第21話_舟を結ぶ
翌日午前、鍛冶場の天井に熱が溜まった。さとみは炉の前で、目をしばたたきながら温度の色を読む。惇が風箱を踏むたび、炎は獣の背のようにうねる。結花は図を広げ、鍵の雌雄を逆転させる提案をもう一度、短く言い直した。「差し込む向きを固定すると、現場で迷う。逆転で“どちらでも入る”にしたい」
「強度は?」
「落ちる場所だけ補強する」
さとみは頷き、鉄を上げた。打撃の音は、遠雷の前触れに似る。打つたびに、未完成が薄くなる。惇が汗で前髪を額に張り付かせ、手を止めずに問う。「どうして、どちらでも入る形に?」
「現場で、怖いから」結花は即答する。「怖いとき、人は手を逆にする」
「—わかる」惇が笑った。
同時刻、奉行所では歩美が帳面を二冊同時に開いていた。ひとつは港の出入り、もうひとつは封印作業の印判簿。空がその横で、議事録の束を扇子のように捌く。「資材は昨日の遅れを取り戻した。人足の配分は、蔵→祠→港の順で回す」
「印は?」
「出す。—ただし、条件付き」
「条件?」
「蔵の出入りで歌を歌うこと」
「歌?」
「手を洗う歌。子どもの歌は、大人に効く」
歩美は口元だけで笑い、印を置いた。紙に朱が走る音は、鉄の音より静かで、同じくらいに重い。
午後、結花は港へ出た。桟橋に座り、縄の結び目を一つずつ解いては、別の結び方に結び直す。船の係留は、人の心に似ている。固すぎると切れる。緩すぎると流される。光が隣に腰を下ろし、海を見た。「例え話の出番?」
「うん。—板は重いから、一人で持つと落とす。二人で持つと、落としそうな人を見ていられる」
「見ていられる人が、先に泣く」
「泣いた人が、板の角で手を切る」
「切った人が、巻きっぱなしの包帯を見つける」
二人は笑い、次の板の準備に立ち上がった。
夕刻、鍛冶場から新しい鍵の試作品が届く。さとみは濡れ布で表面の熱を取ってから、結花に手渡した。重みは、言い訳を押しつぶさない程度にある。「雌雄逆転、仮組みで良好」
「ありがとう」
惇が袖で汗を拭い、言った。「俺、怖いときに左手から持つ癖がある」
「だから、どちらでも入る」結花は笑い、鍵を布に包んだ。「怖さは、設計に入れる」
夜、広場の隅で華が茶屋の台を出し、湯を回す。子どもたちが歌を覚える音が町に満ちる。「手のひら、甲、指の間—」静が太鼓で拍を取り、貴之が唇だけで読経を添える。沙耶香は武士隊に「謝る順番」を復唱させる。謝ってから止める。止めてから構える。構えてから、退く。退くのは逃げるためではない。
結花は、夜風の中で鍵を掲げた。まだ未完成。未完成は、未来の匂いがする。空が明日の段取りを読み上げ、歩美が最後の印を置く。「作戦名は?」光が問う。
「『舟を結ぶ』」結花は答える。「人の舟と、妖の舟。まず、綱で」
翌日午前、鍛冶場の天井に熱が溜まった。さとみは炉の前で、目をしばたたきながら温度の色を読む。惇が風箱を踏むたび、炎は獣の背のようにうねる。結花は図を広げ、鍵の雌雄を逆転させる提案をもう一度、短く言い直した。「差し込む向きを固定すると、現場で迷う。逆転で“どちらでも入る”にしたい」
「強度は?」
「落ちる場所だけ補強する」
さとみは頷き、鉄を上げた。打撃の音は、遠雷の前触れに似る。打つたびに、未完成が薄くなる。惇が汗で前髪を額に張り付かせ、手を止めずに問う。「どうして、どちらでも入る形に?」
「現場で、怖いから」結花は即答する。「怖いとき、人は手を逆にする」
「—わかる」惇が笑った。
同時刻、奉行所では歩美が帳面を二冊同時に開いていた。ひとつは港の出入り、もうひとつは封印作業の印判簿。空がその横で、議事録の束を扇子のように捌く。「資材は昨日の遅れを取り戻した。人足の配分は、蔵→祠→港の順で回す」
「印は?」
「出す。—ただし、条件付き」
「条件?」
「蔵の出入りで歌を歌うこと」
「歌?」
「手を洗う歌。子どもの歌は、大人に効く」
歩美は口元だけで笑い、印を置いた。紙に朱が走る音は、鉄の音より静かで、同じくらいに重い。
午後、結花は港へ出た。桟橋に座り、縄の結び目を一つずつ解いては、別の結び方に結び直す。船の係留は、人の心に似ている。固すぎると切れる。緩すぎると流される。光が隣に腰を下ろし、海を見た。「例え話の出番?」
「うん。—板は重いから、一人で持つと落とす。二人で持つと、落としそうな人を見ていられる」
「見ていられる人が、先に泣く」
「泣いた人が、板の角で手を切る」
「切った人が、巻きっぱなしの包帯を見つける」
二人は笑い、次の板の準備に立ち上がった。
夕刻、鍛冶場から新しい鍵の試作品が届く。さとみは濡れ布で表面の熱を取ってから、結花に手渡した。重みは、言い訳を押しつぶさない程度にある。「雌雄逆転、仮組みで良好」
「ありがとう」
惇が袖で汗を拭い、言った。「俺、怖いときに左手から持つ癖がある」
「だから、どちらでも入る」結花は笑い、鍵を布に包んだ。「怖さは、設計に入れる」
夜、広場の隅で華が茶屋の台を出し、湯を回す。子どもたちが歌を覚える音が町に満ちる。「手のひら、甲、指の間—」静が太鼓で拍を取り、貴之が唇だけで読経を添える。沙耶香は武士隊に「謝る順番」を復唱させる。謝ってから止める。止めてから構える。構えてから、退く。退くのは逃げるためではない。
結花は、夜風の中で鍵を掲げた。まだ未完成。未完成は、未来の匂いがする。空が明日の段取りを読み上げ、歩美が最後の印を置く。「作戦名は?」光が問う。
「『舟を結ぶ』」結花は答える。「人の舟と、妖の舟。まず、綱で」

