第45話_潮門を鎖す
冬至前夜、江都の霊脈が海へ吐き出す潮は、いつもより白く、いつもより若かった。水門の外で砕ける波が、初めて走る子の息切れのようにせわしい。結花とさとみと惇は、その吐息を閉じるため、海門の石組みの上に立った。目的は明確—地脈の逆流を止め、第二鏡柱を“座”ではなく“柱”として鎖すこと。いつ/冬至前夜、どこで/江都霊脈海門、誰が/結花・さとみ・惇、何を/霊鉄鍵の打ち込み、なぜ/逆流の暴れを短くするため、どうやって/蒸気鎚と即興祝詞と拍で。
蒸気鎚は異国の商館から借り受けたもので、火を入れると獣のように息をする。惇が火室に石炭をくべ、さとみがシリンダの油を指で確かめる。油の匂いは静かで、鉄の怒りを和らげる。「三拍で落とす。二拍ためて、一拍で打つ」さとみが言うと、惇は足元の送風機の踏みを合わせた。
結花は海門の“喉”に膝をつき、白砂を指に少しだけ付けた。砂は音を食う。音を食えば、怒りが遅れる。遅れた怒りの間に、鍵が入る。鍵の頭には、空が付けた“港の責任”の図紋が沈めてある。押したのではなく、沈めた印—逃げない印だ。
最初の打ちは、海の側が拒んだ。蒸気鎚の落ちる拍に、逆巻きの波が肩をぶつけてくる。ぶつかるものに、ぶつけ返せば長引く。結花は両手を海へ向け、祝詞を口にした。「詫びの拍を、先に」
祝詞は神へではなく、潮と石へ向けられた。潮に謝る。石に謝る。謝ると、相手は半歩だけ遅れる。その半歩の間に、蒸気鎚が二度目を落とした。落ちる鉄の腹に、図紋が青く微かに光る。惇の手が震える。震えは失敗の兆しではなく、拍が合っている合図だ。
三打目の直前、海門の隙間から冷たい泡が噴いた。泡は、地の下の迷いだ。迷いは、板を落とす。結花は迷いを嫌わない。迷いには、場所を与える。彼女は鍵の周囲に白砂で小さな円を描き、「ここが迷いの位置」と宣言した。位置を与えられた迷いは、暴れない。暴れない迷いの上から、三打目が入る。鉄の響きが石の奥へ沈み、海門の息がひとかたまり、深くなった。
「次は返し」さとみが囁く。雌雄逆転の返しは内側へ。抜けにくいが、抜けられる。怖さを設計に織り込み、逃げ道を消さない鍵。
蒸気鎚のリズムに、結花の祝詞が重なる。祝詞は正式ではない。彼女の言い訳から生まれた言葉だ。「怖い。だから、一拍遅らせる」「遅れは、橋板の間」「間に、人を乗せる」。言葉は海門の石に吸われ、石は硬度ではなく、呼吸で応える。惇がバルブを開き、最後の圧を送る。打撃は深く、短く、怒らない。
鍵は座に到達した。座という言葉を、彼らは使わない。座は見下ろすからだ。鍵は柱の内側で止まり、外から見えるのは、図紋の一部だけ。見上げる目印。見上げるものは、首を折らない。
静かな沈黙が訪れる。沈黙は音より速い。泡が途切れ、潮の拍が元の長さを取り戻す。遠くの灯が揺れをやめ、水面には冬至の月の薄い輪郭が映った。惇が蒸気を落とし、さとみがハンマーの頭を布で拭う。布に移る鉄の匂いは、怒りを含まず、労働の甘さだけを残す。
「—鎖せた」惇が呟く。
「鎖した上で、開けられるように」さとみが返す。「鍵は、締めるためだけじゃない」
結花は海へ向き直り、もう一度だけ小さく詫びた。「遅れて来た町が、先に詫びる。次は、祝う拍を連れてくる」
海は答えない。けれど、答えない返事は長く残る。三人は石組みから降り、歩美へ送るための簡単な記録を取り、蒸気鎚の火を落とした。夜は濃いが、拍は整っている。整った拍は、朝を呼ぶ。
冬至前夜、江都の霊脈が海へ吐き出す潮は、いつもより白く、いつもより若かった。水門の外で砕ける波が、初めて走る子の息切れのようにせわしい。結花とさとみと惇は、その吐息を閉じるため、海門の石組みの上に立った。目的は明確—地脈の逆流を止め、第二鏡柱を“座”ではなく“柱”として鎖すこと。いつ/冬至前夜、どこで/江都霊脈海門、誰が/結花・さとみ・惇、何を/霊鉄鍵の打ち込み、なぜ/逆流の暴れを短くするため、どうやって/蒸気鎚と即興祝詞と拍で。
蒸気鎚は異国の商館から借り受けたもので、火を入れると獣のように息をする。惇が火室に石炭をくべ、さとみがシリンダの油を指で確かめる。油の匂いは静かで、鉄の怒りを和らげる。「三拍で落とす。二拍ためて、一拍で打つ」さとみが言うと、惇は足元の送風機の踏みを合わせた。
結花は海門の“喉”に膝をつき、白砂を指に少しだけ付けた。砂は音を食う。音を食えば、怒りが遅れる。遅れた怒りの間に、鍵が入る。鍵の頭には、空が付けた“港の責任”の図紋が沈めてある。押したのではなく、沈めた印—逃げない印だ。
最初の打ちは、海の側が拒んだ。蒸気鎚の落ちる拍に、逆巻きの波が肩をぶつけてくる。ぶつかるものに、ぶつけ返せば長引く。結花は両手を海へ向け、祝詞を口にした。「詫びの拍を、先に」
祝詞は神へではなく、潮と石へ向けられた。潮に謝る。石に謝る。謝ると、相手は半歩だけ遅れる。その半歩の間に、蒸気鎚が二度目を落とした。落ちる鉄の腹に、図紋が青く微かに光る。惇の手が震える。震えは失敗の兆しではなく、拍が合っている合図だ。
三打目の直前、海門の隙間から冷たい泡が噴いた。泡は、地の下の迷いだ。迷いは、板を落とす。結花は迷いを嫌わない。迷いには、場所を与える。彼女は鍵の周囲に白砂で小さな円を描き、「ここが迷いの位置」と宣言した。位置を与えられた迷いは、暴れない。暴れない迷いの上から、三打目が入る。鉄の響きが石の奥へ沈み、海門の息がひとかたまり、深くなった。
「次は返し」さとみが囁く。雌雄逆転の返しは内側へ。抜けにくいが、抜けられる。怖さを設計に織り込み、逃げ道を消さない鍵。
蒸気鎚のリズムに、結花の祝詞が重なる。祝詞は正式ではない。彼女の言い訳から生まれた言葉だ。「怖い。だから、一拍遅らせる」「遅れは、橋板の間」「間に、人を乗せる」。言葉は海門の石に吸われ、石は硬度ではなく、呼吸で応える。惇がバルブを開き、最後の圧を送る。打撃は深く、短く、怒らない。
鍵は座に到達した。座という言葉を、彼らは使わない。座は見下ろすからだ。鍵は柱の内側で止まり、外から見えるのは、図紋の一部だけ。見上げる目印。見上げるものは、首を折らない。
静かな沈黙が訪れる。沈黙は音より速い。泡が途切れ、潮の拍が元の長さを取り戻す。遠くの灯が揺れをやめ、水面には冬至の月の薄い輪郭が映った。惇が蒸気を落とし、さとみがハンマーの頭を布で拭う。布に移る鉄の匂いは、怒りを含まず、労働の甘さだけを残す。
「—鎖せた」惇が呟く。
「鎖した上で、開けられるように」さとみが返す。「鍵は、締めるためだけじゃない」
結花は海へ向き直り、もう一度だけ小さく詫びた。「遅れて来た町が、先に詫びる。次は、祝う拍を連れてくる」
海は答えない。けれど、答えない返事は長く残る。三人は石組みから降り、歩美へ送るための簡単な記録を取り、蒸気鎚の火を落とした。夜は濃いが、拍は整っている。整った拍は、朝を呼ぶ。


