「じゃあ、天地くんから。ピアノの音、ちゃんと聞いてね」
「はーい」
4時間目の音楽の授業。今日は先週から告知されていた通り、ひとりずつの歌のテストがある。出席番号が1番だとどうしても、トップバッターになってしまう。天地詠太という名前は割と気に入っているけど、こういう時だけはツイてないなあといつも思う。
ピアノのそばに立って、先生の伴奏に合わせて唄う。クラスメイトたちの前でひとりで唄うなんて、だいぶ緊張するけれど。誰も他人の歌なんて、真剣に聞いちゃいない。ボリュームは抑えつつも、みんなおしゃべりに夢中だ。
「はい、天地くんありがとう。もうちょっと声張れたら、グッと上手くなると思うんだけどなー」
音楽は好きだ。家にいる時も登下校のひとりの時間も、イヤホンでずっと聴いている。高校に入学した昨年には、父親からお古のアコースティックギターをもらった。それ以来、適当に弾きながら口ずさむのがオレのひそかな趣味だったりする。とは言え、学校のテストで本気で唄う気にはなれない。教科書から選ばれた課題曲の言いたいことも、よく分からないし。
「はは、ありがとうございまーす」
へらりと笑いながら先生に会釈をして、席へ戻る。窓から入ってくる5月の風が、校則がゆるいのをいいことにオレンジっぽく染めた髪と、耳に飾っているピアスを揺らす。
「詠太〜、なんかお前、結構歌上手くね?」
「それな。俺も思った」
特別教室では、先生によっては適当な席に座ることを許してくれる。音楽の先生もそのタイプだ。そうなるとみんな、仲のいい友だちと固まって席を取るわけで。オレの隣と前の席に座っている、伊藤と宮田が声をかけてきた。
お調子者で常に彼女募集中の伊藤と、言動は落ち着いているけれどオタク気質の宮田。ふたりとは、一年の頃からの付き合いだ。
「えー、ほんとかよ」
「ほんとだって!」
「はいはい、さんきゅ。ほら伊藤、次お前の番だろ。早く行ったほうがいいんじゃね」
「あっ、そうじゃん!」
慌てながら前へ出る伊藤に、「頑張れよー」とエールを送る。そうしてようやく、腰を下ろしてひと息ついた時。ふと視線を感じて顔を上げると、窓際のいちばん後ろに陣取るクラスメイトと目が合った。すぐに逸らされたけれど、眉間をぎゅっと寄せたしかめっ面だったのを、オレは見逃さなかった。
明星響。高校二年生としての一年が始まった日に、他県から転校してきたヤツだ。クラス替えが行われたばかりでみんなが浮ついている中、黒板の前で自己紹介をさせられたのは気の毒だったけれど。オレたちが受けた第一印象は、正直よくなかった。180は優に超えているだろう高身長、野暮ったい黒髪から覗く鋭い目。おまけに口元には、痛々しい生傷があった。そして無愛想。しょっちゅうケンカをしている不良で、前の学校も追い出されてきた――そんな噂があっという間に広がった。ここは神奈川県内でも決して偏差値がいいわけじゃない高校だけれど、それでもあんな明らかな不良はいない。
誰も明星には寄りつかず、でもそんなことは気にもしていなさそうな、一匹狼。オレも、未だに一度も話したことはない。
それなのに、なぜか睨まれちゃったわけだけど。
授業が終わり、音楽室を出る。昼休みの始まりだから、廊下はなかなかに賑やかだ。
「俺、自販機寄ってく」
「あ、俺も! 詠太はどうする?」
「オレは買うもんないし、いいかな。先戻ってるわ」
「ん、りょーかい!」
自動販売機が設置してある昇降口は、教室とは反対方面だ。用事もないのについて行くには、ちょっと遠い。階段を下りていく伊藤と宮田を見送って、教室へと向かおうとした時。廊下になにかが落ちていることに気がついた。
「ん? あのメモ帳って……」
落ちているのは、メモ帳だ。開いて伏せた状態で、端っこのほうに転がっている。手のひらサイズで、黒い表紙のリングノート。オレはそれに見覚えがあった。
「明星のヤツ……か?」
5月頭に行われた席替えで、オレは真ん中の列、いちばん後ろの席になった。その斜め前が、あの明星の席で。授業中だって構わずに、なにか書きこんでいるのを見たことがある。
「届けてやったほうがいい、よな」
とは言っても、話しかけても無視されたりして。なんたって、睨まれちゃったばっかりだし。そう思うと戸惑うけど、このまま見なかったことにするのも後味が悪い。必死に探しているのを見たりなんかしたら、後悔しそうだし。
仕方なくメモを拾いつつ、数メートル先を歩いている明星の名前を呼ぶ。背の高いヤツは、見つけやすいからありがたい。
「おーい明星ー、くん。メモ帳落としてない? これー」
「……は?」
さっき音楽室で目が合った時よりいかつい表情で、明星が勢いよく振り返った。まあまあ怖いけど、メモ帳を上に掲げて「これこれ」と振ってみせる。すると、プラスチックでできた表紙がパカパカと浮いた。よしておけばいいのに、オレはついその中身を目で追ってしまった。
表紙を開いて1ページ目にあたるそこには、聞き慣れない言葉が書きこまれていた。気になったけどよくよく見ようとする前に、
「っ、返せ!」
と血相を変えて走ってきた明星に奪われてしまった。いや、奪われたんじゃなくて、持ち主の元に返ったわけだけど。なにも、そんな手荒くひったくるようにしなくたっていいのに。
「……見たか?」
「え?」
「っ、このメモの中……見たのかって聞いた」
「あー……まさか! 見てない! 見てないよ、もちろん!」
「……本当に?」
「本当! マジで!」
あ、これはどうやらまずいヤツみたいだ。はーい見ました! だなんて言ったら、なにをされるか分からない。ぶんぶんと首を横に振って、オレは無実を証明するみたいに両手を掲げた。明星はそんなオレを見て、安心したように息を吐いて教室のほうへと歩き出した。
あーあ、不可抗力とはいえ嘘をついてしまった。罪悪感はあるけど、怒らせないで済んだからよかった。でも、あのメモの中身がどうにも気になってしまう。
「プロット……ってなんなんだろ」
起承転結、とも書いてあった気がする。たしか、国語で習った。勉強はそんなに得意じゃないオレには、ちょっと難しい内容だ。ただ――
「優しい、物語……」
いちばん下にそう書かれていて、丸で囲んであった。それがやけに、オレの頭に強く残った。
「はーい」
4時間目の音楽の授業。今日は先週から告知されていた通り、ひとりずつの歌のテストがある。出席番号が1番だとどうしても、トップバッターになってしまう。天地詠太という名前は割と気に入っているけど、こういう時だけはツイてないなあといつも思う。
ピアノのそばに立って、先生の伴奏に合わせて唄う。クラスメイトたちの前でひとりで唄うなんて、だいぶ緊張するけれど。誰も他人の歌なんて、真剣に聞いちゃいない。ボリュームは抑えつつも、みんなおしゃべりに夢中だ。
「はい、天地くんありがとう。もうちょっと声張れたら、グッと上手くなると思うんだけどなー」
音楽は好きだ。家にいる時も登下校のひとりの時間も、イヤホンでずっと聴いている。高校に入学した昨年には、父親からお古のアコースティックギターをもらった。それ以来、適当に弾きながら口ずさむのがオレのひそかな趣味だったりする。とは言え、学校のテストで本気で唄う気にはなれない。教科書から選ばれた課題曲の言いたいことも、よく分からないし。
「はは、ありがとうございまーす」
へらりと笑いながら先生に会釈をして、席へ戻る。窓から入ってくる5月の風が、校則がゆるいのをいいことにオレンジっぽく染めた髪と、耳に飾っているピアスを揺らす。
「詠太〜、なんかお前、結構歌上手くね?」
「それな。俺も思った」
特別教室では、先生によっては適当な席に座ることを許してくれる。音楽の先生もそのタイプだ。そうなるとみんな、仲のいい友だちと固まって席を取るわけで。オレの隣と前の席に座っている、伊藤と宮田が声をかけてきた。
お調子者で常に彼女募集中の伊藤と、言動は落ち着いているけれどオタク気質の宮田。ふたりとは、一年の頃からの付き合いだ。
「えー、ほんとかよ」
「ほんとだって!」
「はいはい、さんきゅ。ほら伊藤、次お前の番だろ。早く行ったほうがいいんじゃね」
「あっ、そうじゃん!」
慌てながら前へ出る伊藤に、「頑張れよー」とエールを送る。そうしてようやく、腰を下ろしてひと息ついた時。ふと視線を感じて顔を上げると、窓際のいちばん後ろに陣取るクラスメイトと目が合った。すぐに逸らされたけれど、眉間をぎゅっと寄せたしかめっ面だったのを、オレは見逃さなかった。
明星響。高校二年生としての一年が始まった日に、他県から転校してきたヤツだ。クラス替えが行われたばかりでみんなが浮ついている中、黒板の前で自己紹介をさせられたのは気の毒だったけれど。オレたちが受けた第一印象は、正直よくなかった。180は優に超えているだろう高身長、野暮ったい黒髪から覗く鋭い目。おまけに口元には、痛々しい生傷があった。そして無愛想。しょっちゅうケンカをしている不良で、前の学校も追い出されてきた――そんな噂があっという間に広がった。ここは神奈川県内でも決して偏差値がいいわけじゃない高校だけれど、それでもあんな明らかな不良はいない。
誰も明星には寄りつかず、でもそんなことは気にもしていなさそうな、一匹狼。オレも、未だに一度も話したことはない。
それなのに、なぜか睨まれちゃったわけだけど。
授業が終わり、音楽室を出る。昼休みの始まりだから、廊下はなかなかに賑やかだ。
「俺、自販機寄ってく」
「あ、俺も! 詠太はどうする?」
「オレは買うもんないし、いいかな。先戻ってるわ」
「ん、りょーかい!」
自動販売機が設置してある昇降口は、教室とは反対方面だ。用事もないのについて行くには、ちょっと遠い。階段を下りていく伊藤と宮田を見送って、教室へと向かおうとした時。廊下になにかが落ちていることに気がついた。
「ん? あのメモ帳って……」
落ちているのは、メモ帳だ。開いて伏せた状態で、端っこのほうに転がっている。手のひらサイズで、黒い表紙のリングノート。オレはそれに見覚えがあった。
「明星のヤツ……か?」
5月頭に行われた席替えで、オレは真ん中の列、いちばん後ろの席になった。その斜め前が、あの明星の席で。授業中だって構わずに、なにか書きこんでいるのを見たことがある。
「届けてやったほうがいい、よな」
とは言っても、話しかけても無視されたりして。なんたって、睨まれちゃったばっかりだし。そう思うと戸惑うけど、このまま見なかったことにするのも後味が悪い。必死に探しているのを見たりなんかしたら、後悔しそうだし。
仕方なくメモを拾いつつ、数メートル先を歩いている明星の名前を呼ぶ。背の高いヤツは、見つけやすいからありがたい。
「おーい明星ー、くん。メモ帳落としてない? これー」
「……は?」
さっき音楽室で目が合った時よりいかつい表情で、明星が勢いよく振り返った。まあまあ怖いけど、メモ帳を上に掲げて「これこれ」と振ってみせる。すると、プラスチックでできた表紙がパカパカと浮いた。よしておけばいいのに、オレはついその中身を目で追ってしまった。
表紙を開いて1ページ目にあたるそこには、聞き慣れない言葉が書きこまれていた。気になったけどよくよく見ようとする前に、
「っ、返せ!」
と血相を変えて走ってきた明星に奪われてしまった。いや、奪われたんじゃなくて、持ち主の元に返ったわけだけど。なにも、そんな手荒くひったくるようにしなくたっていいのに。
「……見たか?」
「え?」
「っ、このメモの中……見たのかって聞いた」
「あー……まさか! 見てない! 見てないよ、もちろん!」
「……本当に?」
「本当! マジで!」
あ、これはどうやらまずいヤツみたいだ。はーい見ました! だなんて言ったら、なにをされるか分からない。ぶんぶんと首を横に振って、オレは無実を証明するみたいに両手を掲げた。明星はそんなオレを見て、安心したように息を吐いて教室のほうへと歩き出した。
あーあ、不可抗力とはいえ嘘をついてしまった。罪悪感はあるけど、怒らせないで済んだからよかった。でも、あのメモの中身がどうにも気になってしまう。
「プロット……ってなんなんだろ」
起承転結、とも書いてあった気がする。たしか、国語で習った。勉強はそんなに得意じゃないオレには、ちょっと難しい内容だ。ただ――
「優しい、物語……」
いちばん下にそう書かれていて、丸で囲んであった。それがやけに、オレの頭に強く残った。



