明星(みよせ)っていつも昼休み消えるけど、どこ行ってんの?」
「なあ明星」
「なーあ、なあってばー」

 あれ以来、オレは毎日明星に話しかけるようになった。毎回返事をしてくれるような明星ではないけれど、オレはめげなかった。興味が勝っているからだ。みんなが口を揃えて言う明星への恐怖心より、無視される虚しさより、明星が小説を書いていることへの。オレはまだまだ未知な明星自身と、この衝動を信じたい。

「明星ー、昼飯どこかで食ってんだよな? ついてっていい?」
「…………」

 今日も今日とて、オレは明星に声をかける。返事はもちろんない。

「おい詠太(えいた)、お前いい加減にしろって……」
「同感。そろそろ諦めたら? 明星も迷惑してんじゃねえの」

 この通り、伊藤(いとう)宮田(みやた)からも呆れられている。潜めた声でオレをなだめながら、伊藤が制服をつまんでくいくいと引っ張ってくる。

「そうかもしんねえけどさー……」

 そうこうしている内に、弁当をリュックから取り出した明星は席を立ってしまった。出口に向かう背中を見見送るしかなく、自分の席に腰を下ろす。今日のところもオレの負けみたいだ。

「てかさ、マジでどうした? 詠太が明星に話しかけはじめた時、俺マジでビビったんだけど!」
「それな。明星となんかあったのか? いい加減、教えてくれてもいいだろ」
「んー……」

 いきなり始まったオレの奇行――そう言ったのは宮田だ、たしかにそう見えても仕方がないのかも――に、ふたりは心配してくれている。いい友だちを持ったと思う。思うけれど、こればっかりは言うわけにはいかない。明星との約束だから。

「別になんもないって。ただ、ちゃんと話してみたいなって思ってるだけ」
「それだったらいいんだけどさー……詠太になんかあったらイヤじゃん。ケンカに巻きこまれるとかさー」
「伊藤、ありがと。宮田も」
「いいってそんなん。ダチなんだし普通」
「ま、そういうことだな」

 本当にいいヤツらだ。感謝しながらランチクロスをほどいて、箸を持って手を合わせる。

「待たせてごめんな、食べよ。いただきま……」

 そう言いかけたけど、オレはピタリと動きを止めた。

天地(あまち)

 と名前を呼ばれたからだ。この声は、絶対に明星だ。弾かれたように顔を上げると、扉のところに明星が立っていた。背後を親指で指し示し、こちらを見ている。オレは慌てて弁当を包みなおした。

「行ってくる!」

 とふたりに伝えて、明星の元へ駆け寄る。呆れた顔をした明星が、

「今日だけだからな」

 とため息混じりにつぶやいた。


「なあ、どこ行くの?」
「もうちょっと歩く」
「もしかして、明星しか知らない秘密の場所とかあんの?」
「なんだそれ。別に、行こうと思えば誰でも行けるとこ」
「オレよりこの学校に詳しいじゃん」

 明星が歩くと、廊下にいた人たちが避けるように割れていく。なにもそこまで、と思うけど、ちょっと前ならオレもそうしていたのかも。明星はどんな気持ちで、この光景を目にしているんだろう。そんなことを考えながら明星の後を歩いていたら、気がついた時には屋上に続く扉の前へ来ていた。薄暗くて、ちょっとほこりっぽい。

「へえ、初めてきた」

 こんなところで、いつもひとりで昼飯を食べているのだろうか。それって、ちゃんと美味しいのかな。ちくりと胸を痛ませながら戸惑っていると、どかりと腰を下ろした明星が開口一番、

「つきまとうなって言ったよな?」

 と低い声でじろりと睨みあげてきた。こう言われるだろうことは、予想がついていた。オレは得意げに鼻を鳴らしながら、明星の隣に腰を下ろす。さっそく弁当を広げつつ、

「小説のことは言わないって約束はしたけど、それに関してはオレ、同意してない」

 と答える。

「はあ? 嘘つくな」
「いやマジで。オレはもっと明星のことが知りなくなる、でも明星はそんなオレが鬱陶しくて追っ払おうとする。そんな気がしたから、つきまとうなって言われた時はちゃんとはぐらかしたからね」
「お前……マジかよ。腹立つヤツだな」
「はは、オレも自分でちょっと引いた。オレってこんなずる賢かったかなって」
「知らねえよ……はあ。まあいいや、飯食う。いただきます」

 苛立っているようだけど、ちゃんとお腹は空くらしい。ムカつかせている本人としては、ちょっと安心する。弁当をひろげた明星は、丁寧に手を合わせた。それを見たオレは、つい感心してしまった。根っからの悪人がきちんといただきますを言うなんて、ちょっと考えられない。ごはんの真ん中に置かれた梅干しとか煮物のおかずとか、純和風の弁当もなんだかいい。いい意味で、明星のイメージが上書きされていく。

「はは」
「……なに笑ってんだよ」
「んー? いやオレさ、やっぱり明星のこと、全然怖くないなーって思って」
「…………」
「否定しないんだ?」
「……クラスのヤツらに、いや、学校全体か? 色々言われてるのは知ってるけど。怖がらせたいとも、怖がられたくないとも、別に思ってない。どっちでもいい」
「明星……」

 やっぱり明星には、不良なんて看板は似合わない。新しい一面を知る度にそう思う。ケンカをしているのはよくないけれど、きっとオレたちとそう変わらない、ただの高校生だ。

「なあ、そんなことよりなに? なんで毎日話しかけてくんの?」
「……ん? ああ、それは……単純に興味があって」

 いつの間にか、明星の横顔をマジマジと見つめてしまっていたみたいだ。頬張っていた唐揚げを、急いで咀嚼して飲みこむ。

「興味? なにに?」
「なにって、明星の書いてる小説! なあ、オレ読んでみたい」
「は? いや無理」
「ええー、即答……なんでだよー、読ませてくれたっていいじゃん」
「絶対に、い、や、だ」
「うぐ……」

 明星がどんな小説を書いているのか、どうしても読んでみたかったのに。見事に拒絶されてしまった。「いやだ」のたった三文字の間を開ける言い方が、オレの胸にグサッと刺さる。

「はあ、マジかあ。読んでみたかったんだけどなあ、明星の書く物語」

 落胆してしまったオレは、弁当も中途半端にそのまま後ろに寝転がった。屋上への扉から入る光に、ほこりがふわふわ舞っているのが見える。

「……見せられねぇんだよ」
「…………? それってどういう意味?」

 見せられないってどういう意味だろう。体を起き上がらせて聞いてみたけど、

「なんでもねえ」

 と明星はもう取り合ってはくれない。

「そんなあ……」

 オレは今度は自分にがっかりして、がくんと首を項垂れた。どうにも上手くいかない。

「なに、なんでそんな興味あんの? もしかして、天地も小説書きたいとか?」

 弁当を食べ終えたらしい明星が、ごちそうさまでしたと手を合わせながらそう言った。おお、明星のほうからオレのことを聞いてくれるなんて、スーパーレアだ。

「いや、全然そういうんじゃない。そもそも読書自体、全然しないし」
「へえ。じゃあなんで?」
「うーん、なんつうか……やりたいことが明確にあって、それを実行してるのがすげーなって。しかも小説を書くとか、考えたこともなければ周りでも聞いたことないし」
「…………」

 心の中を見渡して言葉にしながら、ああ、そういうことかとオレ自身も腑に落ちた。こういうのを、憧れている、というのかもしれない。伊藤と宮田と遊んだ街で、明星を見つけたあの夜。焦げちゃいそうなくらい熱くなった胸の感覚を、今もまだ覚えている。

 明星に憧れて、そしてきっと焦ったんだ。オレにはなにもないから。

「俺は別に、全然……そんな言われるほど、すごくなんかない」
「ううん、すげーよ。少なくともオレはそう思う」
「……天地は?」
「ん? オレ? なにが?」
「天地はなんかねえの? やりたいこと」
「オレ? オレは……」

 オレにはなにもない。夢中になれることも、やりたいことも。ああ、でもギターは好きだな。気ままにギターを弾いて口ずさんでいる時だけは、劣等感や焦燥感もなく楽しい。でも……ただそれだけだ。

「なんかあんだ?」
「あー……ううん、なんもない。オレなんか、マジで全然空っぽだから」
「…………」

 明星がじいっと見つめてくる。なにを考えているのかは、全然分からない。やりたいことがあって、ちゃんと実行している。そんな明星がまぶしくて、なんだか居た堪れなくて思わず目を逸らした。

「天地ってなんつうか……俺に対してはぐいぐい来るくせに、自分のことになると消極的なのな」
「っ、それは……!」

 図星をつかれて、オレはぐっと息を飲んだ。顔が一気に熱くなる。だって恥ずかしい、みっともないオレを知られてしまった。反射的に言い返そうとしたけど、なにも言葉は出てこなくて。勢いがみるみる萎んでいく。

 分かっている。消極的なのは、()()失敗するのが怖いからだ。

「あー……なんつうか、もう性分なんだよな。明星とか、他の誰かでもそうだけど。なにかに打ちこんでんの素直にすげーって、頑張ってほしいなって思えるんだけどさ。そういう明るい感情、自分には向けられないんだよ。オレなんてどうせ、なにしたってダメだし」
「ふーん……」

 まだなにか言いたげな顔に見えるのに、明星はそれ以上なにも言わなかった。沈黙が気まずくて、他愛もないことをオレはべらべらと喋り続ける。

「あ、そう言えば! なあ、あの毛玉どうした? オレンジのヤツ! どこにもつけてくれてないじゃん」
「いや、つけねえだろ」
「えー、なんで? オレはリュックにつけてるけど?」
「……知ってる。おそろいとか嫌だし、絶対つけない」
「ええ、ひっど!」

 むくれつつオレが笑うと、明星も呆れたようにちょっと笑ってくれた。ちいさく上がった口角に、オレは大げさなくらいに安堵してしまった。空っぽなオレを見せてしまったのに、明星がそうしてくれたから。