大譜祭や噴水広場、マスターのカフェ。
ギターを人前で弾く事はあったはずなのに、今この手にあるのは明らかな高揚感だ。
凪のように感情は静かなのに、ずっと鼓動がうるさい。
ステージとの仕切りとして置かれた、形だけの薄い板。その先にはオレの見た事がない世界がきっと広がっていて、早くそこに行きたいんだとうずうずしている。
けどそれはオレだけじゃない。
今ここにいる誰もが、それを思っている。
「すごいお客さんの量……」
「ソウちゃん緊張してるの、もう一回円陣組んどく?」
「だ、大丈夫だよ……!」
と言いつつ、声が上ずっているのはなんだかソウらしい。
二人を横目に呼吸を整えて、またギターを撫でる。ぬっと隣から顔を出したユズはそんなオレの様子を見たからなのか、おい、とぶっきらぼうに声をかけてきた。
「ヒビ、お前も大丈夫か」
「なにが?」
「緊張してるだろ」
していないと言えば嘘になる。
知らない場所と知らない客席、知らない景色。
知らないが詰まったそこはオレには眩しくて、なによりも心臓が高鳴る。けど、多分それだけじゃない。
「今オレ、多分だけどすごくわくわくしているんだ」
この先になにがあるのか、このステージに立った時オレはどうなるのか、このピックを振り上げたらどうなるのか。どんな音が出て、どんな反応をされるのか。その答えがわからないからこそ、ずっとこの胸の奥が暴れ回っている。暴れて、ずっと叫んでいるみたいだ。
はやく、早くアイを叫びたいって。
「わくわくして、この一音でみんながどんな反応をするか……それを、オレは知りたいんだ」
「お前……」
ユズは笑っていた。
嬉しそうに笑って目を伏せると、そっとオレの方に右手を向けてくる。
「ん」
拳を出されて、つい頬が緩む。
ユズと出会ったあの日には想像もできなかったそれはユズっぽくて、なんだか嬉しい。
「今日もアイを叫ぼうな、結弦」
「あぁ、ヘマすんなよ――久音」
拳をぶつけた、たったそれだけ。
沢山の言葉はいらないと、そう思ったから。
***
ステージの上はなんだか冷たかった。
それは視線だった。視線と突き刺す目が、オレ達に向けられている。少しだけ下へ目線を向けると対して興味なさそうにスマホなんかを触り出す人がいて、あまりの関心のなさに場違いにも笑ってしまう。強いて言うなら最前列、マスターが小さく頷いてくれたからそれに手を振ったのと、少し後ろの方にいた高遠さんを見つけてつい喉を鳴らしたくらい。
けどこれを感じ取ったのはオレだけじゃなく、三人もオレと同じように状況を見ながら笑っている。
「ヒュー、冷たい視線」
「僕達、インスタントバンドだから受けはイマイチかもね。さっきまで暖まっていたみたいだし、そこに知らないバンドがきたらこの反応も普通かもしれない」
「ならその受けの悪さを逆手に取って、オーディエンスを湧かせてやるまでだ」
ポジションを調整したユズの目がギラリと光る。
それはもう普段のユズではなくステージに立つベーシストのものだった、自分を奮い立たせるように息を吐き出してゆっくりとオレ達三人の方を見ていく。
「行けるか、お前ら」
「おう、ばっちり」
「いつでもいいよ」
「こっちもばっちりだよユズちゃん」
ゆっくり、けどしっかりと頷いて見せる。
オレ達を見たユズも満足したように頷いて、一度深呼吸をしていた。
そこにきっといる誰かになにかを問いかけるように口を動かして、言葉のない会話をする。そのままベースを構えたユズに合わせてオレもギターを構えると、後ろからカチャ、とスティックの擦れる音とペダルを踏む音が聞こえる。
ソウのスティックの音が合図、自然と指先が動き出した。
「――行くぞ」
四人の音が重なって、爆発する。
それはオレ達の感情だ。
オレ達の苦しみであり、オレ達の大切なものだ。なにもかもを乗せた音を、ステージの上からぶちまけていく。
「……おぉ、本当に高校生か、こいつら」
「荒いけどまだ良い音出すな」
「あれ、ギターってマスターの店でバイトしてる子だな」
「よく見たらあのベースも……デビュー目前だったアッシュのユズルじゃないか?」
客席から聞こえたその一言に、ついユズの方を見てしまう。本人もそれに気づいたのか一瞬だけ肩を揺らしていたが、すぐに立て直しニイと口元を歪める。
「違う――俺は、ソラリスの結弦だ!」
ユズが咆哮した。
叫んだベースと共にアイを歌って、客席いっぱいに響かせる。紡がれる音はオレのギターすら食い尽くしていきそうで、釣られてオレも笑ってしまう。
「今ここ、お前のソロじゃないんだけど!」
負けじとコードを鳴らすと、音と音が殴り合う。
あの時の喧嘩のようだ。けど確かに違う、これは全部オレ達のアイなんだ。愛も哀も、なにもかもを詰め込んだありったけのアイだ。
一人だった今までの哀も、誰かと紡ぎ出せる愛も全部。正真正銘、オレ達の叫んだ音楽だ。
「僕だって……!」
ドラムの音が響き渡った。
それはなによりも繊細で激しい、ステージを丸ごと支配するような音。優しい支配の音はまっすぐ貫いて、世界を飲み込んだ。
「やるじゃんソウちゃん、オレだって……!」
キーボードの音がすかさず繋がる。優しいはずなのにまるで鳴いているようで、曲は表情を変えた。跳ねているような一音一音がオレ達の音をまとめて、グリッサンドで客席へ殴りかかっていた。
「ふはっ……」
どの音一つ欠けたって、きっと楽しいとは思えない。
ユズの唸り声のようなベース音もソウの優しい支配に包まれたドラムも、リツの軽やかなキーボードの音も。それから、オレのギターとボーカルだって。
「――!♪」
張り裂けるような声で歌った。唄って謳い、叫び続ける。
ずっと頭は考え続けている。指先の音も周りの音も、ボーカルの歌詞も。けどそれを難しいとか、ましては嫌とは思わなかった。身体が勝手に音を選んでいく。勝手に音楽を紡いで、それを形にしていく。
「……あつい」
指先が、ピックを握る手が熱かった。
「……あつい」
心臓が、身体の底が奮い立つように熱かった。
「…………あつい」
思考が、この一瞬がマグマのように熱かった。
コード一つを紡ぐたびに心臓がうるさい、音の一つが重なるたびに呼吸が熱い。これが、この音がアイを叫ぶという事なんだ。
これがきっと、オレ達のアイってやつだ。
「まだ、まだ!」
一際大きく鳴いた音は、向こうの通りまで響いた。
誰かにこの音が届くように、このアイの叫びが届いてくれるように。コード進行の調子はよかった。やけに頭も冴えている。鳴らした音はどれもよくて、だからつい頬を緩める。
そんな時だった。
「ん……?」
高遠さんと視線がぶつかった。
さっきまでユズを見ていたはずのそれは突然オレの方を見ていて、それに気づいたのか目を細めている。
けど、それも一瞬の話。すぐになにかに気づいたようで、不気味に口元を歪めた。まるで、なにか待ち望んでいた事が起きたみたいに。
意味がわからず首をかしげながら、また弦を弾いていく。次の音は、そう。次へ繋がるために明るめのDコードを。
「っ……えっ」
その瞬間だった。
ビイン、と、冷たい音。
跳ねた銀色の弦が、オレに向かって飛んでくる。
ギターを人前で弾く事はあったはずなのに、今この手にあるのは明らかな高揚感だ。
凪のように感情は静かなのに、ずっと鼓動がうるさい。
ステージとの仕切りとして置かれた、形だけの薄い板。その先にはオレの見た事がない世界がきっと広がっていて、早くそこに行きたいんだとうずうずしている。
けどそれはオレだけじゃない。
今ここにいる誰もが、それを思っている。
「すごいお客さんの量……」
「ソウちゃん緊張してるの、もう一回円陣組んどく?」
「だ、大丈夫だよ……!」
と言いつつ、声が上ずっているのはなんだかソウらしい。
二人を横目に呼吸を整えて、またギターを撫でる。ぬっと隣から顔を出したユズはそんなオレの様子を見たからなのか、おい、とぶっきらぼうに声をかけてきた。
「ヒビ、お前も大丈夫か」
「なにが?」
「緊張してるだろ」
していないと言えば嘘になる。
知らない場所と知らない客席、知らない景色。
知らないが詰まったそこはオレには眩しくて、なによりも心臓が高鳴る。けど、多分それだけじゃない。
「今オレ、多分だけどすごくわくわくしているんだ」
この先になにがあるのか、このステージに立った時オレはどうなるのか、このピックを振り上げたらどうなるのか。どんな音が出て、どんな反応をされるのか。その答えがわからないからこそ、ずっとこの胸の奥が暴れ回っている。暴れて、ずっと叫んでいるみたいだ。
はやく、早くアイを叫びたいって。
「わくわくして、この一音でみんながどんな反応をするか……それを、オレは知りたいんだ」
「お前……」
ユズは笑っていた。
嬉しそうに笑って目を伏せると、そっとオレの方に右手を向けてくる。
「ん」
拳を出されて、つい頬が緩む。
ユズと出会ったあの日には想像もできなかったそれはユズっぽくて、なんだか嬉しい。
「今日もアイを叫ぼうな、結弦」
「あぁ、ヘマすんなよ――久音」
拳をぶつけた、たったそれだけ。
沢山の言葉はいらないと、そう思ったから。
***
ステージの上はなんだか冷たかった。
それは視線だった。視線と突き刺す目が、オレ達に向けられている。少しだけ下へ目線を向けると対して興味なさそうにスマホなんかを触り出す人がいて、あまりの関心のなさに場違いにも笑ってしまう。強いて言うなら最前列、マスターが小さく頷いてくれたからそれに手を振ったのと、少し後ろの方にいた高遠さんを見つけてつい喉を鳴らしたくらい。
けどこれを感じ取ったのはオレだけじゃなく、三人もオレと同じように状況を見ながら笑っている。
「ヒュー、冷たい視線」
「僕達、インスタントバンドだから受けはイマイチかもね。さっきまで暖まっていたみたいだし、そこに知らないバンドがきたらこの反応も普通かもしれない」
「ならその受けの悪さを逆手に取って、オーディエンスを湧かせてやるまでだ」
ポジションを調整したユズの目がギラリと光る。
それはもう普段のユズではなくステージに立つベーシストのものだった、自分を奮い立たせるように息を吐き出してゆっくりとオレ達三人の方を見ていく。
「行けるか、お前ら」
「おう、ばっちり」
「いつでもいいよ」
「こっちもばっちりだよユズちゃん」
ゆっくり、けどしっかりと頷いて見せる。
オレ達を見たユズも満足したように頷いて、一度深呼吸をしていた。
そこにきっといる誰かになにかを問いかけるように口を動かして、言葉のない会話をする。そのままベースを構えたユズに合わせてオレもギターを構えると、後ろからカチャ、とスティックの擦れる音とペダルを踏む音が聞こえる。
ソウのスティックの音が合図、自然と指先が動き出した。
「――行くぞ」
四人の音が重なって、爆発する。
それはオレ達の感情だ。
オレ達の苦しみであり、オレ達の大切なものだ。なにもかもを乗せた音を、ステージの上からぶちまけていく。
「……おぉ、本当に高校生か、こいつら」
「荒いけどまだ良い音出すな」
「あれ、ギターってマスターの店でバイトしてる子だな」
「よく見たらあのベースも……デビュー目前だったアッシュのユズルじゃないか?」
客席から聞こえたその一言に、ついユズの方を見てしまう。本人もそれに気づいたのか一瞬だけ肩を揺らしていたが、すぐに立て直しニイと口元を歪める。
「違う――俺は、ソラリスの結弦だ!」
ユズが咆哮した。
叫んだベースと共にアイを歌って、客席いっぱいに響かせる。紡がれる音はオレのギターすら食い尽くしていきそうで、釣られてオレも笑ってしまう。
「今ここ、お前のソロじゃないんだけど!」
負けじとコードを鳴らすと、音と音が殴り合う。
あの時の喧嘩のようだ。けど確かに違う、これは全部オレ達のアイなんだ。愛も哀も、なにもかもを詰め込んだありったけのアイだ。
一人だった今までの哀も、誰かと紡ぎ出せる愛も全部。正真正銘、オレ達の叫んだ音楽だ。
「僕だって……!」
ドラムの音が響き渡った。
それはなによりも繊細で激しい、ステージを丸ごと支配するような音。優しい支配の音はまっすぐ貫いて、世界を飲み込んだ。
「やるじゃんソウちゃん、オレだって……!」
キーボードの音がすかさず繋がる。優しいはずなのにまるで鳴いているようで、曲は表情を変えた。跳ねているような一音一音がオレ達の音をまとめて、グリッサンドで客席へ殴りかかっていた。
「ふはっ……」
どの音一つ欠けたって、きっと楽しいとは思えない。
ユズの唸り声のようなベース音もソウの優しい支配に包まれたドラムも、リツの軽やかなキーボードの音も。それから、オレのギターとボーカルだって。
「――!♪」
張り裂けるような声で歌った。唄って謳い、叫び続ける。
ずっと頭は考え続けている。指先の音も周りの音も、ボーカルの歌詞も。けどそれを難しいとか、ましては嫌とは思わなかった。身体が勝手に音を選んでいく。勝手に音楽を紡いで、それを形にしていく。
「……あつい」
指先が、ピックを握る手が熱かった。
「……あつい」
心臓が、身体の底が奮い立つように熱かった。
「…………あつい」
思考が、この一瞬がマグマのように熱かった。
コード一つを紡ぐたびに心臓がうるさい、音の一つが重なるたびに呼吸が熱い。これが、この音がアイを叫ぶという事なんだ。
これがきっと、オレ達のアイってやつだ。
「まだ、まだ!」
一際大きく鳴いた音は、向こうの通りまで響いた。
誰かにこの音が届くように、このアイの叫びが届いてくれるように。コード進行の調子はよかった。やけに頭も冴えている。鳴らした音はどれもよくて、だからつい頬を緩める。
そんな時だった。
「ん……?」
高遠さんと視線がぶつかった。
さっきまでユズを見ていたはずのそれは突然オレの方を見ていて、それに気づいたのか目を細めている。
けど、それも一瞬の話。すぐになにかに気づいたようで、不気味に口元を歪めた。まるで、なにか待ち望んでいた事が起きたみたいに。
意味がわからず首をかしげながら、また弦を弾いていく。次の音は、そう。次へ繋がるために明るめのDコードを。
「っ……えっ」
その瞬間だった。
ビイン、と、冷たい音。
跳ねた銀色の弦が、オレに向かって飛んでくる。



