「え、羽叶? なんでここがわかって」
体育館の鍵を開けて、玲央は首をかしげる。
「ごめん。部屋にあったDVD見た。バスケットボールの中の」
玲央が歯を出して笑う。
「はは、そっかぁ。……かっこよかった? 昔の俺」
「ああ、かなり。見てみたかった、あの時の玲央」
「そっか。残念だな。俺、もう跳べないんだ。足壊したから」
不穏な言葉に心臓が高鳴る。
「壊した?」
「そ。全国大会で優勝した時に、ダンクで高く跳び過ぎて、着地の時にびびっちゃってさ。膝前十字靭帯断裂と半月板損傷やって。歩くのは問題ないけど、もう跳ぶのは無理。次やったら歩けなくなるって」
思わず腕をさする。
「今も痛いのか?」
「いや? でも体育の後は膝が死んでる。だから最近は体育の授業はサボってばかりだな。他の授業は教室で寝てればチャイムまでやり過ごせることもあるけど、体育はそうもいかないから」
そうだったのか。
しゃがみこんで、玲央の膝を覗き込む。
「あ、これ……跡?」
肌色の膝に、うっすらと、十センチメートルほどの点線があった。縫い跡?
「そ。手術のな。遠目じゃわかんないだろ? だからみんな治ってると思うんだよな」
みんな?
「みんなって、バスケ部の奴ら?」
「そ。今でも戻ってこいよーって言われる。特に顧問の盛岡に。ちゃんと理由があるのに」
バスケ部って、盛岡先生が顧問だったのか。
「バスケはもうできないのか?」
「まぁ。ドリブルするのは問題ないけど、ダンクは無理。ドクターストップになった。だから退部したんだよ。せっかくスポーツ推薦で、高校入ったのに」
あ、そっか。確かにバスケ部のエースなら、スポーツ推薦もらえるよな。
ん?
「スリーポイントすればいいじゃん、さっきみたいに」
玲央が眉を下げる。
「確かにな。羽叶はさ、バスケのダンクとスリーの違いってなんだと思う?」
え、なんだろう。考えたこともなかった。
「点数。あと、やり方。ダンクは足の高さが大事で、スリーは腕の動きが大事に見える」
素人なりに精一杯考えて言ってみる。
「そ。スリーは技術があればできる。でもダンクは跳べなきゃできない。だから気持ちよかった。体育館中の視線が俺に釘付けになって、跳んだらわあっと叫んで喜んでもらえるしな」
確かに。
玲央が悲しそうに下を向く。
「その支配感を味わえないバスケはしたくない。公衆の面前で、ダンクができなくなったと言いたくない。そう思ったからやめた」
玲央の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「医者にも言われたよ。そんなにバスケが好きならマネージャーになればって。退部することないって」
「でも跳べないのに同じ場所にいるのって」
玲央が頷く。
「あぁ、辛すぎる。俺、高校の先生や先輩に足壊れたの知られてなかったんだ。だから始業式の日にバスケ部見に行ったらすげぇ勧誘されて、入部させられた。初めはダンクしなければ悪化しないしバスケ続けようって思ってた。でも先輩がダンクしてるの見て、昔の俺ならもっと跳べたのに。何で跳べないんだって思って、バスケ部いたくなくなった」
玲央の瞳から滝のように涙が溢れて、床を濡らしていく。
「不慮の事故だ。誰も悪くねぇ。だから余計きつかった。交通事故だったら、運転手の胸ぐら掴んで八つ当たりできたのに」
確かに。怒りを向けられる相手がいないのってきついよな。
「もうバスケしないのか?」
「しねぇよ。医者に止められてる」
僕は玲央の肩を掴んだ。
「それでもお前の心と身体はバスケがしたいって叫んでんだろ! さっきだって」
「でも当たんねぇもん」
玲央が床に転がっていたバスケットボールを取る。
ドリブルをして投げると、またバスケットボールはゴールリングに当たって落ちた。
「……当たらなくした?」
確信はなかった。でもそんな気がした。
玲央が振り向いて、僕の胸ぐらを掴む。
「どこまで調べたんだよ。他人のくせに」
怒っているのかもしれない。 怖い。冷や汗が流れる。
「友達だし、まだテスト終わってなかったから」
胸ぐらから手を離して、玲央は僕の頬を触る。
「友達かぁ。嬉しいな。先生に頼まれて勉強教えているだけなのに、そう言ってくれるの」
僕は何も言わずに玲央の手を取る。
「したいならしろよ、バスケ」
「できたらよかったよなぁ」
玲央は両手を使い、必死で涙を拭う。
「……俺さ、入部して一週間もしてないうちに体育館にいる盛岡に退部届渡しにいったんだ。だからすげえ引き止められて。……なぁ羽叶、体育館って、何この部活が使ってると思う?」
急になんの話だ。
「えっとバスケ部とテニス部とバトミントンとバレーで四つ?」
卓球は廊下だよな確か。
「そ。そんなところで立ち話してたら、どうなると思う?」
嫌な予感がした。
「よけられなかったら、どちらかに飛んできたボールが当たる」
「ビンゴ。盛岡の顔にバレーボールが直撃しそうになって、俺咄嗟に庇ったんだ。そしたら殴打のあとができて、左目が見えなくなった。だから義眼なの、それ以来ずっと。でもそういうのって、やっぱ言いづらくてさ……盛岡にも言ってない」
あ、そうか。だからあんな変な答え方をしていたんだ。
「えっ、じゃあ」
「そ。赤点もそれが理由。まぁ授業中寝てなかったらもっと点取れたとは思うけど、それでも普通のやつと比べると問題文読むの超遅いから」
「っ、なんでもっと早く言わない? テストだって、申請すれば時間長くしてもらえたかもだろ!」
玲央の肩を掴んで揺らす。玲央はあざけるように笑った。
「……それ、意味あんの? 俺はバスケ選手になりたかった。それなのに現実は片目が見えない、シュートが入らない、ジャンプができないの三拍子。バスケが強い大学に行ったって、もう意味なんてない。必死で勉強とバスケして、高校受かったのに。
留年なんてどうでもいい」
投げやりだったのか? ずっと。
「じゃあどうして、俺と一緒に真面目に勉強したんだよ」
「バスケ以外にできることや趣味を見つけたくて。でももういいや。やっぱり片目見えないんじゃ無理だから」
玲央の胸ぐらを掴む。
「っ、無理じゃねぇよ! ちゃんと赤点回避させるから! 申請すればきっと!」
「……あの漢字テスト見てもまだそう言ってくれんだ? 嬉しいな。でもごめん……俺もう、頑張る気力なくした」
僕の手を掴んで、玲央は作り笑いをする。
「なんだったんだよ、この一週間。全部無駄か?」
「そうだよ。余計な時間使わせてごめんな」
は? 頷きやがった。
胸ぐらから手を離す。
「っ、もういい!」
床に置いていた鞄を持って、僕は逃げた。
なんて声をかければやる気になるのか、全然わからなかったから。
涙が溢れ出す。何で止まらないんだよ。ただ一週間一緒にいただけの友達の言葉に振り回されて、傷ついただけなのに。



