『莉莉亞。詐欺に遭ったって本当の話なの?』

 数えるほどまで減った「りり推し」達を最後に瓦解させた発端は、ファンサイトの掲示板への書き込みだった。
 アツシが代わりに応じる。

『本当だよ。今日、一緒に警察へ被害届を出してきたけど……莉莉亞はショックで今は抜け殻みたいになってる』
『……それ、作り話じゃないよね』

 ファンの質問に答えていたアツシはムッとなった。

『どういう意味だよ、それ』
『だってさ……』

 莉莉亞ファンからしてみれば、疑心暗鬼になるのも無理ならぬ話だった。莉莉亞がラ・クロワに復帰出来る、その交渉にお金が掛かる。そう言われ、無理をして大金を揃えて差し出した後に「その話は実は詐欺でした」。
 ラ・クロワに莉莉亞に復活する姿を見ることは出来ず、ただ自分たちが出した金だけが消えました……というのでは納得がいかない。
 「本当の話なのか?」というのは、本当に詐欺だったのか、もしかして莉莉亞が騙されたという作り話で集めたお金を横領したのではないか……と、暗に問いかけていた。

『莉莉亞を疑ってるのか? 騙されて、傷ついて泣いている莉莉亞を疑ってるのか?』

 怒りも剝き出しなアツシのレス。
 それは、ラ・クロワ時代ファンの頃の情熱も既になく、半ば惰性でりり推しを続けていただけの彼等が莉莉亞を見放す切っ掛けになってしまった。
 彼らはステージの上で輝くアイドルを推したいのであり、ステージに戻れずいつまでもくすぶり続ける元アイドルをいつまでも助けようなどと思っていなかったのだ。

『詐欺の件は警察に任せるしかないよ。傷ついている莉莉亞を今はみんなで支えて……』

 だが、そんなアツシの呼びかけに呼応する者はもういなかった。

『疑うなとか支えようとか言う前に騙された責任はどうすんだよ。こちとら何万もお金を出したんだぞ!』
『支えろって、いつまで支えるんだよ! いつになったら再デビュー出来るんだよ!』

 詐欺に遭ったファン同士の虚しいレスバトルが始まってしまった。

『嘘じゃない! 詐欺業者からの名刺とかは警察に提出したから今は証拠は何も出せないけど本当の話なんだってば!』

 懸命に莉莉亞を擁護するアツシのスマホにピコンとLIMEのメッセージが入ってきた。莉莉亞からだった。

「アツシくん、もういいよ。私から説明して謝る。お金はないし、私には謝ることしかもう出来ないけど……」

 謝る以外もう何も出来ないという無力な告白に、アツシは思わずグッと胸が詰まった。

「いい。莉莉亞が出たら今よりもっと揉める。僕が何とかする」
「アツシくん、どうするの?」
「大丈夫。僕に任せて」

 罵倒に近い言葉を投げつけられながら、アツシは『みんなが出したお金は一週間以内に全員僕が返す』と申し出た。

『それでいいだろう? だから、泣いてる莉莉亞をこれ以上責めるな』

 中には「返せばいいだろうとか開き直ってんじゃねえ」「迷惑かけてごめんなさいが先だろが!」と蒸し返すファンもいたが、いちいち構っていれば埒が明かない。アツシは応じなかった。
 終始を見守っていた莉莉亞は、胸が潰れそうだった。出資した全員のお金を彼一人で返すというのである。

(大金をはたいて、もう幾らもお金なんてないだろうに……)

 そう思っても莉莉亞自身が貯金も所持金も失ってしまっている。何も出来なかった。
 一週間後。
 出資した莉莉亞ファンへアツシから返金が完了した。恐らくキャッシングも使って返済金を捻出したのだろう。
 だが、お金が返ってきても信頼や友情は二度と元には戻らない。
 りり推しファンは瓦解し、ファンサイトもひっそりと閉鎖された。

 『終わったよ。もう大丈夫だよ』

 アツシから届いたメールを見て、莉莉亞は思わず泣き出した。
 とうとうファンもいなくなってしまった。自分にはもう何もない。
 これからどうしたらいいのだろう。
 でも……

『本当にありがとう。この御恩は忘れません。』

 返信した後、莉莉亞は涙を拭いた。

「アツシくん。お金、少しづつだけど返すからね……」


**  **  **  **  **  **


『おめでとう! ラ・クロワは解散の危機を脱したばかりか、想定を上回る売り上げと観客動員数でコンサートツアーを大成功に終わらせました』

 最終日のコンサートを終え、枷を外して控室に戻ってきたラ・クロワのメンバーを待っていたのは、テーブル一杯に並べられたご馳走と花束、プロデューサーからのメッセージだった。

「凄い! これ全部食べていいの?」

 声を上擦らせて尋ねるめぐみへ無表情にうなずくと、都賀崎は黙って部屋を出た。メンバー達だけで誰にも気兼ねなく寛がせるようにと指示されていたのだ。
 ラ・クロワの歌姫達は歓声をあげて席につき、思い思いに好きな料理をよそって食べ始めた。ナツメが慌てて制止する。

「こらー、みんな行儀が悪いぞ! まずは私たちの成功を祝って乾杯から。ほら、るぅな! いきなりアイス頬張ってるんじゃない」
「あむ、あむぅぅぅ」

 アイスで口をいっぱいにして返事も出来ないるぅなを見てメンバー達は笑い転げる。
 笑えずにいるのはチクサだけだった。
 ナツメは横目でチラリと見たが何も言わなかった。鬱屈した怒りをどんなに抱えても彼女はコンサートではそんな気振りをまったく見せず、センターから最高の歌唱を聴かせて観客たちを魅了したのだった。
 ただ、一度も笑顔はなかった。冷ややかな表情でずっと歌っていた。
 それが観客には「隷従されて笑顔を失った歌姫」と独自の解釈をされ、今までにないチクサのパフォーマンスとして賞賛を浴びたのだった。
 だが、それがパフォーマンスでもなんでもなく、プロダクションの言いなりにさせられて不快な感情を押し殺しているのだとメンバー達は知っていた。コンサート中に何度も彼女の心を開かせようとしたが、すべて徒労に終わった。

「チクサもお疲れ様」
「うん」

 笑顔でねぎらっても、そっけない返事が返ってくるだけ。
 以前のように朗らかな笑顔を自分たちにまた向けてくれないだろうかとメンバー達は思った。
 プロダクションが人気と収益ばかりを優先する限りチクサの心はますます冷え切り、ラ・クロワから離れてゆくだろう。
 芸能界で人気が絶頂を極め、他の追随を許さないほどになったラ・クロワの歌姫達とって、それが唯一の気がかりだった。
 だが、チクサの気持ちに寄り添ってくれとプロダクションへ働きかけようと彼女達は考えなかった。そんなことをすれば、あのプロデューサーの逆鱗に触れるだけなのだ。

(大丈夫、そんなことしなくてもきっと今までのように時間が解決してくれる)

 三人は強いて、そう思おうとした。
 莉莉亞を除名された時もマネージャーがクビになった時も、最後はなぁなぁに出来たのだから……

「はい、それではプロデューサーからメッセージの続きがあるので読み上げます」

 ガラスのコップにジュースを注いで乾杯を前に、ナツメが意気揚々と話し始めた。

『ラ・クロワのみんな、お疲れ様です。CD売上三〇万枚ノルマ達成おめでとう! 僕は、君たちならきっとこの試練を乗り越えられると信じていました。どうかこれからも更なる高みを目指して歌い続けて下さい。応援しています』

 ……ですって、とウィンクしたナツメにるぅなとめぐみがやんやと囃し立てて「やったね!」「プロデューサー、私たちを信じてくれてたんだね!」と感激しあっている。
 チクサだけが嫌悪感も露わにそっぽを向いた。

「金儲けにならないチャリティー企画の時は、開催すら許さなかった癖に!」

 顔を歪めて皮肉った小さなつぶやきをナツメは正しく聞き留めたが、聞こえなかった振りをした。

「じゃあ、みんなお疲れ様。乾杯!」
「乾杯!」

 グラスを合わせ、四人は食事を始めた。チクサも話し掛けられれば応え、笑いかければ笑顔を返したが、その笑顔はすぐ暗い表情へ戻った。以前のように自分から話し掛けることはなくなった。花のような笑顔を振りまくことも。
 食べ終えて皆が一息ついた頃、ナツメが何気なく切り出した。

「そうそう、今度のラ・クロワ新メンバーオーディションのことだけどさ、プロデューサー推薦の研究生が審査抜きで参加するんだって」
「へ、へぇ……」
「あのプロデューサーの秘蔵っ子か。オーディション、面白いことになりそうだね。あはは……」

 白々しい笑顔を見合わせ、るぅなとめぐみが相槌を打つ。不快そうに眉を寄せるチクサの顔はわざと見ないようにして……

(何が面白いことになりそうよ。要は出来レースってことじゃない!)
(あのプロデューサーの推薦ってだけで審査員が公平に評価出来ないのを知ってて、それを誰も言わない。言い出せない)

 膝の上できつく握りしめたコブシをテーブルに叩きつけたかった。

「チクサ、抵抗あるのは分かるけど、そろそろ気持ちを切り替えようよ」

 ナツメが宥めるように声を掛ける。

「ナツメは、どんな娘がラ・クロワに来て欲しいと思う?」

 チクサは冷たい声で尋ねた。

「私たち、喉を傷めるくらい練習したよね、寝る間も惜しんで。何度も理不尽なことを言われた。一緒に泣いて、一緒に喜んで、嬉しかったことも辛いことも皆で分け合ってここまで来た」
「う、うん」
「誰かの威光を笠に着てラ・クロワに入る奴がいたら顔を見るのもゴメンだわ。一緒に歌うだなんて願い下げよ」
「チクサ……」
「歌は実力の世界なのにプロデューサー推薦の娘、審査抜きだなんていいご身分ね。もしかしてオーディションも茶番劇でその娘がラ・クロワに入るのかしら。まさかね」

 そうなる、そうなっても仕方ないと思っているメンバー達は、気まずそうに顔を見合わせた。
 チクサは、静かに問う。

「ごめんね、みんな。でも私、気持ちを切り替えるなんて無理だよ……ラ・クロワがスタートしたとき大切にしてきたもの、みんな忘れてない?」
「忘れてないよ!」
「今だって大切にしてるよ!」

 まるで言い訳のように皆が捲し立てる。自分たちは変わっていない、歪んでなんかいないと。
 それをチクサは悲し気に見つめた。

(もう、みんなの中にあの頃のラ・クロワはいない……)

 一人でもたくさんの人に自分たちの歌を聴いて欲しいと、ただひたむきだった。間違っていると思ったらどんな相手でも喰って掛った。向こう見ずで、でも真っすぐだったあの時のラ・クロワは……
 チクサは虚ろな瞳で遠くを見つめた。

(ラ・クロワは、誰の為に、何のために歌うの……?)


**  **  **  **  **  **


「おい、次のトラックもう来てんだぞ! 早く運べ!」
「は、はい!」

 怒鳴り声に追い立てられながら、青い作業着姿の莉莉亞は懸命にダンボール箱を抱えた。
 巨大な物流倉庫の中をフォークリフトや大型トラックが忙しく行き交っている。その中で、荷下ろしのアルバイト達が懸命に木製のパレットに積まれたダンボール箱を指定された別のパレットに載せていた。
 ヨレヨレの帳票を持った係の指示に従って、莉莉亞達はコマ鼠のように忙しく動き回っている。
 ここに一秒も無駄な時間はない。
 作業が遅れようものならたちまち倉庫の中に配送待ちのダンボールが滞留してしまうのだ。
 運んで仕分けるダンボールは後から後から山のようにやって来るのに、それを捌く作業員やアルバイトの人数はあまりにも少なかった。

「早くしろ、早く!」
「はい!」

 首に巻いたタオルで汗を拭く暇もない。莉莉亞は疲れ切った身体を奮い立たせて重いダンボールを何度も何度も抱えた。

(こんなに大変だったなんて……)

 あれから……
 貯金も所持金もすべてを失った莉莉亞は生活苦になり、とりあえず当面の生活費を稼ごうとアルバイトを探した。
 当初はパートに応募してスーパーの店員として採用されたりしたのだが、簡単な計算も間違ってしまったり一度覚えたはずの業務手順を忘れてしまったりというミスが相次ぎ、数日後にはクビになってしまった。忘れないようにと小さなメモに業務を書いておいても、仕事中にそれをいちいち見てなどいられない。
 アルバイトを転々とした末、その場で言われた通りに身体を動かす物流倉庫のデバンニング作業で今、汗を流しているのだった。

(軽作業のアルバイトって書いてあったのに全然軽作業じゃない)

 そうは思ったが今は不平など言ってられない。不器用にダンボールを抱えてヨタヨタと歩き、パレットの上に並べる。それを何度も何度も繰り返す。
 ステージの上で何曲も歌い激しい振り付けに悲鳴をあげた経験をしてきたが、この重労働に比べれば辛いうちになんて入らないと莉莉亞は思った。
 ようやくコンテナ一個分のデバンが終わり、莉莉亞はへたり込んで汗を拭いた。汚れた軍手を外し、腰につけたスポーツドリンクをゴクゴク飲む。明日は間違いなく筋肉痛だろう。

「おい、そこ。いつまでも休むな! 次のトラックもう来てるんだぞ!」
「はい」

 莉莉亞はよろよろと立ち上がった。ドリンクを腰のホルダーに納め、もう一度軍手を付ける。また、ダンボールを抱えた。今度のものはかなり重かった。

(お金を稼ぐのがこんなに大変だったなんて)
(そのお金を自分は……)

 莉莉亞は思った。
 もしかしたらこんな苦しい思いをして稼いで貯めたお金を、ファンのみんなは自分の為に出してくれたのかも知れない。そこまでしてくれた期待に自分は応えられず、騙し取られてしまった。
 ラ・クロワにいた頃もたくさんのファンが自分を応援するためにお金を出してイベントに来てくれ、CDを買ってくれた。そのお金だって、今の自分のように辛い思いをして稼いだ人がいっぱいいたに違いない
 なのにそんな人達の苦労も知らず、自分は言い寄ってきた男性アイドルに蕩かされ、流されるまま裏切ってしまった……

「……」

 ダンボールを担ぎながら、莉莉亞はいつしか泣いていた。

(私、こんな苦労なんか今まで知らないでいた)
(ごめんなさい……ごめんなさい……)

 デバンニングに汗を流すアルバイト達はみな、むっつりとした顔で黙々とダンボールを運んでいた。泣いている莉莉亞に声を掛ける者もいない。
 ただ、終わりの見えない作業の連続に誰もが疲れた顔をしていた。

「……」

 ふと、一人の作業員がそんな彼等を見渡し、何か思いついたらしく事務室へ姿を消した。
 そして戻ってきたとき、その手にはぶら下げていたのは……

(ラジカセ?)

 かなりの年代物らしくアナログな機器で音質もあまり良くなかったが、そこから流れてきたのはラジオの音声だった。

「ではここでここで先日デビューしたばかりのアイドルグループ『プリュミエール』から『Believe my star』」

 明るい曲調に乗って、四人グループらしいアイドルが力強く歌い始めた。


夢なんかない街
だけど君はどこかで同じ空を見てる
夜の星が消え、朝の光が差しても
あの日繋いだ手のぬくもりを思い出し
僕は強く強く今日を生きる

いつもと同じ朝、昨日と同じ街並み
だけど僕らはその心を変えてゆける

Believe in the brightness of the star you gave me
君がくれた星の輝きを僕は信じる
どんな辛い試練がこの道の先にあろうと
光あふれる君の言葉がいつだって僕を支えてる


 聴きながらダンボールを運んでいる莉莉亞はハッと気づいた。

(みんなの顔が少しだけど……笑顔になってる……)

 自分の身体にもささやかな元気が沸いていた。
 それまでの暗く味気なかった倉庫の空気に明るさが生まれたのを確かに感じる。
 それは、自身が歌う立場にいた時には気づけなかったことだった。

「歌って……苦しい人や悲しい人を励ましたり慰めるためにあるんだわ」

 何故そんな当たり前の、だけど大切なことを気づかないままでいたのだろう。
 疲れ切った莉莉亞の瞳に、小さくも確かな想いが種火のように燃えはじめた。

(歌いたい……)

 汚れ切り、疲れ切った人々を慰め、寄り添う為に
 打ちひしがれ、悲しみに暮れる人々の苦しみを分かち、共に泣くために
 そんな歌を歌いたいと……

 失意の中、それまでただ惰性で働いていた莉莉亞は、そのとき自分の中に何かが宿ったような気がした。
 喧噪の音かましい、殺伐とした倉庫の中で……