言い訳しない恋と鏡橋――湊桜もののけ開港記

第37話_虹光を掲ぐ
 晩夏の夕刻、江都の水門は潮と人でいっぱいだった。城下の水路は縦横に走り、橋の上に見物の列ができる。結花、光、静の三人は、御前で鏡橋の“利”を示すために、水門の中央に用意された小台へ向かった。目的は明快—虹光で橋の仕組みを舞台の上に再現して、老中と商人議会に納得してもらう。いつ/夕刻、どこで/水門前、誰が/結花・光・静、何を/虹光の再現、なぜ/江都の承認を得るため、どうやって/拍と光の同期で。
 台の上に、さとみから託された小型の鍵と、港から運んだ欠片の“模擬板”が置かれている。欠片は本物ほど強くはないが、拍に素直だ。静が太鼓の面を撫で、叩かない拍を先に置く。叩かない拍は、場の心臓をにする。
 老中の列は簡素な衣だが、視線は重い。結花は視線を恐れない。恐れを拍に変える技術を、町で学んだばかりだ。彼女は低く礼をし、まず言い訳を一つ、置いた。「湊桜は、遅れてきました。だから、先に詫びます」
 ざわめきが静まり、光が例え話で続ける。「橋は、渡るための道具ですが、ときに見上げるためにも要る。見上げるものがある町は、喧嘩が短い」

 静が拍を三つ。結花は鍵を模擬板の中央に差し込み、ほんのずらす。ずらした分だけ、板は虹の息を吐く。吐いた虹は、まっすぐ上ではなく、横に滑る。水門の石壁に、薄い帯が走った。帯は、港で見たのと同じ形だ。静の拍がもう一層、深くなる。拍の深さに虹が応じ、色が厚みを増す。
 観衆が息を呑む。老中のうち、ひとりが顎に手を当てた。「光で、潮が動くのか」
「光は潮を動かせません」結花は即答する。「けれど、人を動かせます。人が動けば、潮は遅れて動きます」
 静が頷き、太鼓を一打。打たれた音が石壁に返り、その返りの拍に虹がまた一段、濃くなる。

 次に、結花は板を一度外した。外すと、虹は消える。消えた途端、周囲のざわめきが高くなる。光が短く言う。「拍を外すと、橋は落ちる。—だから、拍を町に配るのです」
 彼は両手を広げ、江都の町へ向けて語る。「港の中央に柱を置いたのは、視線を集めるため。視線は、刃物より速い。危険を先に切ります。税も、視線の下に置けば、怒りを短くできる」
 老中の眉が動いた。商人議会の側から低い笑いが漏れる。笑いは、角を丸くする。

 静は“祝う拍”ではなく、“送る拍”に乗せ替えた。送る拍は、人を動かす前に、先に心を送る拍だ。結花は板をもう一度差し込み、江都の水路に沿うように虹を横へ走らせた。川面の波が変わる。舟子が櫂を止め、目を細める。「今の、風じゃねえ」
「拍です」静が答える。

 最後に、結花は小さく頭を下げ、言葉を一つだけ置いた。「鏡柱は、神座ではなく、柱です。誰も見下ろしません。みんなで見上げます」
 老中の列の中ほどで、最年長の男が短く頷いた。「よい。—見上げるものは、民の首を折らぬ」
 商人議会の側へ視線が流れ、代表格の男が帳面を閉じる。「同意する。ただし、記録と印を残す」
 歩美が前に出て、印判を掲げた。「押す前に、ためらいます」
 笑いが広がり、印が紙に残った。夕焼けが虹の最後の色を連れて行くころ、江都の水門前に、短い拍手が生まれた。十分な長さで、十分に短い拍手。橋は、舞台の上でも渡れた。