夏休みに入った。昨年は伊藤と宮田と遊び倒したけど、今年は誘われても断ってばかりだ。ふたりからは「付き合い悪いぞ!」と毎日のように怒られている。とは言えオレも、休みの間に何回か遊べたらなと思っている。ふたりはやっぱり、大事な友だちだから。
断ってまでなにをしているかと言うと、もちろんギターにかじりついている。朝から晩まで、一日中だ。まずはこれを弾けるように、と目標にした曲は、もうじき攻略できそうだ。ちなみにギターの話はまだふたりにはしていないから、彼女ができてデート三昧なんだと疑われていたりする。的外れすぎてオレがかわいそう。
そんな風に過ごして、約一週間。オレには新たな問題が発生していた。音がうるさいと、家族から苦情が入ってしまった。せっかく見つけた没頭できるものなのに、とムッとしたけれど。オレの家はマンションで、両親とオレと翔太との四人暮らしだ。一人部屋をもらえているだけありがたいけど、音漏れは防ぎようがない。一日中聞かされる家族にしてみれば、たまったものじゃないのも頷ける。
「でもさ〜、どうすりゃいいんだよお……カラオケとか? でも、毎日通う金なんかねえし」
今からバイトを始めようにも、給料が出る頃には夏休みも終わりになってしまう。詰んだ。これは確実に。
絶望とギターを抱きしめて、オレはベッドに突っ伏した。足をバタつかせてみたところで、もちろん現状は変わらない。
七月の終わり際の、真っ昼間。今のオレからギターを取り上げたら、もうなんにも残らないのに。夏休みはまだまるまる一ヶ月もある。どうすんの? 宿題? そんなものは知ったこっちゃない。
「あーあ……」
ため息をついてちょっとだけ、本当にちょっとだけ半べそをかいてしまった時だった。スマホからメッセージの着信音が鳴った。誰だろう? 伊藤か宮田か、あるいはどこかのショップのDMか。そんな予想をしながら画面を見たら、まさかの明星からだった。
「おっ、明星!」
明星とは連絡先を交換して以来、何度かやり取りをしているけれど。それは全部、オレから始まるものだった。明星から送ってくれるのは初めてのことで、どうしたってテンションが上がる。さっそく開いてみると、
『ギターどんな感じ?』
との短い文章が届いていた。絵文字なんて一切使われていないのが、明星らしい。
『詰んだ。家族からうるさいって苦情入った。オレの夏終了』
やばい、文字にしたら実感が余計に湧いてきた。大泣きしている犬のスタンプを続けて送る。オレ、本当にかわいそう。
明星からの返信は、それから十分ほど経って送られてきた。明星から始まったのに、一往復だけで終了したのかと思った。慰めてくれんのかな、それとも気合が足りないって喝を入れられたりするだろうか。なんとなく緊張しながらメッセージを開いたオレは、その瞬間に一気に起き上がった。
「えっ! マジ!?」
思わず大きな声を出すと、リビングのほうから翔太の
「兄ちゃんうるさーい。お母さん帰ってきたら言っちゃうからね!」
との文句が飛んできた。正直今はかまっていられない、翔太には悪いなと思いはするけれど。
オレに都合のいい幻でも見てんのかな? 確認するために、明星から送られてきた最新のメッセージを何度も何度も読み返す。どうやら現実らしい。そこに書いてあったのは、こうだ。
『じゃあうちで練習する? 天地が嫌じゃないならだけど』
明星の親はうるさくしても怒らないのかとか、そもそもどうしてそこまでしてくれるのだろうかとか。気になることは色々あるけれど、この提案に乗らない手はない。
『やる! やりたい! 今からそっち行く!』
急いでそう送って、慌てて立ち上がる。ギターをケースにしまって、ポケットにスマホと財布。部屋を飛び出そうとして、まだ部屋着だったことに気づいて適当なTシャツとズボンに着替えた。だめだ、一旦落ち着こう。外は溶けそうなくらいに暑いから、キャップも被ったほうがいい。お気に入りのそれを被って、鏡で確認する。うん、これで大丈夫だ。部屋を飛び出し、
「ちょっと友だちの家行ってくる!」
と翔太に叫びながらスニーカーを履いた。慌てるあまり、玄関でつんのめりそうになってしまった。冷静になるなんて、オレには無理だったみたいだ。
明星の最寄り駅で下りると、改札の外で明星が待っていた。即答したオレにラインでは驚いていたのに、迎えにきてくれるのだから優しい。
「明星〜!」
「よお。……天地、お前行動早すぎ。言って一時間もせず来るとは思わなかった」
「だーってマジで悩んでたからさあ。本っ当に助かった! 明星ありがとう! マジ神様!」
「はあ、それはどうも。じゃあ行くぞ。ここから十分くらい歩くから」
「了解!」
たった十分、されど十分。この炎天下では急速に体力も奪われていく。コンビニでジュースでも買ってくればよかった。なんて後悔しはじめた頃に、
「ここ」
と一軒の家を指さしながら、明星が立ち止まった。
「おお、ここが明星んち」
勝手に今どきのおしゃれな家か、背の高いマンションを予想していたけれど。そこに建っていたのは、和風な二階建ての一軒家だった。門を入ると飛び石三つのアプローチがあって、その先に引き戸の玄関。明星が開けると、ガラガラとアニメで聞いたみたいな音がした。
「ただいま」
「お邪魔しまーす」
「今誰もいない」
「あ、マジ? なあ、オレお邪魔しちゃってほんとに平気?」
「それは大丈夫。むしろ、天地が来るって言ったら大喜びで今いないっつうか……」
「ん? どういうこと?」
「それはまあ……すぐに分かる。なあ、なんか飲むよな? 麦茶でいい?」
「あ……うん。めっちゃ喉乾いてた。すげー助かります」
明星に続いて家の中を進むと、台所らしきところに入った明星が冷蔵庫を開けた。廊下を挟んで反対側には、リビングと思われるスペース。和室だから、居間のほうが正しいのかな。そのまた奥の部屋には、一台のピアノが置かれているのが見えた。音楽室にあるようなグランドピアノとは違う。ああいうの、アップライトピアノって言うんだっけ。
「はい、麦茶」
「あ、ありがとう。うう、今まで飲んだ麦茶でいちばんうまい……」
「大げさ」
「いやマジで! なあ、あのピアノって誰が弾くの?」
グラスを受け取って、すぐに一杯分ゴクゴクと飲み干してしまった。そうなると見越していたのか、明星はポットを手に持っていてすぐに注ぎ足してくれた。マジ助かる。
「あれは……オレの母親のヤツ」
「へえ、そうなんだ。もしかして明星も弾けたり……」
そう尋ねかけたところで、玄関の開く音がした。ただいまー、とのふたり分の声が聞こえてくる。
「あ、帰ってきた」
明星はすばやく玄関へと向かった。ただいま、おかえりとの声が聞こえてくる。オレも行ったほうがいいかなと悩んだけれど、足音はすぐにこちらへと向かってきた。友だちの親に挨拶するのって、結構緊張する。こんな子と付き合いがあるなんて、ってガッカリされたくないし。なるべく行儀よくと考えて、キャップを脱いで脇に挟み、麦茶のグラスを両手で握る。ささやかすぎるけど、やらないよりマシだろう。
まずは明星が先頭で戻ってきた。受け取ったのだろう買い物袋を、両手に提げている。なるほど、手伝うために出迎えに行ったのか。
「天地、俺のじいちゃんとばあちゃん」
続いて現れたのは、明星のおじいちゃんとおばあちゃんだった。
「あ……えっと、はじめまして、こんにちは! お邪魔してます」
予想外で、せっかく明星が紹介してくれたのに反応がちょっと遅れてしまった。それでもお辞儀しながら、できる限り元気に挨拶をする。
「じいちゃんばあちゃん、こっちは天地」
「天地くん、こんにちは。いらっしゃい。響くんがお友だちを連れてくるって言うから、はりきってお買い物してきちゃった。お昼作るから、食べていってね」
「えっ! いやいやそんな! 悪いです!」
「天地、迷惑じゃなかったら食べてって。時間ももう昼になるし」
時計を見て、たしかにそんな時間だということに気づく。そんなことも考えず、午前中から家を飛び出してきてしまった。申し訳なさでいっぱいになるけれど、明星はさっき、オレが来るから大喜びで家の人はいないのだと言っていたっけ。おばあちゃんも、はりきって買い物にいってきたと言ってくれた。つまり、素直に甘えるのが今はいちばんの選択なのかも。
「え、っと……急に来たのにすみません。お昼、楽しみにしてます」
「ふふ、こちらこそ。それじゃあ響くん、じいさん、買ってきたの台所に運んでね」
おばあちゃんに続いて、明星とおじいちゃんも台所へと入っていった。おばあちゃんはスキップでもしそうな勢いだ。おじいちゃんが、ふとこちらを振り返る。
「天地くんは、ギターを弾いているそうだね。響から聞いてるよ。遠慮せず練習するといい。私も音楽が好きでね、昔はギターもピアノも弾いたものだよ。だから私もばあさんも、家の中で音楽が鳴っているのは大好きなんだ」
「あ……ありがとうございます!」
まさか、こんな風に歓迎してもらえるとは思ってもみなかった。明星は許してくれても、家の人には遠慮しつつ弾くつもりだったから。じんわりと熱くなる胸を感じながら明星を見ると、
「ふ、変な顔」
と笑われてしまった。でも全然、怒る気にはなれない。口をむにゅむにゅ動かしてまさに変な顔をしていると思うし、そんなことより明星への感謝でいっぱいだから。
それじゃあさっそくと、明星の自室に案内してもらう。二階にある一室が明星の部屋らしい。フローリングの部屋に、ベッドとデスクがひとつ。ベッドの前には、ちいさなローテーブルもある。物は少なくて、すっきりとしている。
「明星のおじいちゃんとおばあちゃん、すげーいい人だな」
「うん、俺もそう思う。親の離婚で色々あってさ……ここに住ませてもらうことになったんだけど、歓迎してくれて。感謝してる」
明星の両親が離婚しているなんて、知らなかった。明星の声は少し強張っていて、だけどおじいちゃんとおばあちゃんへの感謝になるとほどけたように聞こえた。明星にとって、この話をすることは勇気がいることなのかもしれない。両親と弟と賑やかに暮らしているオレには、きっとどれだけ考えたって分からない。だから、明星の言葉をできる限りそのままの温度で受け取りたい。
「そうだったんだ。じゃあおじいちゃんとおばあちゃんと、明星とお母さんの四人暮らし?」
「……いや、母親は別のところ」
「……そっか、そうなんだ」
家族には様々な形があると、頭では分かっているつもりだったけれど。オレには考えも及ばないような、なにか深い事情が明星にはあるのかもしれない。これ以上聞くのは詮索するみたいで、したくない。なにか話題を変えようかと辺りを見渡すと、あるものが目に入った。
「あ、これ! 持っててくれてんじゃん!」
「あ……しまっとけばよかった」
「はは、なんでだよー」
春に横浜の夜で出くわした時、半ば強引におしつけた毛玉のキーホルダー。数冊の本とペン立てがあるデスクの上に、ちょこんと置かれていた。オレンジ色のそれをつまみ上げて、背中に背負っているギターケースを明星に見せる。
「オレもつけてきたし、ほら」
「あれ、リュックにつけてなかったっけ」
「そうそう。でも夏休み中はあのリュック使わないからさ。今はここがコイツの居場所」
「へえ。気に入ってんだ」
「うん。適当に獲っただけなのに、結構愛着湧いちゃった」
明星の毛玉を元の場所に戻しぽんぽんと撫でてから、ケースからギターを取り出す。今日の目的は、なによりもこれだ。
「えっと、練習ってここでしていいの?」
「うん。じいちゃんも言ってたけど、騒音になるとかそういうの、マジで気にしなくていいから。俺も全然苦じゃないし」
「うう、マジでありがとう〜……恩に着ます!」
パンッ! と音が鳴るほどに、顔の前で両手を合わせた。目をぎゅっとつぶって、ありったけの感謝を伝える。
「ふ、大げさ」
そんなオレを見て、明星はちいさく笑ってくれた。明星のその仕草で、ここで練習することを本当に歓迎してくれているのだと感じられる。
「えーっと……それじゃあ、ここ座らせてもらうな」
「うん、好きにして」
ベッドを背に、床に座りこむ。明星はデスクに向かって、ノートパソコンを開いたようだ。
「もしかして、明星は小説書く?」
「うん」
「おお。え、マジでうるさく……」
「ないよ」
「はは、ありがとう」
そうか、オレがギターを練習する間、明星は小説を書くのか。なんだかそれって、すごくいい。ひとつの部屋でバラバラのことをするけれど、お互いになにかを完成させようとしている。そこは同じなんだ。
高揚する胸を、一度深呼吸をして落ち着かせる。それから、ギターの弦に指を置く。練習するのはもちろん、最近ずっと弾いている曲だ。オレがちいさい頃に大流行した、4人組バンドの失恋ラブバラード。同じメロディをくり返すギターのイントロが印象的で、初心者のオレには正直難しい。
気分が乗ってきて、体でリズムを刻みながら最後まで通して弾くことができた。途中何度か間違えてしまったけれど、オレにしてみれば大きな進歩と言っていい。それになにより、苦情を受けることなくギターが弾けている。楽しくて仕方がない。
達成感に、天井に向かってふうと息を吐く。そこでふと明星のほうを見ると、明星は体ごとこちらを向いていた。思わず体がびくんと跳ねる。
「わっ、びっくりした……え、もしかして、ずっと聞いてた?」
「うん。いいじゃん」
「ええ、マジ? まだまだ下手だけどな。でもさんきゅ」
「歌は?」
「え?」
「歌は唄わねぇの?」
「あー、自分ちではちょっと唄ってるけど……さすがに恥ずいじゃん」
「気にしないでいいのに」
「でもさ〜……えー、明星そんなにオレの歌好きなん?」
いい声だと明星が言ってくれたことは、オレにとって衝撃的な出来事だった。今ではあの言葉が、オレの中に芯となって根づいている。とは言え、今のはだいぶ調子に乗った。照れ隠しに頭をかきながら、
「なーんちゃって……」
と取り消そうとしたら。明星がハッとした顔で口を抑え、気まずそうに目を逸らした。
「ええ〜、なにその反応……」
そんなの、その通りだと認めているのと一緒じゃん。オレまでどうしたらいいか分からなくなって、目を逸らす。けれど様子を窺うように明星に視線を戻した時、ばっちり目が合ってしまった。小っ恥ずかしくなった後、すぐにどちらからともなく吹き出した。腹を抱えて笑う。ああ、なんかこういうのいいな。
「もー、明星のせいで腹痛いってー」
「お前も吹いたんだから、お互い様だろ」
「まあ、確かにそうだけどー。なあ、歌も練習したらマージーで、うるさくなるけど。いいの?」
「こっちは最初からそのつもりだから。舐めんな?」
「ははっ。じゃあ、お言葉に甘えて! なあ、あとで明星の小説読みたい」
「それは無理」
「えー、オレは全部さらけ出してんのにー?」
「そう。天地はさらけ出してんのに」
「理不尽!」
けらけらと笑いながら、会話がひっきりなしに続く。すると明星が顔に笑みを残したまま、
「なあ、オリジナル曲は作ったりしねえの?」
と尋ねてきた。
「オリジナル? うーん、考えたことがないわけじゃないけど……オレにできるかなあ」
作詞作曲なんて、ものすごく難しそうだ。でもいつか作ってみたいとは思っている。でも具体的にはまだ想像がつかないなあ、なんて考えていたら。
「お昼ごはん、できましたよー」
とのおばあちゃんの声が下のほうから聞こえてきた。
「今行く」
部屋の扉を開けて返事をした明星が、こちらを振り返ってニヤリと笑う。
「ばあちゃん、すげー張り切って作ってると思うから。頑張って食えよ」
「マジ? まあ、高校生の胃袋舐めんな?」
「天地お前……俺の真似すんな」
「あ、バレた?」
「ふ、バレバレ」
なおも会話が止められないままオレはギター、明星はパソコンからしばし離れる。部屋の外に出るといい匂いが漂ってきて、オレのお腹が盛大に鳴ったせいで明星に笑われてしまった。
「……やっば。もうこんな時間じゃん。帰るかあ」
「うちはまだいてもらって全然平気だけど」
「う……でも帰るわ。うん」
夕方、十七時半頃。思う存分ギターを弾いて唄ったオレは、そろそろ帰ることにした。本音を言うと、もっともっと弾いていたいけれど。
お呼ばれさせてもらった昼ごはんは、本当にマジで美味しかった。わざわざ昼間から揚げてくれたらしい唐揚げに、お味噌汁、お刺身まであった。以前明星の弁当にも入っていた煮物は味が滲みていて絶品だったし、おばあちゃんが一から漬けたらしい梅干しはめちゃめちゃすっぱかった。それがすごくよかった。
居心地がよすぎて、夕飯も食べていきなよと言われたら頷いてしまいそうで。そうなる前に、と自分を律しての帰宅だ。自分で自分を褒めたい、マジで。
階段を下りると、明星のおじいちゃんとおばあちゃんがテレビを観ていた。
「あ。おじいちゃん、おばあちゃん、お邪魔しました。ごはんすげー美味かったし、ギターも弾けて最高でした!」
「あらあら、もう帰るの? こちらこそ、すごく楽しかったわ」
「またおいで。天地くんのギターが聞こえてきて、すごく心地よかったよ」
柔らかな笑顔に、会釈を返す。靴を履いて外へ出ると、夕方でもむわっとした空気が容赦なくまとわりついてきた。見送りに出てきてくれた明星も、「あっつ……」と零しながら顔をしかめる。
「明星、今日はマジで助かった! 誘ってくれてありがとう」
「俺は全然。てかさ、いつでも来ていいから。毎日でも」
「え……いやいや、それはさすがに甘えすぎだろ」
まさか、そんな提案をしてもらえるなんて思ってもみなかった。今日限りの夏休みのスペシャルな一日で、明日からはまた我慢の日々だと考えていたのに。
「でも、家じゃギター弾けなくなったんだろ? 明日からはどうすんの?」
「そうだけど……」
「せっかくやりたいって思ったのに、ここで止まんのはもったいないんじゃね」
「う……」
明星の眼差しが、まっすぐにオレを映している。あまりにまぶしくて、光が強く届いてしまって。逃げられない、いや、逃げちゃダメだと思わされる。素直な心でしか、答えたくない。
「……やりたい。本当は四六時中、ずっとギター触ってたい」
「うん」
思い切ってそう言うと、なぜか明星は誇らしげに頷いてくれた。それが無性にグッときて、そのわけを聞きたくなってしまう。
「……なあ、なんで明星はそんなにオレによくしてくれんの?」
「なんでって、それは……んー、言わなきゃダメ?」
その言い方は、ちゃんと理由があるヤツだ。そう分かってしまうと、もう絶対に引けない。明星のほうへと一歩距離を詰めて、
「めっちゃ知りたい」
と大きく頷きながら訴える。
「んー、なんつうか……俺もお前と同じっつうか」
「同じ?」
「いや、同じじゃないな。俺は全然、ダメだから」
「ダメ、って……?」
気まずそうに首の後ろを撫でながら、明星は視線を逸らした。指先で頬を掻いて、少しずつ話しはじめる。
「天地は俺にすげーって言ってくれたけど、本当に全然そんなことない。背中を押されたのは、俺のほう」
ああ、そうだ。夏休み前に一緒に帰った時も、明星はそんなことを言っていたっけ。背中を押した覚えなんて、全然ないのに。その真意は聞けないままになっていた。
「小説を書きたいって思ったのは、逃げなんだよ」
「逃げ?」
「うん。動機はそんなんだし、いざやろうとしても難しいし。小説を書くなんて、誰かに知られたらバカにされるとも思ってた。できるわけねえだろって。でも、天地はバカにするどころか、まっすぐすげーって言ってくれて。それで、やっと本気になれた。な、天地のほうが何倍もすげーんだよ。そのままのお前で、人を動かす力がある。それに、自分のやりたいこと、本当に真剣にやってる。きっかけが俺なのだけは、残念だけど」
「明星……」
ハハッと解放されたみたいな笑いを漏らして、明星は紫とオレンジと、それから青が混ざる夕空を見上げた。それからまっすぐにオレを見る。
「だから、単純に応援したくなった。いや、違うな。お前が頑張ってるとこ近くで見てられたら、俺ももっとできるんじゃないかって。そういう打算。ずるいだろ」
「っ、なんだよそれ。明星がずるいんだったら、オレなんかもっとだっつうの」
「そんなことはないだろ」
「そんなことあんの! だって、明星がそう言ってくれるオレは、明星がいなかったら存在しねえもん。夏休みになっても毎日ゴロゴロして、ダチと遊んで……ただそれだけをくり返してた。絶対に」
なんで、なんでオレは今泣きそうになってるんだろう。それを明星に知られたくなくて、必死に喉の奥に押しこんで、かっこつけようとしている。でも、違う。明星に伝えたいのは、もっと違うことだ。
「なあ、明星。今日、マジですげー楽しかった。家でひとりでやるより何倍も楽しくて、集中できて、もっと頑張りたいって本気で思った。ギター弾けるならどこでもよくて飛んできたけど、でも違った。オレ、明星とだから今日が特別だったんだって、今分かった」
「天地……」
「明星もそうだったってこと? 明星にとっての今日もそんな感じで、また来いよって言ってくれたって思っていい?」
「……ん、そういう感じ。天地のギター聞きながら小説のこと考えるの、すげーよかった」
「……っ」
不思議だなあと思う。オレは音楽、明星は小説。向き合っているものは違うのに、なんだか仲間みたいだ。そんな関係、もうオレには持てないものだと思っていたのに。明星がオレにもたらすものは、ひとつひとつが大きすぎる。
高揚して息が浅くなる胸を、こっそりと深呼吸をしてどうにか静める。
「明日、本当にまた来ていい?」
「うん」
「へへ、やった。あ、また気使わせたら悪いから、昼は食べてから来る」
「ばあちゃんはむしろ喜ぶと思うけどな」
「甘えっぱなしってわけにもいかないし」
「そっか」
「うん」
話って、どうやって切り上げるんだっけ。いや、それが分からないんじゃなくて、単に離れがたいのかも。明星の心とオレの心が交差したような感覚を、もっと味わっていたいから。
でも、いつまでもこうしてはいられない。どうにか振り切って、切り出す。
「えーっと。じゃあ、今度こそ帰るな」
「ん、またな」
「うん、また」
手を振って、家の敷地を出て振り返って、また振って。そうしたら、どちらからともなく吹き出してしまった。
「もー、帰れねえじゃん」
「そっちのせいだろ」
「えー、オレ的には明星のせいですー」
「ふっ」
「ははっ」
離れがたいのは変わらない。でも、明星の笑顔が明日という日を確信させてくれる。今度は両手を大きく振って、もう一度笑いあって。ようやくオレは、駅までの道を歩きはじめた。
断ってまでなにをしているかと言うと、もちろんギターにかじりついている。朝から晩まで、一日中だ。まずはこれを弾けるように、と目標にした曲は、もうじき攻略できそうだ。ちなみにギターの話はまだふたりにはしていないから、彼女ができてデート三昧なんだと疑われていたりする。的外れすぎてオレがかわいそう。
そんな風に過ごして、約一週間。オレには新たな問題が発生していた。音がうるさいと、家族から苦情が入ってしまった。せっかく見つけた没頭できるものなのに、とムッとしたけれど。オレの家はマンションで、両親とオレと翔太との四人暮らしだ。一人部屋をもらえているだけありがたいけど、音漏れは防ぎようがない。一日中聞かされる家族にしてみれば、たまったものじゃないのも頷ける。
「でもさ〜、どうすりゃいいんだよお……カラオケとか? でも、毎日通う金なんかねえし」
今からバイトを始めようにも、給料が出る頃には夏休みも終わりになってしまう。詰んだ。これは確実に。
絶望とギターを抱きしめて、オレはベッドに突っ伏した。足をバタつかせてみたところで、もちろん現状は変わらない。
七月の終わり際の、真っ昼間。今のオレからギターを取り上げたら、もうなんにも残らないのに。夏休みはまだまるまる一ヶ月もある。どうすんの? 宿題? そんなものは知ったこっちゃない。
「あーあ……」
ため息をついてちょっとだけ、本当にちょっとだけ半べそをかいてしまった時だった。スマホからメッセージの着信音が鳴った。誰だろう? 伊藤か宮田か、あるいはどこかのショップのDMか。そんな予想をしながら画面を見たら、まさかの明星からだった。
「おっ、明星!」
明星とは連絡先を交換して以来、何度かやり取りをしているけれど。それは全部、オレから始まるものだった。明星から送ってくれるのは初めてのことで、どうしたってテンションが上がる。さっそく開いてみると、
『ギターどんな感じ?』
との短い文章が届いていた。絵文字なんて一切使われていないのが、明星らしい。
『詰んだ。家族からうるさいって苦情入った。オレの夏終了』
やばい、文字にしたら実感が余計に湧いてきた。大泣きしている犬のスタンプを続けて送る。オレ、本当にかわいそう。
明星からの返信は、それから十分ほど経って送られてきた。明星から始まったのに、一往復だけで終了したのかと思った。慰めてくれんのかな、それとも気合が足りないって喝を入れられたりするだろうか。なんとなく緊張しながらメッセージを開いたオレは、その瞬間に一気に起き上がった。
「えっ! マジ!?」
思わず大きな声を出すと、リビングのほうから翔太の
「兄ちゃんうるさーい。お母さん帰ってきたら言っちゃうからね!」
との文句が飛んできた。正直今はかまっていられない、翔太には悪いなと思いはするけれど。
オレに都合のいい幻でも見てんのかな? 確認するために、明星から送られてきた最新のメッセージを何度も何度も読み返す。どうやら現実らしい。そこに書いてあったのは、こうだ。
『じゃあうちで練習する? 天地が嫌じゃないならだけど』
明星の親はうるさくしても怒らないのかとか、そもそもどうしてそこまでしてくれるのだろうかとか。気になることは色々あるけれど、この提案に乗らない手はない。
『やる! やりたい! 今からそっち行く!』
急いでそう送って、慌てて立ち上がる。ギターをケースにしまって、ポケットにスマホと財布。部屋を飛び出そうとして、まだ部屋着だったことに気づいて適当なTシャツとズボンに着替えた。だめだ、一旦落ち着こう。外は溶けそうなくらいに暑いから、キャップも被ったほうがいい。お気に入りのそれを被って、鏡で確認する。うん、これで大丈夫だ。部屋を飛び出し、
「ちょっと友だちの家行ってくる!」
と翔太に叫びながらスニーカーを履いた。慌てるあまり、玄関でつんのめりそうになってしまった。冷静になるなんて、オレには無理だったみたいだ。
明星の最寄り駅で下りると、改札の外で明星が待っていた。即答したオレにラインでは驚いていたのに、迎えにきてくれるのだから優しい。
「明星〜!」
「よお。……天地、お前行動早すぎ。言って一時間もせず来るとは思わなかった」
「だーってマジで悩んでたからさあ。本っ当に助かった! 明星ありがとう! マジ神様!」
「はあ、それはどうも。じゃあ行くぞ。ここから十分くらい歩くから」
「了解!」
たった十分、されど十分。この炎天下では急速に体力も奪われていく。コンビニでジュースでも買ってくればよかった。なんて後悔しはじめた頃に、
「ここ」
と一軒の家を指さしながら、明星が立ち止まった。
「おお、ここが明星んち」
勝手に今どきのおしゃれな家か、背の高いマンションを予想していたけれど。そこに建っていたのは、和風な二階建ての一軒家だった。門を入ると飛び石三つのアプローチがあって、その先に引き戸の玄関。明星が開けると、ガラガラとアニメで聞いたみたいな音がした。
「ただいま」
「お邪魔しまーす」
「今誰もいない」
「あ、マジ? なあ、オレお邪魔しちゃってほんとに平気?」
「それは大丈夫。むしろ、天地が来るって言ったら大喜びで今いないっつうか……」
「ん? どういうこと?」
「それはまあ……すぐに分かる。なあ、なんか飲むよな? 麦茶でいい?」
「あ……うん。めっちゃ喉乾いてた。すげー助かります」
明星に続いて家の中を進むと、台所らしきところに入った明星が冷蔵庫を開けた。廊下を挟んで反対側には、リビングと思われるスペース。和室だから、居間のほうが正しいのかな。そのまた奥の部屋には、一台のピアノが置かれているのが見えた。音楽室にあるようなグランドピアノとは違う。ああいうの、アップライトピアノって言うんだっけ。
「はい、麦茶」
「あ、ありがとう。うう、今まで飲んだ麦茶でいちばんうまい……」
「大げさ」
「いやマジで! なあ、あのピアノって誰が弾くの?」
グラスを受け取って、すぐに一杯分ゴクゴクと飲み干してしまった。そうなると見越していたのか、明星はポットを手に持っていてすぐに注ぎ足してくれた。マジ助かる。
「あれは……オレの母親のヤツ」
「へえ、そうなんだ。もしかして明星も弾けたり……」
そう尋ねかけたところで、玄関の開く音がした。ただいまー、とのふたり分の声が聞こえてくる。
「あ、帰ってきた」
明星はすばやく玄関へと向かった。ただいま、おかえりとの声が聞こえてくる。オレも行ったほうがいいかなと悩んだけれど、足音はすぐにこちらへと向かってきた。友だちの親に挨拶するのって、結構緊張する。こんな子と付き合いがあるなんて、ってガッカリされたくないし。なるべく行儀よくと考えて、キャップを脱いで脇に挟み、麦茶のグラスを両手で握る。ささやかすぎるけど、やらないよりマシだろう。
まずは明星が先頭で戻ってきた。受け取ったのだろう買い物袋を、両手に提げている。なるほど、手伝うために出迎えに行ったのか。
「天地、俺のじいちゃんとばあちゃん」
続いて現れたのは、明星のおじいちゃんとおばあちゃんだった。
「あ……えっと、はじめまして、こんにちは! お邪魔してます」
予想外で、せっかく明星が紹介してくれたのに反応がちょっと遅れてしまった。それでもお辞儀しながら、できる限り元気に挨拶をする。
「じいちゃんばあちゃん、こっちは天地」
「天地くん、こんにちは。いらっしゃい。響くんがお友だちを連れてくるって言うから、はりきってお買い物してきちゃった。お昼作るから、食べていってね」
「えっ! いやいやそんな! 悪いです!」
「天地、迷惑じゃなかったら食べてって。時間ももう昼になるし」
時計を見て、たしかにそんな時間だということに気づく。そんなことも考えず、午前中から家を飛び出してきてしまった。申し訳なさでいっぱいになるけれど、明星はさっき、オレが来るから大喜びで家の人はいないのだと言っていたっけ。おばあちゃんも、はりきって買い物にいってきたと言ってくれた。つまり、素直に甘えるのが今はいちばんの選択なのかも。
「え、っと……急に来たのにすみません。お昼、楽しみにしてます」
「ふふ、こちらこそ。それじゃあ響くん、じいさん、買ってきたの台所に運んでね」
おばあちゃんに続いて、明星とおじいちゃんも台所へと入っていった。おばあちゃんはスキップでもしそうな勢いだ。おじいちゃんが、ふとこちらを振り返る。
「天地くんは、ギターを弾いているそうだね。響から聞いてるよ。遠慮せず練習するといい。私も音楽が好きでね、昔はギターもピアノも弾いたものだよ。だから私もばあさんも、家の中で音楽が鳴っているのは大好きなんだ」
「あ……ありがとうございます!」
まさか、こんな風に歓迎してもらえるとは思ってもみなかった。明星は許してくれても、家の人には遠慮しつつ弾くつもりだったから。じんわりと熱くなる胸を感じながら明星を見ると、
「ふ、変な顔」
と笑われてしまった。でも全然、怒る気にはなれない。口をむにゅむにゅ動かしてまさに変な顔をしていると思うし、そんなことより明星への感謝でいっぱいだから。
それじゃあさっそくと、明星の自室に案内してもらう。二階にある一室が明星の部屋らしい。フローリングの部屋に、ベッドとデスクがひとつ。ベッドの前には、ちいさなローテーブルもある。物は少なくて、すっきりとしている。
「明星のおじいちゃんとおばあちゃん、すげーいい人だな」
「うん、俺もそう思う。親の離婚で色々あってさ……ここに住ませてもらうことになったんだけど、歓迎してくれて。感謝してる」
明星の両親が離婚しているなんて、知らなかった。明星の声は少し強張っていて、だけどおじいちゃんとおばあちゃんへの感謝になるとほどけたように聞こえた。明星にとって、この話をすることは勇気がいることなのかもしれない。両親と弟と賑やかに暮らしているオレには、きっとどれだけ考えたって分からない。だから、明星の言葉をできる限りそのままの温度で受け取りたい。
「そうだったんだ。じゃあおじいちゃんとおばあちゃんと、明星とお母さんの四人暮らし?」
「……いや、母親は別のところ」
「……そっか、そうなんだ」
家族には様々な形があると、頭では分かっているつもりだったけれど。オレには考えも及ばないような、なにか深い事情が明星にはあるのかもしれない。これ以上聞くのは詮索するみたいで、したくない。なにか話題を変えようかと辺りを見渡すと、あるものが目に入った。
「あ、これ! 持っててくれてんじゃん!」
「あ……しまっとけばよかった」
「はは、なんでだよー」
春に横浜の夜で出くわした時、半ば強引におしつけた毛玉のキーホルダー。数冊の本とペン立てがあるデスクの上に、ちょこんと置かれていた。オレンジ色のそれをつまみ上げて、背中に背負っているギターケースを明星に見せる。
「オレもつけてきたし、ほら」
「あれ、リュックにつけてなかったっけ」
「そうそう。でも夏休み中はあのリュック使わないからさ。今はここがコイツの居場所」
「へえ。気に入ってんだ」
「うん。適当に獲っただけなのに、結構愛着湧いちゃった」
明星の毛玉を元の場所に戻しぽんぽんと撫でてから、ケースからギターを取り出す。今日の目的は、なによりもこれだ。
「えっと、練習ってここでしていいの?」
「うん。じいちゃんも言ってたけど、騒音になるとかそういうの、マジで気にしなくていいから。俺も全然苦じゃないし」
「うう、マジでありがとう〜……恩に着ます!」
パンッ! と音が鳴るほどに、顔の前で両手を合わせた。目をぎゅっとつぶって、ありったけの感謝を伝える。
「ふ、大げさ」
そんなオレを見て、明星はちいさく笑ってくれた。明星のその仕草で、ここで練習することを本当に歓迎してくれているのだと感じられる。
「えーっと……それじゃあ、ここ座らせてもらうな」
「うん、好きにして」
ベッドを背に、床に座りこむ。明星はデスクに向かって、ノートパソコンを開いたようだ。
「もしかして、明星は小説書く?」
「うん」
「おお。え、マジでうるさく……」
「ないよ」
「はは、ありがとう」
そうか、オレがギターを練習する間、明星は小説を書くのか。なんだかそれって、すごくいい。ひとつの部屋でバラバラのことをするけれど、お互いになにかを完成させようとしている。そこは同じなんだ。
高揚する胸を、一度深呼吸をして落ち着かせる。それから、ギターの弦に指を置く。練習するのはもちろん、最近ずっと弾いている曲だ。オレがちいさい頃に大流行した、4人組バンドの失恋ラブバラード。同じメロディをくり返すギターのイントロが印象的で、初心者のオレには正直難しい。
気分が乗ってきて、体でリズムを刻みながら最後まで通して弾くことができた。途中何度か間違えてしまったけれど、オレにしてみれば大きな進歩と言っていい。それになにより、苦情を受けることなくギターが弾けている。楽しくて仕方がない。
達成感に、天井に向かってふうと息を吐く。そこでふと明星のほうを見ると、明星は体ごとこちらを向いていた。思わず体がびくんと跳ねる。
「わっ、びっくりした……え、もしかして、ずっと聞いてた?」
「うん。いいじゃん」
「ええ、マジ? まだまだ下手だけどな。でもさんきゅ」
「歌は?」
「え?」
「歌は唄わねぇの?」
「あー、自分ちではちょっと唄ってるけど……さすがに恥ずいじゃん」
「気にしないでいいのに」
「でもさ〜……えー、明星そんなにオレの歌好きなん?」
いい声だと明星が言ってくれたことは、オレにとって衝撃的な出来事だった。今ではあの言葉が、オレの中に芯となって根づいている。とは言え、今のはだいぶ調子に乗った。照れ隠しに頭をかきながら、
「なーんちゃって……」
と取り消そうとしたら。明星がハッとした顔で口を抑え、気まずそうに目を逸らした。
「ええ〜、なにその反応……」
そんなの、その通りだと認めているのと一緒じゃん。オレまでどうしたらいいか分からなくなって、目を逸らす。けれど様子を窺うように明星に視線を戻した時、ばっちり目が合ってしまった。小っ恥ずかしくなった後、すぐにどちらからともなく吹き出した。腹を抱えて笑う。ああ、なんかこういうのいいな。
「もー、明星のせいで腹痛いってー」
「お前も吹いたんだから、お互い様だろ」
「まあ、確かにそうだけどー。なあ、歌も練習したらマージーで、うるさくなるけど。いいの?」
「こっちは最初からそのつもりだから。舐めんな?」
「ははっ。じゃあ、お言葉に甘えて! なあ、あとで明星の小説読みたい」
「それは無理」
「えー、オレは全部さらけ出してんのにー?」
「そう。天地はさらけ出してんのに」
「理不尽!」
けらけらと笑いながら、会話がひっきりなしに続く。すると明星が顔に笑みを残したまま、
「なあ、オリジナル曲は作ったりしねえの?」
と尋ねてきた。
「オリジナル? うーん、考えたことがないわけじゃないけど……オレにできるかなあ」
作詞作曲なんて、ものすごく難しそうだ。でもいつか作ってみたいとは思っている。でも具体的にはまだ想像がつかないなあ、なんて考えていたら。
「お昼ごはん、できましたよー」
とのおばあちゃんの声が下のほうから聞こえてきた。
「今行く」
部屋の扉を開けて返事をした明星が、こちらを振り返ってニヤリと笑う。
「ばあちゃん、すげー張り切って作ってると思うから。頑張って食えよ」
「マジ? まあ、高校生の胃袋舐めんな?」
「天地お前……俺の真似すんな」
「あ、バレた?」
「ふ、バレバレ」
なおも会話が止められないままオレはギター、明星はパソコンからしばし離れる。部屋の外に出るといい匂いが漂ってきて、オレのお腹が盛大に鳴ったせいで明星に笑われてしまった。
「……やっば。もうこんな時間じゃん。帰るかあ」
「うちはまだいてもらって全然平気だけど」
「う……でも帰るわ。うん」
夕方、十七時半頃。思う存分ギターを弾いて唄ったオレは、そろそろ帰ることにした。本音を言うと、もっともっと弾いていたいけれど。
お呼ばれさせてもらった昼ごはんは、本当にマジで美味しかった。わざわざ昼間から揚げてくれたらしい唐揚げに、お味噌汁、お刺身まであった。以前明星の弁当にも入っていた煮物は味が滲みていて絶品だったし、おばあちゃんが一から漬けたらしい梅干しはめちゃめちゃすっぱかった。それがすごくよかった。
居心地がよすぎて、夕飯も食べていきなよと言われたら頷いてしまいそうで。そうなる前に、と自分を律しての帰宅だ。自分で自分を褒めたい、マジで。
階段を下りると、明星のおじいちゃんとおばあちゃんがテレビを観ていた。
「あ。おじいちゃん、おばあちゃん、お邪魔しました。ごはんすげー美味かったし、ギターも弾けて最高でした!」
「あらあら、もう帰るの? こちらこそ、すごく楽しかったわ」
「またおいで。天地くんのギターが聞こえてきて、すごく心地よかったよ」
柔らかな笑顔に、会釈を返す。靴を履いて外へ出ると、夕方でもむわっとした空気が容赦なくまとわりついてきた。見送りに出てきてくれた明星も、「あっつ……」と零しながら顔をしかめる。
「明星、今日はマジで助かった! 誘ってくれてありがとう」
「俺は全然。てかさ、いつでも来ていいから。毎日でも」
「え……いやいや、それはさすがに甘えすぎだろ」
まさか、そんな提案をしてもらえるなんて思ってもみなかった。今日限りの夏休みのスペシャルな一日で、明日からはまた我慢の日々だと考えていたのに。
「でも、家じゃギター弾けなくなったんだろ? 明日からはどうすんの?」
「そうだけど……」
「せっかくやりたいって思ったのに、ここで止まんのはもったいないんじゃね」
「う……」
明星の眼差しが、まっすぐにオレを映している。あまりにまぶしくて、光が強く届いてしまって。逃げられない、いや、逃げちゃダメだと思わされる。素直な心でしか、答えたくない。
「……やりたい。本当は四六時中、ずっとギター触ってたい」
「うん」
思い切ってそう言うと、なぜか明星は誇らしげに頷いてくれた。それが無性にグッときて、そのわけを聞きたくなってしまう。
「……なあ、なんで明星はそんなにオレによくしてくれんの?」
「なんでって、それは……んー、言わなきゃダメ?」
その言い方は、ちゃんと理由があるヤツだ。そう分かってしまうと、もう絶対に引けない。明星のほうへと一歩距離を詰めて、
「めっちゃ知りたい」
と大きく頷きながら訴える。
「んー、なんつうか……俺もお前と同じっつうか」
「同じ?」
「いや、同じじゃないな。俺は全然、ダメだから」
「ダメ、って……?」
気まずそうに首の後ろを撫でながら、明星は視線を逸らした。指先で頬を掻いて、少しずつ話しはじめる。
「天地は俺にすげーって言ってくれたけど、本当に全然そんなことない。背中を押されたのは、俺のほう」
ああ、そうだ。夏休み前に一緒に帰った時も、明星はそんなことを言っていたっけ。背中を押した覚えなんて、全然ないのに。その真意は聞けないままになっていた。
「小説を書きたいって思ったのは、逃げなんだよ」
「逃げ?」
「うん。動機はそんなんだし、いざやろうとしても難しいし。小説を書くなんて、誰かに知られたらバカにされるとも思ってた。できるわけねえだろって。でも、天地はバカにするどころか、まっすぐすげーって言ってくれて。それで、やっと本気になれた。な、天地のほうが何倍もすげーんだよ。そのままのお前で、人を動かす力がある。それに、自分のやりたいこと、本当に真剣にやってる。きっかけが俺なのだけは、残念だけど」
「明星……」
ハハッと解放されたみたいな笑いを漏らして、明星は紫とオレンジと、それから青が混ざる夕空を見上げた。それからまっすぐにオレを見る。
「だから、単純に応援したくなった。いや、違うな。お前が頑張ってるとこ近くで見てられたら、俺ももっとできるんじゃないかって。そういう打算。ずるいだろ」
「っ、なんだよそれ。明星がずるいんだったら、オレなんかもっとだっつうの」
「そんなことはないだろ」
「そんなことあんの! だって、明星がそう言ってくれるオレは、明星がいなかったら存在しねえもん。夏休みになっても毎日ゴロゴロして、ダチと遊んで……ただそれだけをくり返してた。絶対に」
なんで、なんでオレは今泣きそうになってるんだろう。それを明星に知られたくなくて、必死に喉の奥に押しこんで、かっこつけようとしている。でも、違う。明星に伝えたいのは、もっと違うことだ。
「なあ、明星。今日、マジですげー楽しかった。家でひとりでやるより何倍も楽しくて、集中できて、もっと頑張りたいって本気で思った。ギター弾けるならどこでもよくて飛んできたけど、でも違った。オレ、明星とだから今日が特別だったんだって、今分かった」
「天地……」
「明星もそうだったってこと? 明星にとっての今日もそんな感じで、また来いよって言ってくれたって思っていい?」
「……ん、そういう感じ。天地のギター聞きながら小説のこと考えるの、すげーよかった」
「……っ」
不思議だなあと思う。オレは音楽、明星は小説。向き合っているものは違うのに、なんだか仲間みたいだ。そんな関係、もうオレには持てないものだと思っていたのに。明星がオレにもたらすものは、ひとつひとつが大きすぎる。
高揚して息が浅くなる胸を、こっそりと深呼吸をしてどうにか静める。
「明日、本当にまた来ていい?」
「うん」
「へへ、やった。あ、また気使わせたら悪いから、昼は食べてから来る」
「ばあちゃんはむしろ喜ぶと思うけどな」
「甘えっぱなしってわけにもいかないし」
「そっか」
「うん」
話って、どうやって切り上げるんだっけ。いや、それが分からないんじゃなくて、単に離れがたいのかも。明星の心とオレの心が交差したような感覚を、もっと味わっていたいから。
でも、いつまでもこうしてはいられない。どうにか振り切って、切り出す。
「えーっと。じゃあ、今度こそ帰るな」
「ん、またな」
「うん、また」
手を振って、家の敷地を出て振り返って、また振って。そうしたら、どちらからともなく吹き出してしまった。
「もー、帰れねえじゃん」
「そっちのせいだろ」
「えー、オレ的には明星のせいですー」
「ふっ」
「ははっ」
離れがたいのは変わらない。でも、明星の笑顔が明日という日を確信させてくれる。今度は両手を大きく振って、もう一度笑いあって。ようやくオレは、駅までの道を歩きはじめた。



