人なんて嫌いだ。

 女は無駄にファンデやネイルなんかして、化粧で顔を取り繕わないと生きられない。男だってピアスをつけたりタトゥーを入れたりして、ありのままで生きようとしないやつがちらほらいるから。


 まぁダッサイまるメガネに黒マスクなんてつけて、全然ありのままではない僕が言えた義理ではないけれど。

西園寺(さいおんじ)、また学年一位だな」

 廊下に張り出されている順位表を見ていると、生徒指導の盛岡先生が声をかけてきた。

「……ありがとうございます。でもこれ、学力テストですからね。だから俺の上にもぜんぜんもっと高い点とっているやついますし、大したことないです」

 盛岡先生はガタイが良くて、身長は百八十センチメートルほど。眉毛も太くて、とても目立つ風貌をしている。

「謙遜するなよ。賢いお前におりいって頼みがあるんだが、今少しいいか?」

 首をかしげてから、盛岡先生は僕の顔を覗き込む。

「はい。構いませんよ」

「ありがとう。お前、知ってるよな? 万年最下位の渋沢玲央(しぶさわれお)。あいつの留年を回避させてくれないか。あいつ、ただでさえ奨学金払って学校通っているから、親が絶対に留年の金は払わないと言ってるらしくてな」

 渋沢?
 確かそれって、テストが毎回十点以下で有名な奴じゃ……?

 僕は順位表の最下層を見た。

 やっぱり!
 五教科だから最高五百点満点なのに、最下位の渋沢だけ合計点が二桁で、四十点になっている。

「無理ですよ! あいつ、授業中いつも寝てるじゃないですか!」

「そこを何とか! あいつが留年したら、親から電話が来るんだよ!」

知らねぇよ!!

「……そもそも授業内容理解してるんですか?」

「いや八割わかってないと思う」

比率多いな!

「やっぱり無理です!」

 僕は思わず盛岡先生から離れようとする。

「そこをなんとか! 西園寺、体育の成績五にするから! そしたらオール五だぞ!」

 盛岡先生が僕の肩を掴んだ。
 職権濫用だろそれ!

 でもどうせならオール五がいい。

「……実技悪くてもですか」

「もちろん!!」
 僕はつい、ため息をついた。

 ……断れなかった。

 全部無視すればよかったのに。

 だって仕方ないじゃないか。他の教科は全部五なのに、体育だけ三なせいで、評定平均が五にならないのがずっと気になっていたんだよ!

「あいつ、どこにいるんだろ」

 廊下を歩きながら呟く。

 三学期の中間考査まではあと一ヶ月だ。

 勉強を教えるなら、まずは渋沢を見つけないと話にならない。

 あと五分で一限目が始まるから、一刻も早く見つけないと。

 でも俺、あいつのこと何も知らないし、見つかる気がしないなぁ。

 話したこともないんだよな。同じクラスになってから、もう十ヶ月は経っているのに。

 授業中に寝ているやつがいるところは、屋上か保健室かもしくは空き教室あたりか?

 でも屋上って、確か立ち入り禁止だよな。まぁ一応行ってみるか。

 ……いた。

 渋沢は、屋上につながる非常ドアに寄りかかって、座って寝ていた。

 この姿勢でよく寝れるな。背中痛くならないのか?

「おい渋沢、起きろ」

 頬をぺちぺちと叩いて、耳元で言う。

 校則違反すぎる、肩につくくらい長い銀髪に、ピアスとイヤーカフのついた耳が、窓から差し込んでいる太陽の光に照らされている。

 手足は細長く、肌はほどよく焼けている。小麦色でも、色白過ぎてもいない。

 前髪の下にあるまつ毛は影が落ちるくらい長くて、唇はアプリコット色で、男なのにツヤツヤしている。

 ……顔だけは良いんだよな。

「んっ。あれ? 秀才くんじゃん。なんでいるの?」

 目を開けると、渋沢は眠そうにあくびをしながら、だるそうに首をかしげる。

「……お前が次のテスト赤点だと留年だから、先生から面倒を見るように言われた」

「ええー。マジか。手間かけてごめーん」

 目を見開いてから、渋沢は手を合わせる。めっちゃ笑顔だな。全然反省してなさそう。

「そういうのいいから。早く教室行くぞ」

「あ、待って。秀才くん、名前なんて言うの? 俺知らないんだけど」

 そういえばそうだった。今まで話したこと一度もなかったからな。

「……西園寺羽叶。鳥の羽に叶うでハト。羽叶でいい」

「じゃあ俺も玲央でいいよ。よろしく羽叶」

 ドアに手を当てて立ち上がると、渋沢はもう片方の手の平を僕に向ける。

「よろしく。まぁ少しの間だけど」

 握ってみるとその手は意外と大きくて、僕と違って、ちゃんと筋肉がついていた。

 玲央って、スポーツマンだったのか?

 そんな話、聞いたことないけどな。

「玲央、学力テストの各教科の点数覚えてる? 今日壁に順位貼られていただろ」

 教室に向かいながら、僕は隣にいる玲央に声をかける。

「えー待って、思い出す。確か国語が零で、社会が二十点、英語は十二点で、数学も零、理科は八点?」

「お前がアホなのはよくわかった」

 零点って、答案用紙白紙だったのか? 国語なんて、漢字の筆記問題が一問でも正解していたら必ず二点は取れるのに。

「えーひどくね? 羽叶は何点なんだよ!」

「四百九十。国語と英語と社会は満点で、数学は九十四、理科は九十六」

「わー、すご」

 玲央は小さく拍手をする。

「勉強したからな。お前と違って。お前、何なら一番点取れそう? 苦手なのに勉強時間多めに使った方がいいと思うから、把握したい」

「えっと……社会は暗記だから、ちゃんと覚えれば赤点じゃなくなると思う」

 玲央に近づくと、僕は額にデコピンをしてやった。

「国語の漢字も英単語も暗記だよ。じゃあ現代文と英語の文法と数学の公式の復習からな」

「ええーだるい。そんなにできないって!」

 赤くなった額をおさえながら、玲央は不満げに頬を膨らませる。

「できないじゃなくて、やるんだよ! 今日の放課後、最終下校時刻の六時まで居残りな。掃除終わったらお前のそばに行くから」

「へーい。羽叶先生」

 僕は軽く、玲央の頭を叩いた。

「調子に乗るな」

「はーい」

 いたずらっ子みたいに舌を出して玲央は笑う。
 
 思わずため息をつく。

 はぁ。先が思いやられる。

 僕、ちゃんと勉強教えられるのか?

 ……まぁやるしかないか。


「おはよーございます」

 玲央が教室のドアを開けた。

 ノックくらいしろよ。

「ちょっと玲央くん、もう授業始まってるわよ! 羽叶くんも遅刻なんて珍しいわね?」

 国語の担当の安西先生が、僕達を見て首をかしげる。

「すいません、こいつ回収しに行ってました。盛岡先生に言われて」

「あらそうなの? じゃあ授業を再開するから、二人とも席について」

 先生の言葉に返事をして、僕と玲央は席についた。

 教科書とノートと筆記用具を机に置いてから、辺りを見回す。

 僕は真ん中の列の一番後ろで、玲央は一番廊下側の列の前から二番目だ。

 あ!

 玲央は顔を机に突っ伏して眠っていた。

 消しゴムをちぎって、玲央の頭に向かって投げる。

 は?

 後ろから投げたのに、玲央は消しゴムをキャッチした。反射神経良すぎだろ!

「こら! 二人とも授業をちゃんと聞く!」

 ええ、僕まで怒られた。

 玲央が後ろを向く。

『バーカ』と、口パクで言っているように見えた。

 今すぐ殴ってやりたい。僕は何も言わず、拳を握った。