「ストップ、今ドラムの音がズレた。もう一回最初からだ」
 ひと際大きいベースの音で、また中断する。
 弦を調整しながら真剣な顔をしたユズは深く、深く息を吐きながら小さく首を横にする。
「全員ここだけで収まった音になっている、特にキーボードとドラムは外での演奏経験がないからだと思うが、仕方ないで済ませたらその音楽は死ぬ」
「おお……」
 なんかユズがかっこいい事言ってる。
 ついそんな気持ちになって言葉を漏らすと、それに気づいたユズがぐるりと勢いよくオレの方を見てきた。
「おいヒビ、言っておくがお前が一番散々だったからな」
「え、オレ!?」
「ボーカルの入りが遅いソロのところのノイズが目立ちすぎだ、あと全体的にアレンジ入れすぎんな! 完璧にしてからやれ!」
「けど、絶対今の方がかっこいいだろ!」
「かっこいいってのは完成しているやつが言える余裕なんだよ」
 それを言われたらなにも言い返せない。
 しゅんとわざとらしい態度を取ると、ユズは小さく溜息を零した。
「お前ら、フェス出るならもっと本気で……」
 そこまで言ったユズの顔が、今度はサーっと青くなっていく。言ってしまった、とあからさまにその顔には書いてあって、なにを考えているのかはオレを含めて三人ともすぐにわかった。
 組む上で、腹は割って全員話したと思う。
 オレがずっと一人だった事も。
 ソウがダサいと言われた事も。
 リツがピアノを隠していた事も。
 それから、ユズの東京での事も。
 知っているからこそ気を使うユズは出会った時とずいぶんと違っていて、少しは素直になったユズに目を細める。
「ユズ」
 ゆっくりと名前を呼んで、意識を引っ張り戻してやる。
「本気だよ、結弦くん」
「信じてよ、ユズちゃん」
「本気じゃなければ、ここにオレ達はいないから……ね、ユズ」
 だから大丈夫だよって、ただそれだけ。
 その一言で、ユズの頬が少しだけ緩んだ。
「悪い、心配かけた……このフェス、絶対成功させるぞ」
 キチキチ、と弦を調整する音が聞こえる。
 第六弦を静かに鳴らしたユズの表情は、どことなく穏やかなものだった。

 ***

「え、バンド名?」
「そうそう、決まってるの?」
 休憩でふとリツが口にした言葉に、首をかしげた。
 確かに、としばらく考えながらペットボトルに口をつけて、飲むことなくじっとそれを見つめる。バンド名、バンド名。
「……ユズってさ」
「考えてるわけないだろ」
 こっちに責任を振るなと言いたげな態度を取られたから、うぐぐ、と喉の奥から悔しげな声が出た。
「決めないと申し込むに申し込めないじゃん、どうすんの」
 リツの言葉はごもっともで、どうしたものかと四人の唸り声が重なってしまう。
「……俺は、これっきりだとヒビに言ってある。だからインスタントバンドに思い入れのつく名前なんて」
「じゃあユズーズとか」
「ちょっと待て、その話やっぱり入れさせろヒビに任せたら大変な事になる」
 なんでだよ、なんでもいいって言ったのは自分じゃないか。
「なんだそのソユーズみたいなダサいのは、却下だ却下」
「じゃあ、ユズはなにがいいと思うんだよ」
「それはバンドなんだから、バンドールとかバウンドとか」
「そのまますぎるってそれこそ却下、その路線ならバンドンズとかのがいいって」
「ゾウの足音か」
「うーん、二人ともどんぐりの背比べ」
 ケラケラと笑うリツは、ふとスティックを手入れしていたソウの方へ目を向ける。
「ソウちゃんは? さっきから静かだけどどうした?」
「えっと……考えているけど、僕も二人の路線に行っちゃうタイプみたいでなかなか思いつかなくて」
 申し訳なさそうに笑う辺り、本当にオレと同じタイプのセンスらしい。
「そういう律樹くんは?」
「え、オレ?」
「うん、こういうのって律樹くんが一番向いてそうだなって」
「オレもそこまでセンスいいわけじゃないけど」
 しばらく茶化すように笑ったリツだったが、オレとユズの顔をしばらく見てなにを思ったのか真剣な顔で考え始めた。口の中で言葉を転がして、時折目を伏せて。言葉の引き出しをしばらく開け閉めしているそれを三人で静かに見ていると、なにかを思いついたのかゆっくりとその顔を持ち上げた。
「……そうだな」
 納得したように、小さく頷く。
「――ソラリス」
 音を置くような、そんな綺麗な言葉だった。
「そら、りす?」
「あぁ」
「八田、一応その心は聞いていいか?」
「もちろん」
 リツの言葉にソウもスティックを置きドラムの向こうから顔を出す。
「ラテン語で太陽って意味、しかもポジティブなね。太陽の光を浴びるとかそっちの意味で使われる事が多くて、光の方へとかそういった意味合いにもなる。クラシック寄りの名前ではあるけどどうかなって」
 なぜかその説明をするリツの目は、まっすぐオレ達三人に向けられていた。
「オレは……うんん、きっとオレ達はみんななにかを抱えていて、ずっと腹の底にそれを隠している。オレはこの先も鍵盤を叩くのが怖くなる事があるし、ソウちゃんもユズちゃんも――きっとくうちゃんも、悩んで苦しんで、それでも音楽に向き合う時があるはずだ」
 けどな、と言葉を続けるリツの表情は、どこか幸せそうだ。
「オレがあの時見たように、オレ達を見た人達にとってそんな光でありたい」
 光でありたい。
 やけに感情がこめられた言葉に、ついオレも目を細めた。それはユズとソウも同じみたいで、こっそり二人を盗み見るとどこか嬉しそうに笑っている。
「……いいんじゃねえか?」
 ユズはそれ以上なにも言わないけど、ただ小さく頷く。
「僕も、光でありたいなって思ったよ」
 ソウも、強く頷いていた。
「うん、オレもいいと思う……すごく暖かい名前だな、ソラリス」
 そしてオレも、胸の奥が熱くなるみたいだった。
「いやけど、けっこう思いつきだからそんな話を合わせなくても」
「お前、今更ビビってんじゃねえよ」
「そうだよ、律樹くんの考えたバンド名すごくいいと思う!」
「ってか、ソラリスじゃないと嫌だ!」
「なになに、三人とも食い気味で」
「八田が弱気になるからだろ」
 ユズが下手くそな笑顔を貼り付けると、つられてオレとソウも笑ってしまう。それを見たリツも嬉しそうに、頬を緩める。
「じゃあ、ソラリスで」
 多分だけど、今のリツの方が太陽みたいだ。
 誘った時のリツが見たらきっと驚くだろう、柔らかな太陽みたいに笑うリツがそこにはいる。