「ねぇ。今度さ、私たちの手で新しいコンサートをやってみない?」

 アイスティーを飲み終え、唐突にそう言い出したのは騎条ナツメだった。
 オフィスルームで仕事の打ち合わせを終えたばかりのメンバーが、一斉に彼女へ顔を向ける。

「私たち、いつもプロデューサーが企画したイベントで歌ったり喋ったりしてる。でも、いつまでもそれだけじゃいけないと思うの」
「なるほど」

 顎に手を置いた黒澤めぐみがナツメの言葉に「言われてみれば確かに」と、うなずく。
 茱萸木るうなが、めぐみの横からひょこっと顔を出し「でも、私たちにそんな大それたこと出来るかな」と心配そうにつぶやいた。
 そんなリアクションを予想していたらしいナツメはニヤリとした。以前からそんな考えを心の中で温めていたらしく「まぁ、これ見てよ」と、事前に準備していたプリントを配って回った。

「『地震被災地復興チャリティイベント』?」
「そう、ここでコンサートするの。別に大それたことをする訳じゃないわ。ラ・クロワは、困ってる人を助けるために歌を歌うのよ」

 ナツメは胸を張った。チクサはプリントの文面を見て「いいわね。これ、やりたいわ!」と顔を輝かせる。こんなにも明るいチクサの顔を見たのは久しぶりだ、とナツメとめぐみは顔を見合わせた。嬉しそうにうなずき合う。

 チクサが乗り気なのには、理由があった。

 芸能界ではアイドル歌手やグループが毎日のように、どこかでデビューしている。
 そして、華やかに脚光を浴びる者もいれば、人知れず泡沫のように消えてゆく者も。その興亡は夜空にきらめく星々のようだった。
 そんな中、「ラ・クロワ」は巨大芸能プロダクション「オラトリオ・アソシエイツ」が鳴り物入りで売り出しただけあって、何もかもが特別扱いだった。デビュー時から潤沢な予算でプロモーションが組まれ、桁違いのスケールでイベントが陸続と催された。
 それだけに人気も高かったが、グッズやCD、イベントのチケットも非常に高額だった。コンサートに行きたい希望者は抽選に必要なチケットを封入したCDを山のように買わされる。
 そんな搾取商法に、音楽のコミュニティサイトでは「ラ・クロワのチケット抽選は宝くじ以上、推し活は破産覚悟」と誹謗を受けることもままあった。
 お金に余裕のない人は、自分たちを応援することも出来ないのか……そんな気持ちで心を痛めていたチクサにとって、「金儲けの為ではなく、災害で困窮している人々の為に無償で歌う」というイベントは素晴らしく思えたのだった。

「へぇ、チクサがそんなにやる気だなんて。でも、私も大賛成だわ」
「そんな訳でトー姉。私たち全員一致でこの企画を推したいんだけど、どう?」

 振り向いたナツメから水を向けられた「トー姉」こと成河(なるかわ)冬子(とうこ)は、嬉しそうに「いいわよ」と、うなずいた。
 丸縁メガネにひっつめ髪をしたこのマネージャは、敏腕とは程遠いがお人好しの世話好きだった。
 手作りのお弁当を用意したり、僅かな時間でも休息を取らせたり、いつも歌姫達を甲斐甲斐しく世話してくれ、ラ・クロワのメンバーは彼女を姉のように慕っている。
 莉莉亞がラ・クロワを追放された時は、オロオロするばかりで何も出来なかったが……

「みんながやる気なら私も賛成よ。これだったら世の中がラ・クロワをもっと優しい目で見てくれるかもしれない」

 プロデューサーの意向を考えても、これなら問題なさそうだった。なによりメンバーの皆が自分たちからやりたいと言い出した企画なのだ。叶えてあげたかった。
 彼女は「私から企画書を作って稟議をあげておくわね」と、テーブル上のプリントを取り上げる。
 そしてさりげなく、爆弾を落とした。

「さぁ、休憩タイムは終了。次はバラエティ番組の収録よ。罰ゲームはバンシージャンプだそうだから、みんな気合いを入れてガンバってね!」
「ええーー!?」

 全員が声をあげた。テレビ番組収録の予定は事前に知らされていたが「罰ゲーム付き」だなんて聞いてない!

「ちょっと! そんな話聞いてないわよ!」
「さては黙ってたわね! あっ、トー姉が逃げる!」

 マネージャーはすでにそそくさと部屋を逃げ出していた。それを「待てぇ!」と、ラ・クロワのメンバー達は追いかけ、廊下に飛び出す。

「あ、後でアイス買ってあげるからぁ!」
「アイスなんかで誤魔化されるかコラァ!」
「お前がバンシーしろぉぉぉ!」

 マネージャーが全力で逃げている先のエントランスには収録現場行きのタクシーが既に待っているとも知らず、彼女達は大声をあげて追いかける。
 ひとときの間、高貴な歌姫たちは年相応の無邪気な少女に戻っていた。

 しかし……

 彼女たちは、社会の為に無償の善意で歌いたいと言い出した自分たちの「身の程」をこの後、思い知らされることになる。


**  **  **  **  **  **


「ヤブ先生、私ひらめいたの。ラ・クロワに戻る方法を!」
「お、なんだなんだ?」

 殺風景な診察室に似合わぬ明るい声に、白衣を着た初老の男が顔をほころばせる。

「まずはね、ヤブ先生が関係者の振りをしてプロダクションのビルに潜入するの」
「いきなりヤバい話始まったな」
「でね、最上階でふんぞりかえってるプロデューサーを催眠術で『姫咲莉莉亞をラ・クロワに復帰させろ』って洗脳するの! どう? 完璧でしょ!」

 指を立て、目を輝かせて言い立てる少女を白衣の男はジトッとした目で見返した。

「どう見ても犯罪です、ありがとうございました」
「ダメぇ?」
「あと、キミ勘違いしてるだろ。僕は催眠とか洗脳とか出来ないから」
「出来るでしょ! なによ、ヤブ先生のケチーケチー」

 アヒルのように口を尖らせてフテ腐れている少女に、心理カウンセラーの薮内(やぶうち)康介(こうすけ)は苦笑して首を横に振った。

「僕の仕事は心のケアで、悪の組織の工作員じゃないんだから」
「ちぇっ、やっぱりダメかぁー」

 診察室の二人は目を合わせると笑い合う。このカウンセラーは、莉莉亞にとって気兼ねなしに話せる数少ない知り合いだった。
 付き合いは長い。ラ・クロワにいた頃ストレスで鬱になってから、もう二年近くお世話になっていた。
 そんなカウンセラーに向かって莉莉亞は「でもね」と、続ける。それまでの笑顔が陰り、切実なものが浮かんでいる。

「ラ・クロワに早く戻りたいっていうのは本当なの」
「まぁ気持ちはわかるよ……でもさ」
「焦るな、でしょ? でも、もういつまでもグズグズしてられない」

 笑顔は消え、両手は膝の上で固く握りしめられている。薮内は彼女の内心が、手に取るように分かっていた。
 メールやSNSの繋がりは仲間に拒否され、マネージャーに会いに行ってもいつも不在。一年経ってなお、プロダクションは冷たく無視したままで取り付く島もなく……
 それでも自分がいた場所(ラ・クロワ)に、いつかきっと戻れる……必死にそう信じようとして疲れ切っている。

「ラ・クロワ、私がいないのに何度もコンサートが開かれてる。新曲だってもう何曲もリリースされてるの」
「……」
「私がいないラ・クロワが当たり前になっちゃうなんてイヤなの。だから早くラ・クロワに戻らなくちゃ」

 莉莉亞は自分へ言い聞かせるようにつぶやいた。

「それに、ずっとステージに立っていないから、私ちょっと錆びついて来たみたいで」

 どういう意味かと思った籔内は、莉莉亞が続けた言葉に眉をひそめた。

「時々、歌の振り付けとか歌詞を忘れるようになってきたの」
「それは……いつから?」
「ラ・クロワにいた頃から。でも最近ちょっと酷くなってる。たまに頭痛もするの」
「……」
「歌手として、ちょっと緩んできちゃったんだわ」

 薮内は一瞬、もしやという顔で莉莉亞を見た。
 心理カウンセラーである彼は医師ではないが、病理についての知識くらいは当然持っている。

(認知症の原因となる疾患の前兆じゃないだろうか……)

 だが、彼はすぐに自分の中でその疑念を打ち消した。まだ、アイドルを目指すほどの年齢の少女なのだ。まさか。
 少女の傍らに置かれたトートバッグの中に彼女が不安や苦しさを凌ぐための精神安定剤が幾つも入っていることを彼は知らなかった。それが疾患の悪化に拍車を掛けていることも。
 彼女の辛さだけを知っている薮内は「レッスンは、ずっとしてるんだろ? 錆びついてなんかいないよ。疲れてるのさ」と、慰めた。

「そうかな……そうだよね」
「莉莉亞ちゃん。早くラ・クロワに戻らなきゃ戻らなきゃってずっと焦って気持ちが張り詰めすぎて疲れてるんだよ。一度、距離を置いて休んだ方がいい」
「そんな訳にはいかないの。一刻も早く戻らなきゃ。ラ・クロワに戻れたら、それから休むわ」
「頭痛もするんだろ? 一度病院に行って診察を受けた方がいいんじゃないかい?」

 莉莉亞は、これにも首を横に振った。

「頭痛の原因なら分かってるの。ラ・クロワに戻れたら何もかも解決するわ。だから……」

 だから、病院など行ってられないということだろう。
 莉莉亞が申し訳なさそうに「そろそろお暇します。これからバイトなの」と立ち上がると薮内もそれ以上口を出せず、不承不承見送るしかなかった。

「先生、心配してくれてありがとう」
「ステージに立つ夢も大事だけど、もう少し自分を大切にしたっていいんだよ」

 莉莉亞は、うなずかなかった。自分を大切にするゆとりなんてないのだ。

「早く、またラ・クロワのみんなと一緒にステージで歌いたい。だから立ち止まってなんていられないの」
「……」

 光差すステージ。
 一度は自分が立てた場所なのだ、きっと戻れる……そんな希望を信じて縋るしかない様子に、籔内は心が苦しくなった。
 ……と、肩を落として席を立ったように見えた莉莉亞がふいに笑顔を見せた。

「そうだ先生。私、約束する」
「?」
「ラ・クロワに戻れたら『薮内クリニック』のCMソングを作って歌ってあげるわ!」

 薮内は「そりゃ凄いや。閑古鳥が鳴いてるウチのクリニックに行列が出来るだろうな」と、おどけてみせた。

「またおいで」
「ありがとう。じゃあまたね、ヤブ先生」

 お金を払うと、莉莉亞は一度だけ振り返り、笑顔を見せて去っていった。
 薮内は手を振って見送ったが、莉莉亞の姿が見えなくなると笑顔の仮面を外した。ため息がこぼれる。
 彼女は冗談ではなく、ラ・クロワに復帰出来たらさっきの愉快な約束をきっと果たそうとしてくれるだろう。

 だけど。

 薮内には、生き急ぐあの少女の先にそんな楽しい未来などなく、悲しい結末が待っているような気がしてならなかった……