彼は、語らなかった。
誇らず、抗わず、ただ静かに剣を振るい──
その生を捧げた。
これは、「沖田静」という青年をめぐる記憶の書。
彼のことを語った者たちは、それぞれ違う立場にいた。
味方、敵、弟子、資料記録者、そして──現代に生きる誰か。
誰かを守るとは、どういうことなのか。
忘れられていく命に、どう意味を与えるのか。
この本は、語り継がれた“背中”の物語。
どうか、あなたの記憶にも、残してほしい。



■ 登場人物紹介
◉ 沖田 静
――【前世の姿】名もなき剣士と呼ばれた、白装束の青年

 戦乱の世。
 若くして徴兵された青年は、誰よりも早く、そして誰よりも静かに剣の道を進んだ。
 その名は、歴史の記録には残っていない。けれど戦場において彼の白い装束を見た者は、口を揃えて“鬼神のごとき剣士”と語った。
 彼の強さは異質だった。無駄な殺生を嫌い、勝ちに酔わず、ただ仲間を守るためだけに剣を振るった。幼少期から剣術道場で鍛えられ、やがて戦場に呼ばれた静は、最初こそ“物静かな青年”として周囲に受け入れられていたが、戦が激化するにつれ、彼の内に秘められた鬼のような戦意が露わになっていく。
 しかし、彼の本質は決して“戦”ではなかった。
「斬らずに守る」という、理想に近い剣を模索し続けた結果、彼の剣は“人を殺さずに倒す”という域に達しつつあったとも言われる。味方に傷一つ負わせまいとする戦い方は、命の灯火を最後まで他者に手渡すような、祈りにも似たものだった。
 最期の戦、重傷者ばかりが残された部隊の中で、彼はひとり敵軍に立ち向かい、姿を消す。
 遺体は見つからず、ただ一振りの刀だけが、名もなく戦地に遺されていたという。
 白装束の剣士は、歴史には刻まれなかった。
 だが、彼を見た者たちの“語り”として、確かにこの世に存在していた。



◉ 沖田 静
――【現世の姿】令和に生きる高校生。転生した“彼”が背負うもの

 令和。どこにでもあるような公立中高一貫校高等部の男子学生。
 沖田静は、静かに笑い、静かに黙る青年だった。
 成績優秀、剣道部に籍を置き、クラスでも目立ちすぎず、けれど妙に印象に残る。何気ない仕草、誰かの声に振り向く時の眼差し、そして何よりも「何かを知っている者の沈黙」。どこか浮世離れした空気を纏っているが、それを理由に拒絶されることもない。むしろ周囲には、彼の穏やかな気配を好ましく思う者が多い。
 しかし彼には“記憶”があった。
 かつて、自らの命を賭して誰かを守った、名もなき戦場の記憶が。
 それが前世の出来事か、単なる夢か、沖田自身は語らない。
 けれど無意識のうちに、彼の視線は時折“何か”を追い、剣を握る手には、未だ戦場の感覚が残っている。
 現代の穏やかな生活の中で、沖田は“生き直す”ように日々を重ねる。
 それは過去の贖罪か、それとも奇跡の継続か。
 令和という平和な時代の中で、彼が守るべきものは、誰かの命ではなく、たったひとつの青春と、未来だった。

 彼がどこから来て、どこへ向かうのかを知らなくてもいい。
 ただこの世界に、「そういう人がいる」ということだけを、誰かに知ってもらえたなら──
 それだけで、救われる想いがある。



 ――記録より先に語られるものがある。
  【事前資料集】白装束の剣士にまつわる証言・文書抜粋

 ▪ 村に伝わる話
『白い剣士の伝承』──ある村の古老の語りより
 あの戦の頃さ、山向こうの村に、一人の剣士が住んでおったんだよ。まだ若造でな、年は十七か十八か。けれど目の奥に年寄りみたいな静けさを持っていて、子供らは誰一人、大声で近づけなかった。
 でも不思議と、泣いている赤子がその人の膝で寝入ったりした。動物も寄ってきたよ。まるで、自然に選ばれたみたいな人だった。
 戦に駆り出されるまでは、村の道場で子らに剣を教えておった。怒鳴ったりはせん。ただ見せる。構えひとつ、息ひとつで、空気が止まる。
 戦の前夜、外れの丘に佇んで空を見ていたあの人は、「帰ってきますか」という問いに、こう笑ったのさ。
「さあ……それでも、置いていくわけにはいかないんです」
 ──そのあと、戦で死んだとも生き残ったとも、村には伝わっていない。ただ一度、子供らが山奥で「白い人影を見た」と言ったことがあった。
 今も村では、戦に向かう者に白い布を渡す風習が残っている。
 きっと、彼のような誰かのために。

 ▪ 軍に残された報告書(機密資料・抜粋)
『記録番号一五九──対象:白装束の剣士』
 【対象名】沖田 静
  【階級】不明
  【所属】第三方面・独立制圧群(非公式)
  【出自】道場出身・民間徴兵対応者
 【戦闘評価】
  ・個体戦闘能力:特A
  ・心理安定度:高水準
  ・部隊統率:非命令下において実質的指揮力を発揮
  ・倫理規範:人命尊重傾向強。任務遂行とのバランス難あり

【特記事項】
 戦終盤、味方が壊滅的状況下にある中、単独で敵陣へ突入。味方の生存率を劇的に高めるも、本人の帰還は確認されず。
 唯一の遺留品は、白装束および血痕付きの無銘の刀。遺体は発見されず。以後、目撃証言多数。

【記録担当】第六戦略資料分析課

  ※当報告は非公開。英雄化・神格化を避け、記憶とすること。



 ▪ 道場に残る古文書(回想録より抜粋)
『静、剣を置く日の記』──道場師範代記録帳より
 静は、生まれたときから剣を知っていたような子だった。初めて竹刀を握らせたとき、教える前に構えを取った。呼吸が止まり、空気が変わった。
 剣は勝つための道具ではない。静はずっとそう言っていた。
  「斬らずに制する」「言葉を使わずに止める」──それが、あいつの理想だった。
 戦に駆り出される日、静は黙って道場の竹刀を置いていった。
  「まだ誰も斬っていません。でも……必要なら、そうせざるを得ないかもしれない」
 あの子の剣は誰よりも優しく、誰よりも遠くを見ていた。
 以来、秋の終わりごとに、誰が置いたとも知れない一輪の白椿が道場の前に咲く。


 ■ 特別記事:

 はじめて沖田静を知るあなたへ
  ──この“物語の入口”に立ってくれて、ありがとう。
 この書に興味を示してくれて、本当にありがとうございます。
 たとえば、沖田静という名前を聞いたことがなかったあなたも。
  「たまたまタイトルが気になったから」そんな偶然でも、きっと意味があると思っています。
 この小説は、ヒーロー譚ではありません。
 剣豪の冒険でも、恋愛の物語でもない。
 それでも多くの人が、なぜか彼に心を惹かれてしまうのは、
 きっと「誰かを守りたいと思ったことがある」人だからです。
 沖田静は、名もなく生き、名もなく消えた存在です。
 でも、彼を見た人たちの記憶の中では、確かに“残っている”。

 この本には、彼と直接関わったわけではない人々の視点ばかりが語られます。
 ──けれど、だからこそリアルに彼の姿が浮かび上がってくるのです。
 もしかしたら、あなたのすぐ隣にも、沖田静のような人がいるかもしれない。
 自分を語らず、ただ静かに笑い、何かを背負ったまま生きる人が。
 この物語は、そんな彼らの代わりに紡がれた、祈りの書です。
 あなたの心に、もし少しでも何かが灯ったのなら──
 彼の記憶は、またひとつ、続いていくことになるのでしょう。
 ようこそ、“静かなる物語”の世界へ。

 

 巻頭詩/序文

 ■ 巻頭詩「祈りのかたち」

 声にできぬ願いを
 背中で語る者がいた
 名を呼ばれず、賞賛もされず
 ただ、誰かを守るために立ち尽くしていた
 剣は、命を奪うためではなく
 傷つけぬように振るわれ
 手放された明日が
 いくつもの今日を救っていた
 だから、今もどこかで誰かが
 あの背中を──
 覚えている

 

 ■ 序文

「この本の向こうにいるあなたへ」

 物語は、必ずしも“主役”から語られるとは限りません。
 この本に収められたのは、「語られなかった者」の記憶。
 そして「語り残した者たち」の声です。
 沖田静という青年が、かつて確かにいた。
 けれど彼自身の言葉は、ほとんど残っていません。
 その代わりに──彼とすれ違った者、彼に救われた者、彼にただ目を奪われた者が、
 沈黙の中から少しずつ語り始めます。
 それは伝説ではなく、記憶。
 虚構ではなく、確かな感情。
 あなたがこの本を閉じるとき、
 彼の名もなき姿が、あなたの中で「誰か」になるならば。

 この一冊は、たしかに生きた記録になります。

 ここから始まるのは、“語り継ぐための物語”です。