第40話_図紋を覗く
同日午後、江都学問所の門は低く、しかし通った者を背で見送る形に造られていた。歩美は受付の僧侶に礼をし、さとみとともに地下の書庫へ案内される。目的は古図面—とりわけ「鏡網」と呼ばれた連鎖封印の記述を探し、湊桜の柱を列島規模の脈絡に置き直すこと。いつ/午後、どこで/学問所地下、誰が/歩美とさとみ、何を/古図面の捜索、なぜ/次の柱の位置と意味を確かめるため、どうやって/図紋の読み替えと音の手がかりで。
梯子を降りると、紙と土の匂いが重なって鼻に届く。灯りは油ではなく、反射板で導かれた細い光。歩美は帳面を閉じ、両手を空ける。「記録は後でまとめる。まず、見る」
書庫番が指で棚を示す。「海図は右の列、城下図は左。禁書印のものには触れないで」
「触れない代わりに、写し取るのは?」
「それは許可印を」
歩美は微笑んで小箱から朱肉を出す。「押す前に、ためらいます」
書庫番は苦笑してうなずいた。
さとみは巻子を一本、慎重にほどく。図面の上には無数の細い円と短い線が散らばっている。港、河口、山。どれも既視感があるのに、繋がらない。「これ、地図というより、楽譜だ」
「楽譜?」
「拍の位置が描いてある。太鼓の拍、鐘の拍、潮の拍」
歩美は筆を取り、図面の端に小さな点を打った。点は、拍の入口と出口。「拍の通り道を辿ると、寺社の鐘楼と、港の水門と、古い祠の三つが、等間隔で線になる」
「線?」
「列島を斜めに貫く“竜脈”の仮説に重なる」
さとみは口笛を短く吹いた。「だったら、鍛冶の火も、拍で温度が決まる」
別の巻子に、見慣れない紋がある。二重の円に、ずらした三角。歩美はそれを「図紋」と呼び、紙の上に写し取った。「これは、印判の古型。—押すのではなく、紙に沈める」
「沈める?」
「金属と紙の呼吸を合わせる。押すと怒る紙がある。沈めると、受け入れる紙になる」
さとみが頷き、指先で図紋の縁をなぞる。「鍔にも似てる。返しが内側」
「雌雄逆転の理屈と同じ」歩美は笑う。「現場のための理屈は、古図にも残ってる」
その時、上から足音。晃太が息を切らして降りてきた。「遅れた。—いや、必要な遅れ」
「必要な遅れ?」
「患者の容態が“波打つ”ときの手当てを思い出した。症状は、入り口と出口がある。出口を先に作ると、入り口は狭くなる」
歩美は図面の線を指で辿る。「出口…港。入り口…山。—霊鉄は、出口で無害化し、入口で鎮める」
晃太は医学比喩で図を説明する。「列島はからだ。港は肺。鐘楼は脈を取る手首。祠は迷走神経—怒りを鎮めるためのスイッチ」
さとみが笑い、「なら、鍛冶場は心臓だ」と応じた。
書庫番が古い帳面を差し出す。「この頁、見ますか」
そこには、かつての大地震の記録とともに、各地の鐘を同じ拍で鳴らした試みが書かれていた。結果は—「震動、短ク止ム」。歩美は息を呑む。「拍で、地の怒りは短くなる」
「なら、次の柱は、鐘と鐘の間」
「氷川の地」歩美とさとみが同時に口にする。
地図の端に、薄く書かれた「禁域」の文字があった。禁は、怖さを隠す布だ。布をめくる前に、ためらいを置く。歩美は小さく朱を擦り、図紋の写しの片隅に印を沈めた。「—ためらい、完了」
地上に戻ると、江都の夕陽が赤い線を水路に落としていた。線は、次の場所へ案内する矢印。彼女たちは紙を抱え、鐘のある社へ向かった。拍は、紙よりも先に、体に入ってくる。
同日午後、江都学問所の門は低く、しかし通った者を背で見送る形に造られていた。歩美は受付の僧侶に礼をし、さとみとともに地下の書庫へ案内される。目的は古図面—とりわけ「鏡網」と呼ばれた連鎖封印の記述を探し、湊桜の柱を列島規模の脈絡に置き直すこと。いつ/午後、どこで/学問所地下、誰が/歩美とさとみ、何を/古図面の捜索、なぜ/次の柱の位置と意味を確かめるため、どうやって/図紋の読み替えと音の手がかりで。
梯子を降りると、紙と土の匂いが重なって鼻に届く。灯りは油ではなく、反射板で導かれた細い光。歩美は帳面を閉じ、両手を空ける。「記録は後でまとめる。まず、見る」
書庫番が指で棚を示す。「海図は右の列、城下図は左。禁書印のものには触れないで」
「触れない代わりに、写し取るのは?」
「それは許可印を」
歩美は微笑んで小箱から朱肉を出す。「押す前に、ためらいます」
書庫番は苦笑してうなずいた。
さとみは巻子を一本、慎重にほどく。図面の上には無数の細い円と短い線が散らばっている。港、河口、山。どれも既視感があるのに、繋がらない。「これ、地図というより、楽譜だ」
「楽譜?」
「拍の位置が描いてある。太鼓の拍、鐘の拍、潮の拍」
歩美は筆を取り、図面の端に小さな点を打った。点は、拍の入口と出口。「拍の通り道を辿ると、寺社の鐘楼と、港の水門と、古い祠の三つが、等間隔で線になる」
「線?」
「列島を斜めに貫く“竜脈”の仮説に重なる」
さとみは口笛を短く吹いた。「だったら、鍛冶の火も、拍で温度が決まる」
別の巻子に、見慣れない紋がある。二重の円に、ずらした三角。歩美はそれを「図紋」と呼び、紙の上に写し取った。「これは、印判の古型。—押すのではなく、紙に沈める」
「沈める?」
「金属と紙の呼吸を合わせる。押すと怒る紙がある。沈めると、受け入れる紙になる」
さとみが頷き、指先で図紋の縁をなぞる。「鍔にも似てる。返しが内側」
「雌雄逆転の理屈と同じ」歩美は笑う。「現場のための理屈は、古図にも残ってる」
その時、上から足音。晃太が息を切らして降りてきた。「遅れた。—いや、必要な遅れ」
「必要な遅れ?」
「患者の容態が“波打つ”ときの手当てを思い出した。症状は、入り口と出口がある。出口を先に作ると、入り口は狭くなる」
歩美は図面の線を指で辿る。「出口…港。入り口…山。—霊鉄は、出口で無害化し、入口で鎮める」
晃太は医学比喩で図を説明する。「列島はからだ。港は肺。鐘楼は脈を取る手首。祠は迷走神経—怒りを鎮めるためのスイッチ」
さとみが笑い、「なら、鍛冶場は心臓だ」と応じた。
書庫番が古い帳面を差し出す。「この頁、見ますか」
そこには、かつての大地震の記録とともに、各地の鐘を同じ拍で鳴らした試みが書かれていた。結果は—「震動、短ク止ム」。歩美は息を呑む。「拍で、地の怒りは短くなる」
「なら、次の柱は、鐘と鐘の間」
「氷川の地」歩美とさとみが同時に口にする。
地図の端に、薄く書かれた「禁域」の文字があった。禁は、怖さを隠す布だ。布をめくる前に、ためらいを置く。歩美は小さく朱を擦り、図紋の写しの片隅に印を沈めた。「—ためらい、完了」
地上に戻ると、江都の夕陽が赤い線を水路に落としていた。線は、次の場所へ案内する矢印。彼女たちは紙を抱え、鐘のある社へ向かった。拍は、紙よりも先に、体に入ってくる。

