バンドの控え室は入れ替え制が多い。
 単に荷物を置くためだけの目的であるそこはあまり重要視されておらず、物置同然のような乱雑に置かれた機材の中でケースからギターを取り出す。
 さっきまで使っていたのだろう前のバンドが残した紙袋を指定のゴミ箱に捨てると、普段よりもやけにそわそわしてしてるソウが目に入った。
「いよいよだね……!」
「なに、ソウちゃんもしかして緊張してたりする?」
「そ、それはもちろん……って、律樹くんも顔真っ青だよ!?」
「いや、今日の事考えたら寝れなくて」
「それでヘマしたらしばくからな」
「ユズちゃんが辛辣」
「後なにがあるかわからないから一人でちょろちょろすんなよ、特にヒビ」
「えっ、オレ?」
 普段通りの会話のはずなのに、ずっと心臓の音がうるさい。
 緊張していないと言えば嘘にはなるが、安直な緊張ではない。この感情は、この高揚感はきっと他でもないオレ自身が楽しみだと思っているからだ。知らない人の前でこのピックを振り下ろしたらどんな音が鳴るのか、どんなアイを叫ぶ事ができるのか。ずっと心臓が暴れている、ずっと騒いでいて自分が自分自身ではなくなったみたいだ。
 オレもそわそわしている自覚はあったし落ち着かない、視線を動かすとそれは三人も同じなのか、表情は固かった。
 リツは指先を何度も動かしてキーボードを撫でているし、ソウはペン回しの要領でくるくるとスティックを回している。ユズは楽屋の片隅に座り込んで、機材を触っていた。
「……ユズ、なにしてるんだ?」
 背中を向けたままいつもと様子が違うユズに声をかけると、しかめっ面をオレの方へ向けてきた。緊張しているのかユズの様子もいつもと違っていて、それがつい気になった。
「ちょっと、荷物の片づけ……」
「ふーん?」
 よく見れば自分のカバンを漁っているようで、そこからいつものユウジさんから譲り受けたピックを取り出して大切そうに握りしめていた。
「……ユウジ、いいよな」
 ユズの儀式だ。
 あの時と同じだった。あのステージに立った時と同じ、答えのない問いかけだった。
 そんな穏やかな声音を聴きながら、オレはそっとギターのボディを撫でた。ずっと一緒だった、バッカスのエレキギター。そっと撫でて弦を弾いて、頬を緩める。
 張った弦の調子はいい、音もいつもより軽い。
「……フェスで、バンド」
 ずっと一人だった、ずっと誰かと外で弾くなんて考えられなかった。
 ユズにあの時出会ったから、ユズがあの時助けてくれたから始まった音はこんなにも大きくて心地よい。どのコードもイジワルで指は痛かったけど、きっとこの時間のためにきたのかもしれない。
 なんだか落ち着かなくて、もう一回弦を撫でる。一つ一つ音を合わせて行くと、ふと横で同じようにチューニングをしていたユズが覗き込んできた。
「お前、何回それするんだよ」
「えっ」
「チューニング、やりすぎは弦によくないだろ」
 指をさされたのはペグを回しすぎてギチギチと悲鳴を上げる弦で、慌てて緩める。またちゃんと音を調整すると寸分狂わない音が生まれて、ほっと胸を撫で下ろす。
「わかってるよ、初めてやった時も触りすぎて弦を切ったんだ」
「初心者あるあるだな」
「だろ、いきなり弦が切れたからびっくりして、マスターに笑われてさ」
 ひとりぼっちだったGコードに、ユズのベースが重なった。
 ソウのシンバルやスネアの音が支配して、リツの繊細で自由なキーボードが入って。ここまで沢山の事があったけど、どれも手に取るように思い出せる。けどそれでもオレの手は震えていて、緊張しているのはすぐにわかった。
 多分だけど、そんなオレを察したのかもしれない。
 ユズは目を細めるとオレを睨みつけて、おい、と小さく言葉をかけてきた。
「信じろ」
「……しん、じる?」
「お前の手の中にあるそいつ、何度もやらなくても応えてくれるだろ。あとはお前の腕一つの問題だ」
「あ…………」

 ――ギタリストは、その腕一つでアイを叫ぶ事ができるんだ。お前にその覚悟はあるのか?

 あの時と同じだ。
 覚悟はない、けど決意はした。この音に嘘はつきたくないって、だから何度だってユズとアイを叫んでやるって。全部最後は、オレ自身の問題だ。
「そうだな、オレばっかり緊張してても意味ないな」
 決意をしたはずなのに弱音なんて、音に失礼だから。
 またボディを撫でて笑って、そっと弦に触れていく。音にしてはどこか貧相なそれも、オレにとってはそれもアイだった。正直に、嘘をつかず。大切に育てた、一音一音が愛おしいアイだ。
「ありがとうなユズ、引っ張ってくれて」
「……別に、約束だからやっただけだ」
 ぶっきらぼうにそっぽを向かれたけど、ユズってそういう奴だ。素直じゃないし不器用だしぶっきらぼうだけど、音をいつだってアイしている。
 ならオレも、この六本の弦を信じるしかない。
 誰のためでもない、他でもないオレのために。
 静かに弦を撫でていく、優しく叫んだDコードはまるでオレに応えているようで。だからオレも返すように、そっとギターを抱きしめた。