「って事なんだけどさ」
「いや、なんでそれに俺が乗ると思ったんだよ」
 授業も終わりそれぞれ教室を出ていく中。
 申し込み用紙の控えを見たユズは、二人きりなのを確認しあからさまなくらいに顔をしかめてオレを睨みつけていた。
「なんでだよ、あんなに上手いのに」
「もう音楽はしないって言っただろ」
「けどユズ、この前屋上で音を聞いている時すごく楽しそうだった」
「それは……」
 さすがに自分でも自覚があったのか、顔をしかめながら言葉を詰まらせる。
「だからほら、お前の名前も書いてある」
「おま、しかもこれもう申し込んだんじゃ」
「そう、だからやろう」
「こいつ……!」
「大丈夫、途中でメンバー変更できるからユズは仮で登録してる」
「人の話を聞け」
 頭を抱えたユズは深く息を吐き出すと、ヒビ、とオレの事を呼ぶ。
「やらねえから」
 けど返してきた言葉は拒否で、どちらかといえば決意表明にも聞こえる。
「何度も言わせるな、俺は音楽をやめたんだ」
「オレだって、本当にやめた人にはここまで突っ込まない」
 ユズの指先が跳ねた。
 顔を見ると驚いたような、苦しそうにも見えるような。そんななにもかもがぐちゃぐちゃになったような表情を、オレに向けている。
「ユズは音楽が好きで苦しそうで……やりたいってお前のベースから聞こえたから声をかけたんだ。本当に嫌いになった奴に、オレは声なんてかけないよ」
 なんだか、このまま見過ごす事ができなかったから。
 本当にやめたなら触れない方がいいってわかっているのに、ユズを見ているとそうじゃない気がして。綺麗に手入れされていたヘビーピックを思い出すとつい、身体が動いてしまう。
「なにも、知らねえくせに……!」
 力任せに立ち上がると、そのまま近くに置いてあった学校指定のスクールバックを鷲掴みにして背中を向ける。
「帰る、もう関わんな」
「あ、待てよ。話は終わってない」
「俺の中では終わった」
 スタスタと教室から出ようとする後ろ姿を追いかけると、それに気づいたようでユズは舌打ちをすると歩幅を大きくした。
「ユズ」
「なんだよ、ついてくんな」
 階段の踊り場で腕を掴むと、弱々しくユズの言葉が返ってくる。
 誰もいない、がらんとしたそこではどちらの声もよく響く。
「俺の事わかったみたいに言いやがって、お前が俺のなにを知っているっていうんだ」
「あぁ知らないよお前の事は全然。音楽が好きな奴って事しか知らない……だから、知りたいんだ」
「だかっ、もう俺はやらねえんだよ! もう俺のせいで誰かが死ぬのはたくさんだ!」
 張り裂けるような叫びだった。
「死ぬって、なにが……」
 無意識に出てしまった言葉らしい。
 オレの反応を見たユズの顔が、サッと青ざめていく。
「それは、その……」
「ユズ、教えてくれ」
 なにをとは、言わなかった。
 それでも言いたい事はじゅうぶんすぎるくらい伝わったのか、一瞬悩んだように目を伏せたユズは深く息を吐き出す。吐き出すよりは呼吸を整えているようにも見えて、それが終わるのを静かに待つ。
「……アッシュのボーカル、ユウジが死んでデビューがなくなったってのは聞いただろ」
「あぁ、マスターに聞いた」
「――俺が、殺したんだ」
 遠くどこか、踊り場の窓からオレではない誰かを見ている。
「理想なんて綺麗事を俺がユウジに押し付けたから、あいつは死んだ」
「理想……」
 オレの言葉に、ユズは小さく首を縦に動かす。
「……デビュー目前、レコーディングや販促活動で忙しい中でそれでもバンドの練習をサボるなんて俺達は考えられなかった。だから時間を見つけて夜遅くまで練習して、その日に備えていた。デビューライブを最高のものにするために、ずっと練習していた」
「ならなんで、ユウジさんは……ユズと一緒に練習してたのに、せっかくデビュー目前だったのに」
「――俺が、あいつの事をなにも考えないで責めたんだ。前のセッションとなにも変わってないって、今までなにをやってたんだって……そんな実力なら辞めちまえって、お前の本気が見えないって、俺が言ったんだ」
 懺悔のようだった、罪人のようだった。
 吐き出した言葉はユズにとって苦しいのか、言葉を詰まらせる。ふと浅く息を吐きながらなんとか取り繕って小さく唇を震わせた。
「それからしばらくしてだ、ユウジの奴が事務所の屋上から飛び降りたのは」
 ユズの握った拳に、力が入った。
 悔しそうに、強く爪が食い込むのではと思うくらい。
「……俺のせいだ、俺がユウジに理想を押し付けたから、ユウジは死んだんだ」
 深く息を吐き出しながら、ユズはゆっくりと顔を上げた。アンバーの瞳は鈍く虚ろで、普段のユズとはまるで別人とすら思えてしまう。
「最低だろ、そんな現実から……ユウジを殺したって過去から逃げてきたんだ。ずっと明けない夜の底から、解放されたかった」
「そんな事はっ」
「遺書にも俺達のせいじゃないって書いてあったけど、トリガーを引いたのは間違いなく俺だ。あいつの親御さんも俺にピックを持っていてほしいって形見分けしてくれて……息子さんを殺したのは俺なのに、申し訳が立たねえだろ」
 あの時の、初めて会った時のピックを思い出す。
 そうだったのか、あれはユズのではなかった。ユウジさんの、生きた証だった。
「母さんの実家がある名古屋に逃げたんだ、ここならもうアッシュと関わらなくていいって思ったから……けど、それなのにお前なんかに会っちまったから。なんでお前なんかと会っちまったんだよ」
 胸の奥、柔らかい部分を刺された気分だった。
 やっぱりオレ、ユズに夢を捨ててほしくないって言いながら自分勝手だったかもしれないと。自分の事ばかり考えて、ユズはどう思っているか考えてなかったかも知らないと。
 他でもない自分の最低さに言葉を失いかけたけど、ユズの瞳はオレの事をじっと見ていた。見つめて、揺れる瞳にオレを忌々しげに閉じ込めている。
「……音楽が好きって、早く忘れたいのに、俺には眩しすぎる」
 苦しかった。
 消え入るような、絞り出すような声だった。
 その言葉にどれだけの感情が詰め込まれていたのか、きっとそれを開けるのはパンドラの箱でしかない。それでもオレは、その言葉を苦しいと思った。
 なんで、どうして好きなのに忘れたいんだ。
 きっとオレはユズの事を一生理解できないし、そもそも理解をしたくない。
 もし忘れる事ができたってそこに残るのは、きっと虚しさだけだから。
「死なない」
 まっすぐ、気づいたら考えるよりも先に言葉が飛び出していた。
「オレは死なない、きっとユウジさんだってこんなユズを求めてるわけじゃない。ユズが求めるなら何度だってギターを鳴らしてやる」
 きっと覚悟はない、けど決意だった。
 証明のない言葉に顔をくしゃくしゃにしたユズは、感情に任せてオレの胸ぐらを強く掴む。
「簡単に言いやがって……!」
「簡単じゃない」
 簡単じゃないのはきっと、他でもないユズ自身がわかっているはずだ。
「簡単じゃないよ、そうやって言えるように努力をするのも練習するのも……けどそれでもオレはユズに好きな事を捨ててほしくないって思ったんだ」
 手放してほしくないと思った。
 手の中にあるものを、打ち込んだものを無意味だと思ってほしくなかった。
 たとえ嫌いになったとしても、過去の自分までは嫌いになってほしくなかった。
「……綺麗事を、わかったように言いやがって!」
 投げ捨てるようにオレから手を離したユズは、こちらを見ず階段を駆け下りていく。なにもかもから逃げるような後ろ姿は、枷を自分から付けているみたいだ。
「ユズ!」
 オレの叫びにユズが足を止める。
 顔はオレの方に向けてくれなかったし、なにも言わない。それでも肩を揺らした後ろ姿に、言葉を投げる。
「待ってるからオレ、ユズがステージに立ってくれるの」
「…………」
 ユズから返事はなかった。
 階段を降りきり角を曲がる姿を見届けて、ふと息を吐き出す。
「……綺麗、事」
 きっとこれは綺麗事なんかじゃない。
 もっとドロドロとした名前のない感情だ。
 利己主義的で身勝手で、それでもエゴを押し付けたい。
 そんな最低な感情だと知ったら、ユズはどう思うのだろうか。