「あーもう! わからん!」

「その言葉もう十回聞いた。叫ぶ暇あったら解く!」

 玲央の家に来てから一時間が過ぎた。だが、国語のワークは三ページしか終わっていない。ありえない。このペースだときっと全部終わるのに十時間だ。遅すぎる。

「羽叶先生ヘルプ! この『これ』って、何さしてんの?」

ワークを差し出して、目の前にいる僕を見る。こそあど言葉ねぇ。そんなの中学で習う知識だと思うけど。

「忘れたのか? んー、じゃあ軽く例を一つ」

 そういい、玲央の部屋を見渡す。端には大きな二段ベッドがあって、それの真正面には二つの勉強机がある。一つは玲央ので、一つは玲央の兄のらしい。

 部屋の中央にはちゃぶ台があって、その下は大量の漫画だ。

「ん?」

 その漫画は何かを囲んでいるかのように、円状に置かれていた。

使える。

「玲央……漫画の奥にある、あれってなに?」

「え、あれ……? あ、バスケットボール!」

 ちゃぶ台の下を覗き込んで、玲央は答える。

「へー。じゃあ、これは?」

一番手元に近い漫画を取り出して、僕は首を傾げる。

「サラムダンク。あっ!」 
 
 玲央が何かを閃いたように手を叩く。

「ピンポン。距離でいうと、これは近くにあるもの。あれは遠くにあるもの。つまりこれって言葉が出たら、だいたいその直前の文を見たらいい」

「そっか! じゃあそれは?」

「んー、玲央、それ何?」

 国語のワークを指差して、僕は聞く。

「え、ワーク?」

「そ。これは本、それはワーク。んー、右端にペンがありました。それは黄色かったです。意味通じた?」

 サラムダンクとワークを指差しながら教えてやる。

「ペンが黄色い。黄色の色が出るのか、黄色いだけなのかわかんないけど」

「そう。じゃあもう一つ。これは漫画です。それはバスケをする高校生が主人公です。このそれは何?」

 サラムダンクを指差しながら笑う。超分かりやすい文だなこれ。

「えっと漫画?」

「うん。よくできました。感覚掴めた?」

「掴めたかも!」

 玲央は上機嫌になって、ワークを進めていく。たぶん地頭は良い方なんだよな。そのおかげで、すごく教えやすい。


「……お前、バスケなんかしてたの?」

 玲央が頷く。

「中学の時な。高校はしてない。帰宅部」

 やめたのか。でもボールは保管していたのか?

「じゃあなんでボールあんの」

「……捨てられなかった。ユニファームも靴もタオルも捨てられたのに、それだけ」

 つい笑ってしまった。

「もうそれの使い方マスターしてんじゃん。優秀で結構」

「だろー? 赤点回避できるかも!」

思わず玲央を見る。

「気が早い」

 まだ勉強を始めて一日目なんだ。油断はしない方がいい。

「はぁーい。……はぁ。もう勉強したくねぇ。玲央、もしかして、明日の朝は勉強しないとか」

「ないな。これからは朝も昼も放課後も一緒に勉強して、一緒に休憩する」

 玲央が口を大きく開ける。

「お昼も勉強すんの?」

「当たり前だろ。昼休み五十分だぞ? お弁当食べるのに二十分かかるとしても、残り三十分勉強できるだろ」

 がくっと玲央が項垂れる。

「羽叶、ちょっと気合い入りすぎじゃ」

「お前が学力テストで二教科零点だったからだろ!」

デコピンをすると、玲央は痛そうに額をおさえた。

「だってあのテスト、中間考査とか学期末のじゃないじゃん!」

「じゃあそっちはいくつなんだよ! 二学期末考査の合計点は?」


 玲央は明後日の方向を向く。嫌な予感がする。


「……五十点」

「アホ」

 僕はついため息を吐いた。

 なんでそんな点数が取れるんだよ。授業聞いてたらもっと取れるだろ!


 あ。こいつ授業中いつも寝てるんだった。

「はぁ。これから授業中昼寝したら、するごとに宿題増やすから。それで毎朝、宿題終わってるか確認するから」

「はああぁ? 鬼!」

 声がでかい。近くで叫ぶな。

「寝なければいいだけだろ! 誰が鬼だ」

 玲央が項垂れる。

「返す言葉もございません」

 喋っている時点で返してんだよ、アホ。