言い訳しない恋と鏡橋――湊桜もののけ開港記

第59話_波戸を拓く
 彼岸入り、鏡橋中央塔の足もとに人の輪ができた。空・歩美・沙耶香が揃い、港の治安と税制を整える“見せ方”を、市民の前で実装する。いつ/彼岸入り、どこで/鏡橋中央塔、誰が/空・歩美・沙耶香、何を/航路図掲示と新関税法朗読と武装行列の示威、なぜ/秩序を視線の下に置いて怒りを短くするため、どうやって/沈め印・比喩・“退きながら詰める”隊列で。
 空は改訂航路図を大帆に描き、塔の側面に張った。星図の記法を引用し、海路は太い帯、税関は“丸”、危険水域は“角”で表現する。角は噛まれやすい—見ればわかる。わかれば避ける。図の端には、小さな図紋を沈める。押さない印は、逃げない記憶だ。
 歩美は新関税法を朗読する。声は高くしない。低い声は、首を守る。「税は中央柱の視線の下に置く。印は押す前にためらう。疑義は公開の席で—」
 群衆の端から、「また税か」と嘆きが漏れる。歩美は頷き、否定を急がない。「見える税は、短い。見えない税は、長い。—首を折る」
 笑いが広がり、角が丸くなる。

 沙耶香は武装行列を率いて、塔の周りを円形に巡回する。槍は立てるが、突かない。置く。円は角を消し、噛まれにくい。「退きながら詰める」を実演し、若者に槍を渡して列の内外を交代させる。「謝ってから替える」
 行列の合間、空は帆の図に指を添え、比喩で説明を重ねる。「橋は波の肩に板を置く道具。税は怒りの肩に布を置く道具。布が見えれば、刃は滑る」
 エヴァンが商館代表として前に出て、異国語の規約を掲示する。「利益は、視線の下。—隠さない」片言の言葉は、笑いを連れて角を丸くする。

 具体の運用に踏み込む。
 毎日の終わりには、歩美が控帳の綴じ目に“糸印”を通し、空が塔下の通行箱を“砂封”で覆う。糸が切れていれば、開いた証。砂封が崩れていれば、触れた証。翌朝の公開席で二人が印を照合し、異常があればまず詫び、次に復元の順番を皆で共有する。潮の札は月の欠けと連動し、夜の丸の配置は潮が深い方へ一つ寄る—見てわかる調整だ。苦情の取次ぎは辰の刻と酉の刻、短く二度だけ。短い窓は、怒りを長居させない。

 違反が起きた場合も「罰より修復」。—まず先に詫び、次に控を読み上げ、最後に元へ戻す作業を共有する。荷を落としたなら互いに拾い、列を乱したなら丸の内側で整え、印を欠いたなら翌朝の公開席で沈め直す。怒りを短く、道具を長く。

 通行手形は“沈め印”の浮き沈みで真贋を判別し、紛失時は翌朝の公開席で再発行とする。夜間は航路図が“夜の丸”へ切り替わる—角が一段減り、見せる税の受け渡しも塔下だけに集約。騒ぎが起きた場合は「退きながら詰める」を先に合図し、控の読み上げは声を低く、槍は“置く”の原則を崩さない。
歩美は「沈め印」の実演として、仮の通行手形に薄い印を沈めて見せる。「押印は強く叩かない。紙が怒る。沈めると、紙が受け入れる。—偽造防止は、怒りではなく拍で」
 空は図の“角”の位置に白砂を撒き、「ここは角。—噛まれやすい」と示す。子どもたちが砂の上に小さな丸を指で描き、角の内側に丸が増える。見た者が直していく図は、町の習慣になる。

 沙耶香の行列の前に、かつての商人同盟の残党が一人、腕を組んで立った。「武で押さえ込むのか」
「押さえ込まない」沙耶香は即座に頭を下げた。「申し訳ない。—守る順番を示すだけ」
 彼女は槍の石突を地に軽く“置き”、男の肩の前に指を二本だけ置く。置かれた肩は噛めない。男は目を伏せ、一歩退いた。退いた場所には、空気の板。板の上で、彼は噛まなかった。

最後に、歩美が関税の割合を“見える形”で張り出す。数字だけではなく、帆布に描かれた丸の面積で示す。「角をなくす税。—角は罰金、丸は割引」
 空はまとめる。「今日の秩序は、見上げるための秩序。見下ろさない。見上げるものが増えた町は、見下ろす癖を捨てる。—一つずつ」
 群衆から短い拍手。長い拍手は要らない。長い拍手は、明日の足を鈍らせる。沈め印の紙が風に鳴らない音を立て、塔の白布が揺れた。秩序は音より長く残る返事を、港へ置いていった。
 掲…の頃は、見えない決まりで揉めてばかりだった」と。今は違う。見える板、見える旗、見える印。見えるものが増えるほど、怒りは短くなる。短くなった怒りの隙間へ、人は働き手と笑い声を差し込む。その音が、港の新しい鼓動になっていく。