聞いたクラスメイトたちも、あちこちで笑っていて。今ここにいる全員が、ひとつになった感じがする。

 ああ、なんかすごくいいな。賑やかな中で、明星の腕を小突いてみる。そしたら明星もちいさく笑って、コツンと返ってくる。

「明星、さっきの約束だからな」
「うん。天地こそ」
「おう」

 緊張は今もはっきりと胸の真ん中にある。でもちょっと、大きな塊のはじっこが柔らかくなった心地もする。勝負の一週間を、しっかり地に足をつけて走れそうだ。
 

 文化祭の準備に追われ、帰る頃には真っ暗だった月曜と火曜。水曜日は昼休みに明星とふたりで教室を抜け出して、春の日以来に屋上前の階段で過ごした。弁当を急いで食べて、明星はスマホで小説の見直し。オレは唄い方や歌詞をもっとよくできないかと、こないだのカラオケで録音しておいた自分の歌をヘッドホンでくり返し聴いた。この作業は、家でだってやれるしやっている。なんなら、登下校の電車の中でだって。でもやっぱり明星と一緒にやりたくなって、昨夜のうちにオレから誘ったのだった。お互いに無言で、自分のやるべきことをする。だけどちゃんと隣に、明星がいる。それがなによりも、大きな力になる。

 木曜日。土曜のステージに応募した人たちのリハーサルが行われた。時間になって森山さんと教室を抜ける時、明星には

「絶対来んなよ、絶対だからな。あ、お笑いで定番のフリじゃないから!」

 と釘を刺したけれど。

「今更覗こうなんて思わないって。頑張ってこいよ」

 そう言ってほほ笑んでくれたから、自分がちょっと情けなくなった。ただ、明星がどこか寂しそうにも見えたから、気がかりが残った。

 無事にリハーサルを終えて、教室の飾りもいよいよ完成して学校を出る頃には、二十時を過ぎていた。

「文化祭って当日も楽しいけど、準備で遅くなって暗い中帰るのも、青春って感じでいいよなあ」

 伊藤と宮田、明星とオレ。四人での帰り道、伊藤がそんなことを言った。

「伊藤がそういうまともなこと言うの、調子狂うけど分かる」
「ええ、宮田ひでぇ!」

 ふたりのやり取りに、オレと明星が笑う。でも確かに、伊藤の言うことはよく分かる。青春ってこんな感じかあ、としみじみ思う瞬間がオレにもたくさんある。今だってそうだ。

「じゃあ二日間、頑張ろうな!」

 駅に到着して、伊藤が元気に腕を突き上げた。

「おばけ屋敷、客をビビらせる自信マジであるから」

 プロデューサーの宮田が、胸を張る。

「俺は受付頑張る」
「明星〜ちゃんと呼びこみもな!」
「……おばけの前に、俺がビビらせたらごめん」
「おお、明星のジョークきた! 貴重じゃね!?」
「え、ジョークのつもりなかったんだけど」
「明星、お前もう全然怖くねぇから安心しろ。てか俺の考えたおばけ屋敷に勝とうなんざ、百年早いからな?」

 背伸びをした伊藤が、明星の肩を組んで嬉しそうにする。かと思えば、宮田が謎の闘争心を明星に向けている。その光景をつい見つめていたら。明星と目が合って、

「天地はステージだな」

 とほほ笑まれた。

「あ……うん。もちろんオレも、受付頑張るけどな! ステージ、マジで頑張る」
「それ、俺たちもめっちゃ楽しみにしてんから! なあ宮田!」
「うん。詠太のステージの時間、この三人はシフト空くように調整してあるし。全員で観にいくからな」
「はは、マジか。ありがとう。あー、めっちゃ緊張する!」

 最後に、伊藤の提案で円陣を組んだ。駅前で迷惑だよなあとは思うけれど、明星の手を引いて乗っかった。四人の中央で、手を重ねる。

「明日とあさって、楽しむぞー!」

 伊藤の後に、三人で「おー」と続く。お前らもっと元気出せ!? と伊藤が嘆くから、みんなで大声で笑った。