夜になるとまだ少しだけ伊吹おろしが流れ込んでいて、肌寒いとすら思える。
カフェを出てしばらく歩くと人通りもそれなりにありデパートにはまだ明かりがついていて、そういえば、とソウが顔を上げた。
「ごめん、少し楽器屋に寄りたいんだけどいいかな……? スティック新しいのがほしくて」
「いいぞ、シマムラ楽器でいいか」
「え、まってユズそこはイシバシ楽器でしょ」
「いや、シマムラだ。あそこは一スパン全部スティックだ」
「それならイシバシだって、奥はパーカッション専用コーナーだ」
「あ、えっと……スティック自体は品揃えも一緒だからどっちでもいいんだけど」
「ふふ、ふは!」
オレ達三人のやりとりを見ていたリツは突然吹き出すと、楽しそうに腹を抱えて笑い始めてしまった。
「八田、今のどこに笑う要素があった」
「え、なんで笑ったくらいでユズちゃんは怒ってるわけ」
「そのユズちゃんって呼び方いい加減やめろ」
茶化しながらも目を細めたリツは、ふとなにかを考えるように視線を明後日の方に向けると緩やかに首を横に動かしていた。
「いや、お前らといると退屈しなさそうだなって思っただけ」
楽しそうにリツがそんな事を言うから、オレ達も顔を見合わせるとなんだか笑ってしまう。
「……ほら、無駄口叩いてないでさっさと野並のスティック見に行くぞ」
「あ、じゃあオレもついでに弦買おう」
「じゃあオレはひとまず着いてくだけにしようかな、今度の配信で使えそうな楽譜をちょっと見たいだけだから」
ぞろぞろと四人肩を並べて街を歩いていると、ところどころ明かりがついているように見える。バイト終わりに一人で見ていた景色を誰かと見るのはなんだか新鮮で、軽くなった足取りで三人と歩こうとした時だった。
「あぁやっと見つけたよ――伏見結弦くん」
低いバリトンの声が、オレ達四人の足を止めた。
「……あ?」
名前を呼ばれたユズが目を細めながら顔を向けると、少しくたびれたカーキのジャケットを身にまとう男がオレ達を見ている。若いのかは正直わからない、ストリート系のファッション。無造作で整えられていない茶髪から除く黒い瞳にはユズだけしか写していなくて、対するユズもなにかに気づいたように喉の奥から低い声をこぼした。
「お前はっ……」
それは間違っても親しい人物に向けるようなものではない、嫌悪の色が濃い。
「ユズ、知り合いなのか?」
「……あぁ、不本意だけど面識があるって程度でな。中堅のグロウレコードってとこの。早い話がレコーディング業界のハイエナプロデューサーだよ、アッシュのデビューが決まった時にどこで聞きつけてきたのか金を積むからうちでデビューしてくれってバカな事を言ってきた奴だ」
あからさまなくらいげんなりした顔を貼り付けたユズは、わざとその表情を残したまま高遠さんを睨みつけていた。
「で、そんなグロウレコードの凄腕プロデューサーがこんな遠くまでなんの用っすか」
「用って、それは伏見くん……君が一番わかっている話だと思うけど」
あくまでももったいぶった様子で。
表情だけ作り笑いをしたまま、ゆっくりとユズに向けて手を差し出す。
「君の事を探していたんだよ、東京へ一緒に戻るためにね」
東京へ戻る。その一言でユズの顔色が変わった。
嫌悪の中にある動揺は明らかで、無意識にユズは息を吐き出していた。
「一緒に戻る? どこに?」
「どこにとは……君はここにいるべき存在じゃない、もっと上を目指し名だたるベーシストと共に歴史を作る才能があるんだ。私が君の受け皿になる、もう一度君ならデビューだってできるはずだ」
傍から見たらスカウトだけど、ユズの言葉を借りるならハイエナ。きっとアッシュの解散に便乗してユズを引き入れようとした事は目に見えてわかっていて、それはもちろんユズ本人も気づいているようだ。
「申し訳ないけど、東京で話した通りアッシュのユズルは死にました……今ここにいるのは、ただの一般人である伏見結弦です。もう東京には戻りません」
宣言にも近い言葉に、高遠さんはなにを思ったのか。一瞬顔をしかめたがすぐに目を細め、そうかい、ともったいぶった言い方をする。
「しかしそれは、本当に君のためになるのかな?」
「……なにが言いたい」
意図が読めず目を細めたユズに、高遠さんは口元を歪めながらなぜだかオレの方を見ていた。
「素人なんかとバンドを組んで、君のベース技術はこんなところで燻っているなんてもったいない。安っぽいギターの音では、君にもいい影響がないと思うけど」
「……誰が、素人だって?」
「多分、本人が一番わかっているんじゃないかい?」
オレの事を言っている。
それは誰よりも早くわかって、つい喉を鳴らす。
「共有サイトで見かけた君の演奏、やはり素晴らしいものだった……けどそれはあくまでも君の音で成り立っていたもの、素人の演奏はやはり素人でしかない」
「お前、黙って聞いてりゃ」
「間違った事はなにも言っていないと思うけど……後ろにいる二人もだよ。一人はどこかで見た顔だから経験者かもしれないけどその程度、黒髪の彼は顔すらわからない……お遊びで楽器を始めたタイプかな?」
「こいつらを、ヒビを素人呼びした事を訂正しろ」
ユズの低い声だけが響く。
「いいってユズ、高遠さんの言う通りオレは素人なんだし」
「俺は、素人なんかとは組まない」
ピシャリと遮ったユズの言葉には目に見えてわかる怒りを孕んでいた。今すぐ噴火しそうなマグマのようで、オレもソウもリツも言葉を詰まらせる。
「こいつらは立派なギタリストとドラマーとピアニストで、俺の仲間である立派なバンドマンだ。だから、訂正しろ」
「ユズ……」
きっと怖いはずなのに、それでも形にした言葉はなによりも優しくて、ついオレはもちろんソウとリツも嬉しそうに笑っている。けどそれを見て面白くないのは高遠さんで、スウと目を細めたと思えばなにを思ったのかまた楽しそうに笑っていた。
「それでもレコード会社から声がかからないなら、それは素人でしかない……特に、挫折を知らなさそうな平和ボケした子はね」
「お前っ……!」
高遠さんの目があからさまにオレに向けられているのに気づいたのか、咄嗟にオレを背中に隠すように前へ出た。
「言っていい事と悪い事があるだろ」
「しかしそれは伏見くんもわかっているはずだよ。この世界が実力主義で、綺麗事で上には行けないとね」
ギリ、と歯を食いしばる音が聞こえた。
高遠さんの言っている事は間違っていない。
実力主義である音楽業界で、声がかからないのは誰の琴線にも触れる事ができないから。それは、そんな事はオレが一番よくわかっている。
「それでも、綺麗事でもこいつは俺にとって眩しかった……確かに、ユウジの事でどん底にいた俺を引っ張り上げてくれた夜明けだ」
はっきりと紡がれた一言一言がユズのもので、静かに目を細める。
「ヒビが、久音があの時俺がステージに戻ると信じてくれたから今がある、それを侮辱されて聞き流せるほど俺の器はできていない」
鋭い言葉だった。
感情を隠す事なく突き刺した言葉は高遠さんの表情を歪めるにほじゅうぶんで、けどそれも一瞬の話だった。すぐになにかを思ったのかふと笑うと、なるほど、と意味深に言葉を落とす。
「なら賭けをしましょう伏見くん。どちらの言う事が正しいか」
その言葉を待っていたかのように、高遠さんはわざとらしく声を張る。
「近々この街で音楽フェスがあるというのはこちらも知っている……そこで、その場にいた全員を湧かせる事ができれば伏見くんの言う通り君の仲間をバンドマンとして認める。ただ、ステージが少しでも白ければ認めない。伏見くんにはもっと相応しい仲間を用意しましょう」
「それは……」
「なんでしたっけ、サカネヒガシ音楽フェス?」
「サカネミナミ音楽フェスだ、そもそもあそこを勝負の場として使う気は」
「あぁやはり、素人とやるから恥をかきたくないのかな」
「……煽っているつもりか?」
「まさか、事実を言っただけさ」
にっこりと笑った高遠さんだが、その目の奥は笑っていないように見える。ドロドロとした不快な視線はユズも感じ取ったようで、あからさまなくらいに不機嫌そうな顔を貼り付けて睨みつけている。
「俺は確かに東京から、プロから逃げた。だからそれについて好き勝手言われるのは我慢できる……けど、こいつらの事を、ヒビの事を悪く言うな」
アンバーの瞳がギロリと光る。
ギリ、と歯ぎしりをしたユズの目は怒りを押し固めていた。
「乗ってやるよその挑発、俺の仲間が素人じゃないって証明してやる」
カフェを出てしばらく歩くと人通りもそれなりにありデパートにはまだ明かりがついていて、そういえば、とソウが顔を上げた。
「ごめん、少し楽器屋に寄りたいんだけどいいかな……? スティック新しいのがほしくて」
「いいぞ、シマムラ楽器でいいか」
「え、まってユズそこはイシバシ楽器でしょ」
「いや、シマムラだ。あそこは一スパン全部スティックだ」
「それならイシバシだって、奥はパーカッション専用コーナーだ」
「あ、えっと……スティック自体は品揃えも一緒だからどっちでもいいんだけど」
「ふふ、ふは!」
オレ達三人のやりとりを見ていたリツは突然吹き出すと、楽しそうに腹を抱えて笑い始めてしまった。
「八田、今のどこに笑う要素があった」
「え、なんで笑ったくらいでユズちゃんは怒ってるわけ」
「そのユズちゃんって呼び方いい加減やめろ」
茶化しながらも目を細めたリツは、ふとなにかを考えるように視線を明後日の方に向けると緩やかに首を横に動かしていた。
「いや、お前らといると退屈しなさそうだなって思っただけ」
楽しそうにリツがそんな事を言うから、オレ達も顔を見合わせるとなんだか笑ってしまう。
「……ほら、無駄口叩いてないでさっさと野並のスティック見に行くぞ」
「あ、じゃあオレもついでに弦買おう」
「じゃあオレはひとまず着いてくだけにしようかな、今度の配信で使えそうな楽譜をちょっと見たいだけだから」
ぞろぞろと四人肩を並べて街を歩いていると、ところどころ明かりがついているように見える。バイト終わりに一人で見ていた景色を誰かと見るのはなんだか新鮮で、軽くなった足取りで三人と歩こうとした時だった。
「あぁやっと見つけたよ――伏見結弦くん」
低いバリトンの声が、オレ達四人の足を止めた。
「……あ?」
名前を呼ばれたユズが目を細めながら顔を向けると、少しくたびれたカーキのジャケットを身にまとう男がオレ達を見ている。若いのかは正直わからない、ストリート系のファッション。無造作で整えられていない茶髪から除く黒い瞳にはユズだけしか写していなくて、対するユズもなにかに気づいたように喉の奥から低い声をこぼした。
「お前はっ……」
それは間違っても親しい人物に向けるようなものではない、嫌悪の色が濃い。
「ユズ、知り合いなのか?」
「……あぁ、不本意だけど面識があるって程度でな。中堅のグロウレコードってとこの。早い話がレコーディング業界のハイエナプロデューサーだよ、アッシュのデビューが決まった時にどこで聞きつけてきたのか金を積むからうちでデビューしてくれってバカな事を言ってきた奴だ」
あからさまなくらいげんなりした顔を貼り付けたユズは、わざとその表情を残したまま高遠さんを睨みつけていた。
「で、そんなグロウレコードの凄腕プロデューサーがこんな遠くまでなんの用っすか」
「用って、それは伏見くん……君が一番わかっている話だと思うけど」
あくまでももったいぶった様子で。
表情だけ作り笑いをしたまま、ゆっくりとユズに向けて手を差し出す。
「君の事を探していたんだよ、東京へ一緒に戻るためにね」
東京へ戻る。その一言でユズの顔色が変わった。
嫌悪の中にある動揺は明らかで、無意識にユズは息を吐き出していた。
「一緒に戻る? どこに?」
「どこにとは……君はここにいるべき存在じゃない、もっと上を目指し名だたるベーシストと共に歴史を作る才能があるんだ。私が君の受け皿になる、もう一度君ならデビューだってできるはずだ」
傍から見たらスカウトだけど、ユズの言葉を借りるならハイエナ。きっとアッシュの解散に便乗してユズを引き入れようとした事は目に見えてわかっていて、それはもちろんユズ本人も気づいているようだ。
「申し訳ないけど、東京で話した通りアッシュのユズルは死にました……今ここにいるのは、ただの一般人である伏見結弦です。もう東京には戻りません」
宣言にも近い言葉に、高遠さんはなにを思ったのか。一瞬顔をしかめたがすぐに目を細め、そうかい、ともったいぶった言い方をする。
「しかしそれは、本当に君のためになるのかな?」
「……なにが言いたい」
意図が読めず目を細めたユズに、高遠さんは口元を歪めながらなぜだかオレの方を見ていた。
「素人なんかとバンドを組んで、君のベース技術はこんなところで燻っているなんてもったいない。安っぽいギターの音では、君にもいい影響がないと思うけど」
「……誰が、素人だって?」
「多分、本人が一番わかっているんじゃないかい?」
オレの事を言っている。
それは誰よりも早くわかって、つい喉を鳴らす。
「共有サイトで見かけた君の演奏、やはり素晴らしいものだった……けどそれはあくまでも君の音で成り立っていたもの、素人の演奏はやはり素人でしかない」
「お前、黙って聞いてりゃ」
「間違った事はなにも言っていないと思うけど……後ろにいる二人もだよ。一人はどこかで見た顔だから経験者かもしれないけどその程度、黒髪の彼は顔すらわからない……お遊びで楽器を始めたタイプかな?」
「こいつらを、ヒビを素人呼びした事を訂正しろ」
ユズの低い声だけが響く。
「いいってユズ、高遠さんの言う通りオレは素人なんだし」
「俺は、素人なんかとは組まない」
ピシャリと遮ったユズの言葉には目に見えてわかる怒りを孕んでいた。今すぐ噴火しそうなマグマのようで、オレもソウもリツも言葉を詰まらせる。
「こいつらは立派なギタリストとドラマーとピアニストで、俺の仲間である立派なバンドマンだ。だから、訂正しろ」
「ユズ……」
きっと怖いはずなのに、それでも形にした言葉はなによりも優しくて、ついオレはもちろんソウとリツも嬉しそうに笑っている。けどそれを見て面白くないのは高遠さんで、スウと目を細めたと思えばなにを思ったのかまた楽しそうに笑っていた。
「それでもレコード会社から声がかからないなら、それは素人でしかない……特に、挫折を知らなさそうな平和ボケした子はね」
「お前っ……!」
高遠さんの目があからさまにオレに向けられているのに気づいたのか、咄嗟にオレを背中に隠すように前へ出た。
「言っていい事と悪い事があるだろ」
「しかしそれは伏見くんもわかっているはずだよ。この世界が実力主義で、綺麗事で上には行けないとね」
ギリ、と歯を食いしばる音が聞こえた。
高遠さんの言っている事は間違っていない。
実力主義である音楽業界で、声がかからないのは誰の琴線にも触れる事ができないから。それは、そんな事はオレが一番よくわかっている。
「それでも、綺麗事でもこいつは俺にとって眩しかった……確かに、ユウジの事でどん底にいた俺を引っ張り上げてくれた夜明けだ」
はっきりと紡がれた一言一言がユズのもので、静かに目を細める。
「ヒビが、久音があの時俺がステージに戻ると信じてくれたから今がある、それを侮辱されて聞き流せるほど俺の器はできていない」
鋭い言葉だった。
感情を隠す事なく突き刺した言葉は高遠さんの表情を歪めるにほじゅうぶんで、けどそれも一瞬の話だった。すぐになにかを思ったのかふと笑うと、なるほど、と意味深に言葉を落とす。
「なら賭けをしましょう伏見くん。どちらの言う事が正しいか」
その言葉を待っていたかのように、高遠さんはわざとらしく声を張る。
「近々この街で音楽フェスがあるというのはこちらも知っている……そこで、その場にいた全員を湧かせる事ができれば伏見くんの言う通り君の仲間をバンドマンとして認める。ただ、ステージが少しでも白ければ認めない。伏見くんにはもっと相応しい仲間を用意しましょう」
「それは……」
「なんでしたっけ、サカネヒガシ音楽フェス?」
「サカネミナミ音楽フェスだ、そもそもあそこを勝負の場として使う気は」
「あぁやはり、素人とやるから恥をかきたくないのかな」
「……煽っているつもりか?」
「まさか、事実を言っただけさ」
にっこりと笑った高遠さんだが、その目の奥は笑っていないように見える。ドロドロとした不快な視線はユズも感じ取ったようで、あからさまなくらいに不機嫌そうな顔を貼り付けて睨みつけている。
「俺は確かに東京から、プロから逃げた。だからそれについて好き勝手言われるのは我慢できる……けど、こいつらの事を、ヒビの事を悪く言うな」
アンバーの瞳がギロリと光る。
ギリ、と歯ぎしりをしたユズの目は怒りを押し固めていた。
「乗ってやるよその挑発、俺の仲間が素人じゃないって証明してやる」



