言い訳しない恋と鏡橋――湊桜もののけ開港記

第51話_虹橋を架す
 小正月の朝、湊桜新港の鏡橋上には、白い息と白い旗が交じって翻った。町衆の手は凍えているのに、拍は温かい。結花・光・さとみは、列島初の鏡網通航を実現するため、中央塔へ上がった。いつ/小正月、どこで/鏡橋、誰が/結花・光・さとみ、何を/初通航の起動と案内、なぜ/橋を見上げるだけでなく渡すため、どうやって/雌雄逆転鍵とユニーク手順と例え話で。
 塔の控えでは、舟大工、漁師、商館の水夫、神職、学問所の通詞までが肩を並べている。視線が集まる場所では、危険は長居できない。—だから、ここで起動する。さとみは折衷鋼の鍵を取り出し、返しの角を指で撫でてから結花へ手渡した。「怖さ、設計に入れてある。抜けにくいけど、抜けられる」
「抜けられる」結花は復唱し、鍵を胸の前に立てる。怖さを言葉にすると、手の震えは拍に変わる。

 起動の手順は、ユニークだ。結花が設計した「迷ってから決める」手順。まず鍵を差しかけ、半拍ためらい、そこで塔の風穴へ息を入れる。息は拍。拍が鍵の歯の並びを一瞬やわらげ、雌雄逆転の口が人の指の迷いを受け入れる。迷いを受け入れた鍵は、次の拍で回る。回ると、羽が鳴らない音で角度を変える。鳴らないのに、みんなが聞こえる。「動いた」
 静の姿はないが、町じゅうが叩かない拍を持ち寄っている。港の端から端まで、同じ呼吸が薄く広がる。

 光は櫓の上から、舟団に向けて声を放った。「舟は、波頭に目を奪われるな。—川底を見ろ。橋の羽は、波の肩を押す板。肩が見えないなら、隣の舟の肩を見る」
 舟頭たちが頷き、合図旗が一斉に上がる。最初に通すのは、診療所へ薬を運ぶ小舟。次に、異国の小型艇。三番目に、港の古い帆船。順番は、拍だ。拍が崩れれば、順番は争いに変わる。
 結花は鍵を半度だけ戻し、潮の喉を細くした。細さは、怖さに等しい。怖さを認めると、橋は強い。

 小舟が羽の影をくぐる瞬間、境界波が一筋だけ立った。鏡の内外の拍が、ほんのわずかずれたのだ。結花は鍵から手を離し、塔の上で叫ぶ。「みんな、一歩下がって!」
 町じゅうが一歩、同じ方向へ下がる。拍が揃い、境界波がほどける。小舟はすべるように橋を抜け、岸で晃太が手を振る。薬籠の匂いが、潮に混じった。
 二隻目の異国艇が入る。舳先の獣の木像が笑って見えるのは、拍が合っているからだ。エヴァンが艫で、クリスタルが甲板で、華が岸で、それぞれ別の言語で同じテンポを示す。テンポが合えば、言葉は余る。

 三隻目の古い帆船の番で、風が急に向きを変えた。旗が一度、逆さに泳ぐ。光が即座に声を落とす。「指を一本、緩める」
 舵輪の手が、一本分だけ開いた。帆の腹が鳴らない音で膨らみ、橋の羽がその息に合わせて角度を変える。結花は鍵を握ったまま、半拍ためらってから小さく回す。遅れは、橋板の間。間に、舟は乗る。古い帆船が通過する瞬間、港の誰かが拍手を三つ。拍手は長く続かない。長い拍手は、次の舟の足を鈍らせるからだ。

 通航を見届けた結花は、鍵を中立に戻した。鍵は笑わない。笑わないけれど、怒りもしない。怒らない鍵は、次にも回る。
 光が最後に例え話を置く。「橋は、渡るためにある。でも、ときどき見上げるためにもある。見上げた首は、折れにくい。—だから今日、ここに柱を立てた」
 港の中央柱の足もとに、空が江都から持ち帰った護摩の灰を薄く撒いた。燃やした紙の灰は、約束の古材。地面を固め、次の板を支える。
 町は拍手を学び、潮はそれを妨げない。初通航の朝は、はじまりの朝ではなく、続きの朝だった。見上げるものができた町は、見下ろす癖を一つ捨てた。